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えひめ、その住まいとくらし(平成17年度)

(3)傾斜地に住まいを構える

 佐田岬(さだみさき)半島には平坦部の限られた土地に住まいを構えるための工夫を見ることができる。同半島は愛媛県八幡浜(やわたはま)市から西へ約40kmほどの長さで細長く突き出した半島で、半島の北には伊予灘(いよなだ)、南には宇和海(うわかい)が広がっている。現在では三崎(みさき)町、瀬戸(せと)町、伊方(いかた)町の三つの町が合併した伊方町と保内町が合併により八幡浜市となって新たな歩みを始めている。半島は東西に山地が連なり、傾斜地が多く、平地には恵まれていない。
 写真序-3は伊方町(旧三崎町)の東南部、宇和海側の海食崖(かいしょくがい)上海抜100m~200mに位置する名取の集落である。この集落では、限られた平坦部を広げようと半島一帯に分布する緑泥結晶片岩(りょくでいけっしょうへんがん)を積み上げて堅固な石垣を築き、屋敷地を形成している(口絵参照)。この工夫が、ひな壇に家々が建ち並んでいるかのような景観を産み出したのである。石垣を積み上げる専門の石工職人は「エバさん」と呼ばれ、家々の基礎部分ばかりでなく、山を切り開いてつくった畑にも、土が崩れないようにその周辺を石垣で囲い、ここでのくらしを支えてきた(⑧)。形成された屋敷地にも一つの工夫がある。それは家屋の下側に「練(ね)り塀(べい)」(一般的に練った泥土と瓦を交互に積み重ねて築いた土塀のこと。写真序-4参照)で囲まれた地下室を設け、そこを牛小屋(駄屋(だや))として用いることである。このような家の構造や名取地区の住まいについて、西宇和郡伊方町名取に生まれ育った**さん(昭和10年生まれ)に話を聞いた。
 「名取の家の建て方のお話をしますと、ここではたいていの住宅は海に面した南側に玄関をとり、建物全体も海に面するように建てられています。海からの風が強いので、その備えとして瓦屋根に漆喰(しっくい)(日本古来より用いられてきた塗り壁用の材料で主原料は消石灰)をした家もありますし、潮風への対策として壁などにコールタールを塗ったりする家もあります。この辺りでは昔から瓦葺の家が多かったのです。私が子どものころにわら葺(ぶき)の家を見た記憶がありますが、このあたりは平地が少ないので、屋根を葺くための麦を作ろうにも十分な広さの畑がとれません。わらは手に入りにくかったのです。そのかわり、山が近いので杉皮のほうが手に入りやすく、杉皮葺の家がありました。しかし、台風のときに杉皮葺の屋根が飛ばされてしまったことがあったことを覚えています。終戦直後のころまでは、必要な材木を自分の山から切り出して家を建てていました。
 私の家を昭和21年(1946年)に建て替えたときには、三崎町三崎(現伊方町三崎)に瓦屋さんが2軒ありましたので瓦をそこから買いました。瓦などの荷物は陸路ではなく、下の浜辺まで船で運びました。浜辺から荷物を運び上げるわけですが、運ぶにも道が狭いので私なんかはまるで猿蟹(さるかに)合戦に出てくるカニのように横ばいになって運びました。当時は、家を建てるのも、古い家を解体するのもコウロクという共同の助け合いの制度がありましたから、みんなの共同作業で家を建てていたのです。手伝いにやってきた人には施主が、昼と夜のまかないをして、もてなしていました。大工さんは地元の方でした。大工さんへの手間賃ですが現金よりも、現物がほしいといわれ、サツマイモ、カンコロ、麦などを渡しました。現金では1万円も出していなかったと思います。
 ここからはウシの飼育や牛小屋についてのお話をします。私が物心ついたときにはどの家にも地下室でウシが飼われていました。この辺りではどこの家でも屋敷の下には必ず地下室があるのです。たとえ平坦なところでも段差をつけて必ず掘ってつくるのです。私もウシのえさにする草を刈り取りによく行っていました。草を刈るのは子どものころの日課でした。なぜ地下室でウシを飼ったのかというと、トタンなどの屋根で小屋を作ったら熱がこもってとても暑くなるからです。それが地下に練(ね)り塀(べい)で囲ってつくると、気温や湿度も高くなりすぎないのです。自分の家でウシを飼っていると、やっぱりそうだと思うようになりました。私の月給が4,000円ぐらいのときに、種牛が80,000円でした。そんな高いウシを買ってどうするんだと、ずいぶんおやじにしかられました。でも種付けは1回4,000円で引き受けましたので、昭和27、28年ころには多い時に名取では80~90頭ぐらいウシがいましたから、結構いい収入になりました。ウシを飼っている家では3年間肥育して瀬戸町(現伊方町)にある大久の市場に出荷していました。一頭がだいたい40,000円~50,000円くらいで売れ、それなりのお金にもなりましたので、ウシが売れるとお祝いをしていました。また、ウシを飼うにはもう一つわけがあるのです。それは畑にまく堆肥(たいひ)を取るためです。化学肥料が普及するまでは、海藻(かいそう)をとってきてそれを肥料にして畑にまいたりしていたのです。ですから、この辺りではウシの糞(ふん)がとても貴重な肥料となっていたのです。」
 このように名取では、地域の人々が助け合いながら傾斜地の少ない平坦部を生かして住まいを構え、そして限られた屋敷地も有効に使って生活していたのである。

写真序-3 伊方町名取の景観

写真序-3 伊方町名取の景観

伊方町名取。平成17年8月撮影

写真序-4 練り塀

写真序-4 練り塀

伊方町名取。平成17年7月撮影