データベース『えひめの記憶』
えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業27-松野町-(令和6年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)
1 松野町の水産業
(1) 松野の天然ウナギ
ア 天然ウナギの旬
「私(Bさん)は、若い頃に3、4年間くらい松山(まつやま)でサラリーマンをしていたのですが、26、27歳の頃に父が他界して、松野町に戻ってきました。現在は農業をしていますが、時期によってウナギやテナガエビ、カニの漁をするのが私の最大の楽しみでもあります。昔は川に入ったら、そこら中で石の間から天然ウナギが顔を出していました。本当にたくさんいたことを憶えています。
松野町のウナギは、中には50cmくらいになるものもいますが、比較的小ぶりなサイズが特徴です。毎年5月の連休からウナギをとっていますが、広見川でウナギの稚魚を増やしていくために9月一杯でジゴクを使ったウナギ漁は終えなければなりません(写真2-2-1参照)。
ウナギの旬というのは10月から11月頃で、もう冬に入るという直前の時期が一番の旬だと思います。7月末や8月初めの土用頃が旬だと思っている人が多いのですが、そう考えているのは人間だけで、ウナギに一番脂が乗るのは10月から11月です。暑さが増してくる時期に私たちが夏ばてしないようにウナギを食べようと言っているだけで、土用の丑の日というのはウナギの本当の旬ではありません。
本当の旬である10月頃のウナギは見るからに脂が乗っているのが分かる黄色い色をしています。これは、冬に入る前にウナギが大量に食料を食べる時期であり、その時期のウナギは黄色く変化してくるのです。特に松野町のウナギは、腹の部分が黄色くなるのが特徴で、脂が乗っているのがよく分かります。」
イ ウナギをとる楽しみ
「私(Bさん)がウナギをとっているのは、広見川の中でも高知県との県境に近い大場瀬という辺りです。少し上流のJR真土駅の近くではまた別の人が漁をしていて、私はほかの人があまり行かない場所まで行って漁をしています。ウナギ漁の縄張りはあることにはありますが、正式に決められたものではなく、お互いに配慮し合いながら各々が漁をしています。私は川漁をするために小型の船を持っていますので、幾つかの場所に船をつないでいます。
昔は夕方に仕掛けを川につけて、翌朝に上げていました。朝、仕掛けを引き上げる瞬間、仕掛けの重さでウナギが入っているかどうか分かりますから、そのときが本当に楽しみです。現在は農業をメインの仕事としていますので、仕事の合間や昼御飯を食べて午後の作業まで時間があるときに川まで行って仕掛けを浸し、翌日も15時頃までに仕掛けを取りに行きます。また、そのときに仕掛けの餌も交換したりしています。農業も漁も時間が幾らあっても足りないのですが、農業をしないと食べていけませんから、仕事の方が優先されるのは仕方がないことです。」
ウ 松野のジゴク
「ウナギをとるためのジゴクという仕掛けは昔からあり、昔は竹の筒を加工して作っていましたが、現在は木の板を組んで作っています。現在、私(Bさん)が使っているジゴクも全て木の板を組んで作ったもので、最近ではもう竹の筒を使ったジゴクはほとんど見なくなりました。竹の筒の節に穴を開けて、小舌という折り返しを付けて、一度入ったウナギが外に逃げられないような仕組みになっています。
ジゴクの中には、ウナギの餌であるミミズを仕掛けておくのですが、最近はもうミミズがあまり取れなくなってきています。また、仕掛けたジゴクには浮きを付けていて、浮きに目印を入れておくことで、誰の仕掛けか分かるようにしています。
同じような漁具は高知県でも使われているそうですが、愛媛県ではベニヤ板を使って作られたものが最近増えてきているのに対して、高知県では木の板で作られているものが主流だそうです(写真2-2-2参照)。ジゴクは松野町の道の駅でも販売されていますが、あれは吉野生の人が作って販売しているものだと思います。
