データベース『えひめの記憶』
えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業27-松野町-(令和6年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)
2 松野の果樹栽培
(1) モモの栽培
ア 松野のモモ栽培
「私(Aさん)は役場に勤めているときに、県営農地開発事業をきっかけにモモの栽培を始めました。道路が整備され、山の上まで自動車で行くことができるようになったので運搬するのも便利でした。私の家は22a栽培しています。当初の品種は『大久保』など2種類を作っていました。しばらくは『大久保』を作っていましたが、あまり糖度が高くなかったので他の品種に変えました。昭和55年(1980年)頃には『白鳳』や『日川白鳳』の栽培を始めました。平成6年(1994年)に役場を定年退職したときに残っていた桑畑もモモ畑にしました。
私はモモの栽培を長年やってきましたが、今は娘が主になってモモ作りをしてくれていて私は手伝いをしています。」
「私(Bさん)の父は養蚕をしていましたので、桑の栽培をしていました。桑の後にブドウ、ブドウの後にモモと変化しました。ブドウは一時的でした。
農業団地ができてから父はモモの生産を始めました。父は米とモモ、ユズを作っていて、特にモモを多く生産していました。モモの栽培を父が主にやっていた頃、私は田んぼを手伝っていましたが、モモに関係する作業をした記憶があまりありません。モモは繊細で収穫が難しいので経験の少ない人には任せることはできないからです。私が本格的にモモの栽培に関わったのは父が亡くなってからになります。」
イ モモの品種
「モモは大きく分けて早生(わせ)品種、中生(なかて)品種、晩生(おくて)品種の三つの種類があります。松野町で最も多く生産されているのは『白鳳』という中生の品種です。『あかつき』も中生の品種で、『清水白桃』は若干時期が遅い晩生の品種ですが、『あかつき』『清水白桃』は松野町での生産量は少ないです。
私(Bさん)は早生品種を少しと中生品種の『白鳳』を生産しています。モモをメインでやっている人は、品種によって出荷の時期がずれるため晩生品種まで生産しています。私の家のように家族でやっている場合は限界があります。」
ウ モモの栽培過程
「3月下旬から4月上旬に花が咲き、開花後に受粉します。松野ではほとんどが人工授粉ではなく自然受粉できる品種を植えています。受粉が良好だったら実になります。その後、実が大きくなる果実肥大期に入り、5月下旬に袋掛けをします。7月には収穫をして出荷します。
花が咲く前には蕾(つぼみ)を落とす摘蕾(らい)、果実肥大期にはいらない実を落とす摘果を行います。摘果は生産者部会で講習会が行われています。摘果はどれを残すかという農家の見極めが大切になり、それぞれの農家の腕の見せどころだと私(Bさん)は思います。モモ栽培では定期的に防除があり、9月には土作り、冬場は剪(せん)定を行います。」
エ モモの糖度
「私(Bさん)は、モモは採り方が最も大切だと思います。モモの場合は、収穫後に熟して糖度が上がるのでなく、もぎ採った時点で糖度が決まります。時間がたつと柔らかくなりますが糖度は変わりません。モモは柔らかくなると傷が付きやすいので少し硬い時期に採ります。」
オ モモ栽培の苦労
(ア) 栽培の苦労
「松野町は兼業農家が多いので、繊細なモモを栽培するのはかなりの苦労があると私(Aさん)は思います。モモは剪定や摘果、袋掛けの作業が大変で、また、病気や害虫に弱いため常に気を遣います。」
(イ) 自然環境の影響
「モモは自然の影響を受けやすいという点があります。私(Aさん)が心配しているものの一つに晩霜があります。モモは晩霜がくると枯れてしまいます。今は開花も早くなり3月20日頃から花が咲き始めますので、晩霜の心配をしなくてはいけません。ほかには、長雨になると収穫時期に支障がありますし、豪雨が降ると糖度が落ちてしまうこともあります。」
