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伊予の遍路道(平成13年度)

(2)香園寺道

 大明神川を渡ったところの分岐点に立つ茂兵衛道標(53)から左に道をとり、まっすぐ進むと六十一番香園寺への遍路道となる。この道は、生木地蔵を経由しないで、先に香園寺へ行き、その後六十番横峰寺へ行くという逆回りの香園寺道(東まわり)の道である。現在は県道孫兵衛作壬生川線(159号)になっている。遍路道は大明神川たもとの分岐点から約1.4km南東に進んで、東予市喜多台(きただい)に入る。右手に喜多台児童遊園地がある四つ角に至る。この南隅にかつて「右へんろ道」の道標があった<31>ようであるが、その後、この地の拡幅工事以来行方不明になっている。また、この四つ角の南西角の畑には接待所があったともいう。
 県道159号は旧街道(西条道)である。旧街道は、その後東予市内の壬生川(にゅうがわ)の街中・三津屋・北条を経て小松町、西条市へと至る。一方、遍路道は先の四つ角を右折し遊園地の東側を通って、100mほど南西に進み、四つ角に至る。そこには昭和30年代に建てられた道標が立っている。地元の人の話によると、そこには以前古い道標があったが、いつのまにか無くなったので、元の場所に新たに道標を建立したという。遍路道は手印に従って左折し、南東にまっすぐ進んでやがて市道楠浜北条線と合流し、さらに新川に架かる円海寺橋を渡り、東予市役所の南を過ぎる。
 円海寺橋から北東に約800m離れた壬生川公民館(壬生川200)には道標(72)がある。小松藩の両替商和田屋利平の建てたものだが、刻字から推察すると東予市円海寺あたりの遍路道上にあったものと思われる。
 遍路道は、県道壬生川丹原線(48号)を越えて南東に300mほど進み、**邸(下貝田244-1)前の四つ角に至る。そこには壬生川公民館にあったものと全く同じ刻字の和田屋利平の道標(73)がある。そこから南東に進み向口川を越えると、すぐ右手に一つの石に彫られた2体の地蔵があり、南東に540mほど進み二つに分岐した道の右側の道をしばらく行くと、右手の闇岡(くらみ)神社前の**邸(石田本郷601-2)横の道路沿いに道標(74)がある。そこから約100m進むと四つ角に至り、北東の角に道標(75)がある。遍路道は、ここからさらに進んで中山川に至り、現在のJR予讃線の中山川鉄橋の少し上手(西側)で川を渡っていたというが、この間の道は定かでない。
 香園寺道と大分離れたところにある東予市周布公民館のすぐ北西の酒店前(周布本郷1290)に、道標(76)がある。この道標は、『東予市誌』によると、生木道の途中、東予市桑村または同新町で左折をし、丹原町願連寺を経て東予市周布を通り、同吉田辺りから中山川に出る別の遍路道沿いにあったもの<32>のようである。