数年前に『テレビで見たのですが、松野町のジゴクを送って欲しい。』と電話で依頼があり、岡山県までジゴクを一つ送りましたが、天然ウナギをとろうと考えている人がまだいるのだと思いました。岡山県の方でもウナギがとれたかどうか、その後は分かりません。
宇和島(うわじま)市津島町の岩松川でも、ウナギ漁が行われています。岩松川の河口に橋が架かっていて、その辺りは海水が交わる汽水域でウナギがとれます。橋の下の辺りで石ぐろという石を積んだ仕掛けを作って、石の中に入ってきたウナギを挟んでとる漁をしているようです。しかし、岩松川の下流域でとれるウナギは、四万十川の上流域である松野町の広見川でとれるウナギと比べて、身の締まりが全然違うと思います。
同じ天然ウナギの漁だとしても、そういう意味では、松野町のウナギ漁はこれからも残して欲しいと思っています。松野町の天然ウナギは、養殖ウナギはもちろん、ほかの地域のウナギと比べて全然味が違うのです。昔、テレビ局の取材が来たときに、ジゴクの中に小さくて青いウナギが入っていたので逃がしたのですが、『もったいない、もったいない。』と言って大騒ぎになったことを憶えています。私たちからすれば、脂の乗っていない青いウナギは松野のウナギとは言えませんから、とっても逃がすのは当たり前です。」
(2) ウナギ漁の変化
ア 養殖の広まり
「広見川で天然のウナギ漁をする人が減ってきたのは、昭和30年代、40年代だったと私(Bさん)は憶えています。これは全国的にウナギの養殖が始まり、ウナギの価格が低下したことと、四万十川河口で養殖のために稚魚をとり始めたためにウナギの個体数が減少したことが大きく影響しています。今は県外に養殖場がたくさんありますし、全国でも天然ウナギをとっているところはほとんどないのではないでしょうか。
以前は松丸でもウナギの養殖をしている業者がありましたが、1年足らずでやめてしまいました。」
イ 環境の変化
「農業をしていても、私(Bさん)が子どもの頃は11月くらいに米の収穫をしていたのに、今は8月のお盆が終わる頃には稲刈りが終わっています。暑い盛りの中で稲刈りをしないといけないのですが、何がどう影響してこんな風になってしまったのかよく分かりません。しかし、ウナギに関して言えば、年々暑くなってきているのですが、気温の変化はウナギの生態にはそれほど影響していないと思います。
それよりも、昔と比べて広見川の環境は随分変わってきています。現在も河川の護岸工事をしていますが、この工事もウナギの生育環境として良いのか悪いのかよく分かりません(写真2-2-3参照)。確かに昔はもう少しゆったりとした川の流れでしたが、護岸が整備されて川の流れが速くなったことが、ウナギにどのような影響があるのか正確なことは分かっていません。
さらに、河川の流れや水質だけでなく、川底の石も影響しているのではないかと考えています。護岸工事をすることで、水量が多くなるので石が全て下流に流れてしまいます。川の流れの速い箇所では、川底に石が全くありません。平成30年(2018年)の西日本豪雨のときにも、この辺りでは川沿いのビニールハウスが地面から90cmくらいの高さまでつかってしまいましたが、それ以降、いろいろな所で河川の護岸工事が進んでいきました。もちろん災害からの復興は大切ですが、河川環境や水質への変化は非常に大きいと思います。
また、最近ではカワウ、シラサギ、アオサギが来て、川魚を全部食べていってしまいます。私が子どもの頃は、この辺りにこういった鳥は全くいませんでした。ゴイサギという小さい鳥はいましたが、そのゴイサギの姿を見なくなった代わりに、大きいシラサギやアオサギばかりになってしまいました。カワウも80羽くらいの集団で広見川に飛んできているのを見ると、川魚への影響は小さくないので、なんとかしてもらわないといけないと思っています。今はどこの川でも問題になっているそうですが、これではアユなどの稚魚を放流しても、鳥に餌をあげているようなものだと思います。」
