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中山町誌

一、 中山中学校 ①

 1 名称
 中山町立中山中学校

 2 位置
 中山町大字出淵二の一六五

 3 校章
 昭和二二年六月、全職員の全知によって、本校教育の根本理念たる校章、校訓、校歌が制定された。中学の中と中山の中を中央上方に大きく。三H(知育・徳育・体育)をモットーとした山の図案化に中山中学校の象徴を示したものである。

 4 校訓
 明朗・責任・礼儀、三Hと相俟って、この三つの目標を旗印に、全人教育を目指したものである。

 5 校歌
 中山中学校校歌
             作詞 妻鳥 堯寛
             作曲 清家嘉寿恵
一、空ゆ声あり玲瓏と 地に香りあり生気湧く ああ、秦皇嶺の黎明に
  我等は築く祖先の地 燃ゆる希望のらんらんと ゆくて輝く文化の陽

二、並び聳つ偉烈の碑 朝な夕なに仰ぎつつ その懐に育くまれ
  胸に高なる三H 天切る風に旗めくは かざす健児の意気の旗

三、栄ゆる母校の伝統は 近きに道を指させり 聞け晨光の降る音を
  見よ烈々の日輪を 求めて止まぬ雄叫に 示せ巨人の跡著るく

 作詞は、中山町豊岡出身で、松山市余戸に在住(平成六年九月現在)の妻鳥堯寛によるものである。
 校歌の制定は昭和二三年で、作者が教員になって二年目の五月であった。当時職員会で校歌のことが議題となり、有志が作詞することになった。しかし、応募数は三、四点しかなかった。そのうちのいずれを採用するか職場では結論が得られず、結局作曲者にゆだねることとなった。
 愛媛大学教育学部の清家嘉寿恵教授に、歌詞の選定と作曲を合わせて依頼し、現在の校歌が作られた。
 歌詞の一番では、郷土の美しい自然と誇り(水・空気・大地)の象徴として、中山町を代表する秦皇山を取り上げた。二番の「並びそば立つ偉烈の碑」は、桑原探底(中学校前庭)・太森只衛(体育館入口)・山岡栄(盛景寺参道入口右手)の偉大な先人三者の碑を頭に描いた。これらの碑は学校を包み込む形に位置しており、「そのふところに育まれ」とした。「胸に高なる三H」のHは、ハート・ヘッド・ヘルスの頭文字をとったもので「徳・知・体」を表し、新教育の指標として校章にも図案化されている。
 歌詞の最後の「巨人」は偉大な人を意味し、歌詞全体に流れている作者の郷土先人への畏敬と、後輩への温かい励ましと切なる願いが、「示せ巨人の跡著るく」という最後の一節に疑縮されている。従って、「跡著るく」の部分を歌唱する場合、だんだんゆっくり歌わせ「…く」のところを女生徒は高音、男生徒は低音の二部にすると一層盛り上がるのではないかということである。
 以上は作詞者との対談から得られた素材等を中心に記述した。

 6 生徒の活躍
 昭和二五年(一九五〇)の、愛媛県総体男子八〇〇m走で優勝して以来、文化部、体育部ともに数々の輝かしい足跡を残している。特に、習字では県規模のコンクールで団体優勝三回、二位七回の成績を収め、個人では数多くの優秀賞を受賞している。また、県理科研究作品展では、県知事賞一回、県優秀賞二回を受け、ブラスバンド部も県の吹奏楽コンクールで金賞三回、銀賞二回を獲得している。
 体育面では、ソフトボール部、卓球部、庭球部の活躍が目立っている。ソフトボールでは県総体、四国総体で二年連続優勝し、県総体準優勝も一回ある。卓球部では、県総体で三年連続優勝し、四国総体で二年連続準優勝した。また、最近では個人戦で県代表となり四国総体に三回出場している。庭球では、伊予地区で数多く優勝し県総体でも目覚ましい活躍があった。県代表となって四国総体二回、全国大会三回出場を果たし、昭和五二年度には全国大会(男子の部)で四回戦まで勝ち進んだ。
 このほか、陸上競技大会では、県総体男子八〇〇m走一位(昭和二五年度)、男子三段とび二位(昭和三八年度)、女子八〇〇m走四位(平成三年度)や四国総体男子三〇〇〇m走三位(昭和五三年度)など、すばらしい記録が残されている。
 文化面では前記のほかに、弁論大会、美術作品展、作文コンクール、技術・家庭科作品展、実用英語検定等で特筆すべき成果を収めている。
 これらの成果の裏には、地域の先輩の強力な支援があったことを忘れてはならない。