「農家は大なり小なりリスクを背負っていて、それを分かった上でやっていると私(Bさん)は思います。近年、自然災害の様子も変わり、台風の勢力はだんだん強くなっているように思います。昔と比べて環境は大きく変化しています。」
(ウ) 強風の被害
「モモは繊細で取扱いが難しい作物です。モモの栽培は自然災害と病害虫の被害に遭わないように気を付けなくてはいけません。しかし、農業は自然相手の仕事ですので、自然災害を防ぐことは困難です。
私(Bさん)のところは高台に園地があるので豪雨の被害に遭ったことはありませんが、台風などの強風による被害はあります。数年前の台風のときはかなりの被害がありました。そのときは、強風でモモの木がぼきぼき折れてしまいました。土地の状況にもよると思いますが、風当たりの強いところは被害が大きくなります。
強風の影響は木が折れるだけではなく、モモの木に葉っぱがある時期だと、強風で葉っぱが破れたり傷が付いたりして、そこから菌が入って病気になってしまうこともあります。ほかにも、強風で菌が周囲の木にも広がってしまい被害が大きくなる場合もあります。そのため、防風ネットを張って対策している農家もいます。」
(エ) 雹の被害
「雪はあまり降らない地域ですので雪の被害は多くありませんが、数年前の5月に雹が降りました。私(Bさん)が父から農地を引き継いでから初めてのことでした。私が栽培している品種は6月終わりから7月が収穫時期で、5月はウメくらいの大きさになっていて袋を掛ける前の段階です。その段階で雹が降ったため、実に直接雹が当たり、傷が付いて駄目になってしまいました。雹は実に傷を付けるだけでなく、葉っぱに穴を開けてしまい、そこから菌が入って病気になることもあります。」
(オ) 害虫の被害
「温暖化の影響かどうかは分かりませんが、害虫が増えています。今までは中生品種を作っていた時期にはいなかった虫が出たりしていると私(Bさん)は思います。害虫の被害がないように対策をする必要がありますが、今年(令和6年〔2024年〕)はカメムシが異常に発生したため大きな被害が出てしまいました。」
(カ) 忌地の問題
「モモは落葉果樹ですので忌(いや)地(ち)(連作障害)の問題があり、同じ場所で同じ作物を連続して栽培すると、収量が減少したり、作物の品質が低下したりします。この対策は今も難しく、深刻な問題だと私(Bさん)は思います。」
(キ) 難しい観光農園経営
「現在、松野町で観光農園を行っているところはありませんが、以前は観光農園をしていた人がいたと私(Bさん)は聞いたことがあります。観光農園は採算が取れないことやモモは繊細な果物で毎日状態が変わることから難しいのだと思います。モモを収穫する日をお客さんに合わせることはできません。また、お客さんが来る日をモモに合わせることもできません。以前の観光農園は、木を1本買ってもらい、収穫の前まで農家が育てて収穫してもらうという方法でやっていたそうです。」
カ モモ取引の変化
「モモ取引の様子は昔から大きく変わったと私(Bさん)は思います。道の駅ができてからは農家も直売ができるようになりました。今も農協に出荷する人もいますが、農協を通さず道の駅やインターネットなどで販売をするという流れも出てきました。」
「平成9年(1997年)に道の駅ができてからは個人で出荷する人が増えました。私(Aさん)たちの農業団地である緑ヶ丘団地でモモを作っている人は12名くらいいますが、農協に出荷しているのは3名か4名くらいになりました。農協への出荷量は令和3年(2021年)に8.7tでしたが、令和5年(2023年)は7.9tで、年々個人で売りに出す人が増えて農協への出荷量は減っています。」
キ 加工用桃
「『大久保』と『清水白桃』という品種のモモを作っている人たちは、加工用桃を宇和島(うわじま)市三間町の『株式会社源吉兆庵』に出荷しています。宇和島市と鬼北(きほく)町、そして松野町が源吉兆庵と原料供給の協定を結んでいて、松野町はモモ、鬼北町はクリ、宇和島市はビワとカキの原料供給をしています。加工用桃は、生食用と比べると取り扱うのが楽であり、出荷先が決まっているのが良いところだと私(Bさん)は思います。」