(3) 広見川での川漁
ア アユの行方
「私(Bさん)はウナギだけでなく、昔からカニやエビ、アユもとっています。アユは6月から友掛け(友釣り)と呼ばれる釣り方が解禁され、私たちが主にしている網でとる漁法は8月から解禁されます。去年は2,000匹くらいアユをとりましたが、今年(令和6年〔2024年〕)は7月末の時点でまだゼロです。もうすぐ網でアユをとれる時期になるのですが、今年はそもそもアユがいないのです。
やはり水質が変化してきているのではないかと話しているのですが、河川の水質が少しでも変わってしまうとアユが遡上しなくなってしまいます。去年、一昨年は例年よりも多くいて、たくさんとれたのですが、今年は急に見なくなりました。毎年、広見川でアユの放流をしているのですが、放流したアユも全て四万十川に下りていって、戻ってこなくなりました。
網を仕掛けて、例年のようにとれなかったら本当に大問題だと思います。台風でも来て、川の水量が増えて川の中を全部掃除してくれたら、もしかするとアユがこの辺りまで遡上してくる可能性はあると思っています。昨年、あれだけの量のアユが産卵しているとしたら、今年も大漁になると期待していたのですが、今の時点では松野町の辺りまで遡上していません。
普段からほかの漁業関係者と密に連絡を取り合っているわけではないのですが、高知県にいる親戚や知り合いに聞く限りでは、下流の四万十川でも今年はアユが少ないと言っていました。以前は私にアユの友掛けを教えてくれていた先生から、『今年はアユが多いぞ。』といった下流域のアユの釣果事情を聞くこともできていたのですが、その方が亡くなられてしまってからはそういった話も全く聞くことができなくなりました。」
イ ごちそうだったカニ
「広見川には本当にカニがたくさんいます。モクズガニのことを、この辺りではツガニと呼んでいますが、足まで含めると30cmくらいになります。今の時期は暑いのでまだこの辺りにはいませんが、秋になって水温が下がり始めると上流から下りてきます。例年だと9月になったらツガニが取れていましたが、近年では9月の後半くらいにならないと水温が高くてとれません。
この辺りでは、ジンドと呼んでいるカゴを仕掛けてカニをとっています(写真2-2-4参照)。カニの餌になる小魚を入れて、入り口を下流に向けて沈めます。ジンドは入り口の部分こそ狭くなっていますが、エサが置かれている部屋は広く、多いときは一度に50匹ほどのカニが入っています。
私(Bさん)は、とったツガニを芋炊きに入れたり、カニ雑炊にしたりしていました。芋炊きにカニを入れるといいだしが出て本当においしいのです。以前はお客さんを呼んで料理を振る舞っていたこともありますが、それには相当な労力が必要になりますので、今年(令和6年〔2024年〕)からはもうやめてしまいました。
それでもカニはまずまずとれていますので、うちの近所だけでなく内子(うちこ)町や松山市からも決まって買いにくる人がいます。以前は内子町でもカニがとれていたそうなのですが、最近はもういないそうです。県外では、徳島県にもツガニを送っているのですが、徳島県でも昔はカニがいたけれど、今はいなくなってしまったので松野町から買っていると聞いています。そう考えると、松野町はまだカニがとれるので良い所だと思います。」
ウ テナガエビの移り変わり
「テナガエビはほとんど商売にはなりませんから、自分たちの家で食べるくらいのものです。テナガエビは、一時期、数が減少した時期もありましたが翌年にはまた増えてきたり、生息数の変動が大きいように感じます。これも水質が影響しているのではないかと思いますが、エビは一度に大量の卵を産み、繁殖力が高いことが特徴です。昭和20年代、30年代には私(Bさん)の周りでもエビの漁だけで生活している人がいたくらいです。
