データベース『えひめの記憶』
中山町誌
一、 中山中学校 ②
11 学校行事
農繁休業
戦後間もない昭和二三年(一九四八)の記録によると、六月の麦の収穫と田植え頃に二〇日間、一〇月末の稲刈り、麦播き期に一〇日間、合計年間三〇日の農繁休業を実施している。
産業形態の変化に伴い、その後日数が減少し、昭和三八年六月の実施を最後に、それ以後農繁休業は実施されていない。
少年式
農繁休業を実施しなくなった昭和三九年度から少年式が行われるようになり、今日まで続いている。
本校では、年度によって行事内容も一定ではないが、秦皇山登山、マラソン、もちつき、決意発表、色紙等の作品展示、全員による合唱、親子レクリエーションなどを儀式の当日やその前後に実施してきた。
自然体験活動
生徒たちが、大自然の中で集団生活をすることによって、自主性や社会性を身に付けることをねらいとして、二年生を対象に昭和四五年から自然体験活動が実施されてきた。第一回は中山町公民館が主催し、一年生、二年生合わせて八〇名が参加した。
最初の四年間は町内の秦皇山で実施されたが、山村の中学生には海浜の体験が必要との見地から、昭和四九年度より越智郡大三島町、大洲市、伊予郡双海町上灘、北宇和郡津島町などで実施されるようになった。
なお、平成五年度一人当たりの費用は七、五〇〇円となっている。
12 PTA活動
本校PTAは、中学校創立年度の昭和二三年(一九四八)二月に発会式を挙行している。しかし、戦後の混乱期にあって生活にゆとりがなく、一〇年間近く目立った活動記録が残されていない。
昭和三一年一二月、本校創立記念行事として行われたのが最初の参観日であり、この時、講演会や作品展示等を実施している。翌昭和三二年に創立記念式典を挙行し、同時に文化祭を実施しているが、これらの行事がPTA活動活性化の引き金となり、昭和三三年の五月には総会が開催され、九月には今治方面への研修旅行を実施している。
また、昭和三六年(一九六一)からPTA広報紙が発行されるようになった。
歴代PTA会長
昭和二三~二五 亀元 好恵
〃二六~三四 高橋 一松
〃三五~四〇 西本 東
〃四一~四三 玉井 久夫
〃四四~四八 田野上万作
〃四九~五〇 久保田和男
〃五一~五二 植田 好弘
昭和五三~五四 仙波 道淳
〃五五~五八 池田 政敏
〃五九~六〇 船田 繁俊
〃六一~六二 森岡 善憲
〃六三~平一 中島 征雄
平成 二~ 三 上原 誠行
〃 四~ 五 松本 武文
13 同和教育
昭和四四年(一九六九)に同和対策特別措置法が成立し、これに基づいて愛媛県では、「同和教育基本方針」を四年後に策定した。この基本方針に従って各学校では同和教育に対する基本的認識を深めることや、具体的な指導の在り方に付いて校内研修を推進した。
中山中学校では、その具体的な活動として、PTAを対象に「同和教育講演会」を昭和五一年に開催した。
また、翌五二年には、小・中学校合同による同和教育研修会を実施し、昭和五三年一〇月の参観日には、同和教育の授業を初めて保護者に公開した。
現在では、同和教育に関する資料も豊富になり、授業内容の充実はもとより、人権作文発表会、映画鑑賞会、校内シンポジウム等の活動を通して生徒の人権尊重の意識も次第に高まりを見せている。
14 地域社会学校教育
愛媛県教育委員会では、昭和五一年(一九七六)から主要施策の一つとして、「地域社会学校教育」を推進しているが、本校では、昭和六一・六二年度の二年間その研究校として愛媛県より指定を受けた。努力点として
(1)地域素材の教材化
(2)体験学習の推進
(3)地域の連帯感の育成
(4)地域の教育力の活性化
(5)地域における奉仕活動
などを上げている。これらの観点を基に、中山中学校では、いろいろな教育活動に取り組んできた。以下一部を列記する。
ア 地域との連携を密にした活動
・親子わらび折り遠足
・三世代交流学習
・テレビセミナー
イ 地域素材の教材化
・記念碑、句碑めぐり
・先人の伝記調べ
・地域の特産物調べ
・中山川水質検査
・「むらおこし運動」の学習
ウ 地域行事への参加
・夏まつり総参加
・中山川クリーン活動
昭和六一年度の研究指定校としての発表以来、活動の内容や方法に変更も一部にあるが、一貫して今日まで引き継がれ伝統として定着している。