「平成27年(2015年)から私(Aさん)は加工用桃を栽培しています。農協でも生食用の桃部会とは別に鬼北加工桃部会を作り、私は会長をしています。会員は8名いますが、作るのをやめた人もいるので、加工用桃を出荷しているのは4軒だけです。加工用桃より生食用のモモを栽培している人の方が多いです。
加工用桃はあまり大きいものは必要ないと言われますので、200gくらいのものを出荷しています。生食用のモモは赤くないと売れませんが、加工用桃は赤くないものを出荷します。」
ク モモ栽培の減少
「五郎丸団地はモモの栽培が多い団地でした。今もモモを栽培していますが、昔に比べると減ってきています。私(Aさん)がたまに五郎丸団地に行ってみるとモモの木を切ってユズになっているところもあります。
私たちの緑ヶ丘団地は今もモモを作っている人が残っていますが、ユズの栽培に変えたところもあります。私の家もモモを栽培していた場所の一部は、モモの木を伐採して1aほどユズを植えています。」
「昭和50年代はモモの生産が多かったのですが、モモからユズに切り替える人が多くなり、私(Bさん)も現在はユズを多く作っています。モモの農家戸数は減りましたが、現在も松野町の特産品として生産されています。」
「私(Aさん)の周りのモモ農家も高齢化しており、後継者がいないことが大きな問題です。後継者がいなかったら耕作放棄地になってしまい、実際、増えてきています。
現在、緑ヶ丘団地のモモの栽培面積は3haくらいで、モモを栽培している人は多いときには14名いましたが今は8名と年々減ってしまっています。私も今年(令和6年〔2024年〕)で91歳になり、後継者問題は他人ごとではありませんが、今は娘が主でモモの栽培をしてくれていて、一緒に頑張っています。私は娘が収穫をしているのを手伝ったり、消毒や剪定、袋掛けをしたりしています。
私も元気なうちは稲作とモモの栽培を頑張りたいと思っています。私たちは、特産品である松野町のモモを生かすように役場にお願いしています。松野町のモモは後世に残していかなくてはいけません。」
(2) ユズの栽培
ア ユズの栽培の増加
「松野町ではユズが多く生産されています。松野町と鬼北町はユズの生産が多いことで有名ですが、現在は鬼北町よりも松野町の方が生産量は多いと私(Aさん)は聞いています。」
「現在、私(Bさん)はユズを多く作っています。ユズやモモなどの作物は関係機関が作成している栽培指針があり、それをもとに防除などを行って栽培をしています。
ユズは黄色くなると採って、寝かさずに出荷しています。ユズはモモ以上に摘果などの作業が大切ですが、現在の栽培指針ではユズの方がモモに比べると手が掛からない面があり、モモからユズに変えたり、耕作放棄地にユズの木を植えたりする人が増えています。」
イ ユズの防除
「ユズはモモと比べると防除の頻度は少ないですが、昔の方が今よりも回数は多かったことを私(Bさん)は憶えています。私の父がユズを作っていた頃は、贈答品用のユズも作っており、防除の回数が多く、栽培方法の違いで外観のきれいなユズができていました。きれいなユズは贈答品として箱入れして出荷しており、父が家でユズの箱詰めをしていました。
現在はユズの搾汁が目的になっており、鬼北町にあるJAの取引先も自然栽培に近いユズを求めています。見た目のきれいなユズではなく、自然栽培に近いユズを作るため限られた防除回数になっています。」
ウ ユズ園の除草
「ユズはモモよりも作るのに手が掛からないところがありますが、除草についてはモモよりも大変だと私(Bさん)は思います。モモ園は除草剤を使っても良いのですが、ユズ園は除草剤を使ってはならず、どんなに広い農地でも除草剤を使わずに草刈りをしています。JAの取引先が自然栽培に近いものを求めていることが大きいと思います。」
(3) 現在の松野町の農業
ア 松野町の様々な農業