テナガエビは体長30cmほどで、そのうち半分くらいを手が占めています。仕掛けは40cmから50cm程度の筒状になっていて、筒の片側に返しが付いていますから、一度入ったエビが出られないように作られています(写真2-2-5参照)。
以前はテナガエビだけでも3、4種類が広見川に生息していたのですが、最近では種類が変わってきていて、昔いたようなテナガエビはこの辺りにはいなくなってしまいました。特にムギワラエビと呼んでいた体長15cmから30cmくらいのエビはたくさんいたと憶えていますが、今ではもう全く見られません。」
エ 魚食文化の変化
「昔は、川のあらゆるものをとっていたことを私(Bさん)は憶えています。ナマズ釣りでは1日に18匹も釣れたことがありました。そんなに釣れることはめったにありませんでしたが、それも水が濁っていないときに釣れたので、特に記憶に残っています。
子どもの頃には、1日に50匹以上フナを釣ったこともありますが、今ではこの辺りでもフナが少なくなっています。昔はコイもとって食べていましたが、今では誰もコイを食べなくなってしまいました。京都ではコイを食べる文化が残っていて、とても高値で取引されているそうですが、この辺りでは誰も食べません。
また、体長20cmくらいのハヤンボ(ハヤ)も昔はよく釣って食べていましたが、今では食べる人も釣る人もいなくなってしまいました。」
(4) ウナギを食す
「昔は、松丸でも4軒はウナギを出している料亭や料理屋がありましたが、現在は一つもなくなってしまい、本当に寂しく思います。末廣旅館は比較的最近までウナギ料理を出していましたが、現在では営業をやめてしまっています。松野町のウナギ料理を守っていきたいという気持ちを持っていたことは周囲の人間も分かっているのですが、商売として続けていくことがなかなかできない状況になってきているのだと思います。
繁盛していた頃は、高知県中村(なかむら)市(現四万十(しまんと)市)の漁師さんからも仕入れていました。今でも高知県の人を土佐の人と呼んでいるのですが、広見川の下流である四万十川水系でとれたウナギを、土佐の人が松野町の旅館や料亭に持ってきていました。
ウナギの仕入れが始まる頃には、旅館のおかみさんが松山市などのお得意さんに『ウナギがとれる時期になりました。』と手紙を書いたり、ウナギの時期が終わりに近づいてきたら今度は『マツタケのおいしい季節になりました。』と案内したりして、松野町に人を呼び込んでいたことを私(Cさん)は憶えています。松山市の方でも松野町のウナギ料理は非常に有名だったと聞いています。
松野町でウナギを出す店は、しばらく前まで3軒ありましたが、どの店も本当においしいウナギを出していました。全国的にウナギを食べるお客さんが増えて、需要に応えるために安定してウナギ料理を出すにはウナギの養殖も必要不可欠ですから、松野町のように天然ウナギを食べられるところは日本全国でも少なくなってしまいました。」
「私(Bさん)は、松丸の末廣旅館にウナギを卸していましたが、途中から自分のところで個人客相手に売り込むようになりました。一時期は現町長の実家である松坂亭にも出していましたが、現在ではもう店をやめられています。
末廣旅館が最近まで営業していました。それ以前にも、松丸には松坂亭と旅館きらくがあったので3軒の店が営業していました。杉山はもう随分昔に店を閉めたと思います。にぎわっていた頃は高知県からも相当な量のウナギを仕入れてきていたようですが、最近は随分お客さんが減っていました。それに追い打ちをかけたのが新型コロナウイルス感染症です。コロナ禍で町の外からお客さんがやって来ないことにはどうにもなりませんでした。」
写真2-2-1 ウナギをとるジゴク 松野町 令和6年7月撮影 |
写真2-2-2 べニヤ板を使ったジゴク 松野町 令和6年4月撮影 |
写真2-2-3 護岸工事の進む広見川 松野町 令和6年7月撮影 |
写真2-2-4 カニ漁で使うジンド 松野町 令和6年7月撮影 |
写真2-2-5 エビをとる仕掛け 松野町 令和6年7月撮影 |