「松野町ではクリを生産している農家もいます。クリについては、私の家では出荷はせず自家消費のみです。私(Aさん)は会員ではありませんが、クリ農家は栗部会を作っており、20名くらいが参加しています。栗部会の活動は活発で、熊本の人吉(ひとよし)市に研修に行ったりもしたそうです。」
「現在はウメの生産が盛んであり、『南高』という品種で、完熟したものを収穫するのが大半です。クリやウメの生産量がもっと増えればいいと私(Bさん)は思っていますが、ウメの場合はモモと同じ落葉果樹ですので忌地の問題があり、農家の人たちはウメの生産を増やすのに苦しんでいると思います。」
イ 松野の農業の課題と取組
(ア) くらしの様子の変化
「全国的な問題となっている少子高齢化は松野町でも大きな問題となっています。松野町の秋祭りは、昔は大変にぎやかだったことを私(Aさん)は憶えています。以前は子どもたちが牛鬼を作って地域を歩いていましたが、子どもが少なくなってしまい、そのような光景を見ることがなくなりました。今は人手不足で地域の行事を行うことが難しくなってきています。今は秋祭りのときに道の駅に屋台が来ていますが、昔のようなにぎやかさはありません。
11月には各組で亥(い)の子をしています。子どもたちの行事として11月に2回ありましたが、今は1回だけになりました。以前はわらの亥の子と石の亥の子をやっていましたが、今はわらの亥の子はなくなって石の亥の子だけになっています。子どもの数が少なくなり、亥の子の歌を知らない子どもが多くなっています。また、地域の行事や子どもたちの行事も年々少なくなっています。
私の周りで農業をしている人も高齢化が進んでいます。後継者がいないため耕作放棄地が増加しています。また、草刈りが不十分で通れない農道があり、地域の人で協力して草刈りをしているという状況です。」
(イ) 株式会社松野町農林公社
「近年、過疎化や高齢化、担い手不足等が進んでいます。このため、生産の停滞や耕作放棄地の増加が懸念されています。また、農業機械等への投資が零細農家を圧迫しているという課題もあります。
この課題を解決し、農業の振興を図るためにJAや森林組合の協力のもと、平成10年(1998年)に『株式会社松野町農林公社』を設立されました。
松野町農林公社は、若い担い手の確保育成、既存農家への支援育成による経営改善、新規作物及び既存作物によるアグリビジネスの展開を事業目標としています。事業内容として、育苗施設での野菜苗や花苗等の生産、施設園芸研修施設での担い手の育成、総合営農指導拠点施設での地域農家支援事業、アグリレスキュー隊による農地の保全、農産物の加工販売を行っています(写真2-1-1参照)。
高齢化や後継者不足、耕作放棄地の問題への取組としては、アグリレスキュー隊への作業委託があります。私(Bさん)の家では、家族で農業をやっているのでユズの収穫が間に合わないときがあり、このときはアグリレスキュー隊に依頼する場合もあります。高齢者を中心にかなりの委託があると思います。」
(ウ) これからの松野町の農業
「農家には先を見る目が大切だと私(Bさん)は思います。先を見て作物を変えることは勇気がいるので、今作っている作物が高い利益を上げているのにほかの作物を育てようとする人は少ないです。収穫できる作物の木があるのに、それを切ってほかの作物を作るのは思い切りが必要ですが、新しい作物の栽培に挑戦していくことも大切です。」
「県営農地開発事業でモモの生産を進めるように働きかけたのは良かったと私(Aさん)は思います。県営農地開発事業が行われるまでは栽培されていなかった果実を生産し、県下屈指のモモの産地になりました。松野町の特産品であるモモを生かした取組をしたり、モモに続く新しい作物に挑戦したりすることを、役場と協力して世代を超えて行っていく必要があると思います。」
参考文献
・ 松野町『松野町誌』1974
・ 愛媛県『愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)』1985
・ 角川書店『角川日本地名大辞典38愛媛県』1991
・ 松野町『松野町誌 改訂版』2005
写真2-1-1 松野町総合営農指導拠点施設 松野町 令和6年9月撮影 |