 7 中学校統合問題
 (1) 統合計画の起こり
 昭和三〇年(一九五五)二月、旧佐礼谷村と旧中山村が合併し中山町が誕生した。小規模の山村に佐礼谷、中山の二校の中学校が並立する形となった。
 昭和三〇年代に入り、生活のあらゆる分野で合理性・経済性・利便性が追求されるようになったが、中山町でも、中学校創立二五周年を迎えた昭和四七年に、統合問題が町理事者より正式に提案された。しかし、町民の意志がまとまらず統合は実現できなかった。以下当時の中学校統合要項の中から一部を紹介しておく。

 (2) 統合計画要項(抄)
 ① 四八年度・四九年度に名目統合し、二ケ年で統合中学の校舎を新築する。昭和五〇年度に実質統合をする。
 ② 校地は現在の中山中学校に隣接した土地を購入し、新しい土地へ校舎を新築する。
 ③ 規模は鉄筋三階建、三四室とする。
 ④ 約三〇〇万円の予算で機器を購入し、視聴覚室を特設する。
 ⑤ 植樹庭園引水緑地帯等を作り環境美化を図る。
 ⑥ 予算概要
    ・総工費  一二〇、○○○千円
    ・設備その他  六、〇〇〇千円
    ・土地・整地 二〇、〇〇〇千円
      合 計 一四六、〇〇〇千円
    ・国庫補助金 五八、四二四千円
    ・起 債   三九、二五九千円
    ・一般財源  四八、三一七千円
      合 計 一四六、〇〇〇千円
 この他「通学費の補助」では、他市町村の実例と本町の財政を勘案し、他に劣らないよう努力するとなっている。

 8 新校舎落成の概要
 現在の校舎は、昭和五〇年(一九七五)に改築されたもので、平成五年で既に一八年を経過した。改築工事の概要は左記のとおりである。

 9 研究活動
 本校は、昭和二四年度(一九四九)から平成六年度(一九九四)までの四六年間に、一二回の研究指定を受け、授業公開や研究発表を実施している。
 以下、中予地区単位以上の研究校として指定を受けたものを年度別に列記する。
 昭和二五年度 中予地区放送教育研究大会
 昭和三四年度 愛媛県職業教育研究大会
 昭和三五年度 文部省指定産業教育研究発表会
 昭和四二年度 中・四国地区美術研究大会に二年四組が参加し、他校で授業を公開した。
 昭和四六年度 愛媛県教育研究大会保健体育分科会
 昭和四七年度 全国美術教育研究大会に二年一組が参加し、愛大附属中学校で授業を公開した。
 昭和五一年度 愛媛県指定進路指導研究発表会
 昭和五二年度 松山管内新採教員研修会
 昭和五六年度 総則体育研究指定文書発表
 昭和五七年度 地区別同和教育研究協議会中学校部会
 昭和六二年度 愛媛県指定地域社会学校教育研究発表大会
 平成 六年度 地区別同和教育研究協議会中学校部会

 10 フッ素洗口の実施
 むし歯は、かぜ、近視とともに児童・生徒の三大疾病の一つである。虫歯予防の決め手として、最近フッ素による洗口を導入する地域が増え、その有効性についてのデーターも数多く見られるようになった。
 中山町では、中山歯科診療所の高橋歯科医師の指導を受け、平成三年度から、町内各園・小・中学校でフッ素洗口に取り組んできた。三ケ年経過した今、その成果が次第に見え始めている。

中山中学校 校章

中山中学校 校章


中山中学校校歌

中山中学校校歌


運動部の活動状況 (新人戦を除く)

運動部の活動状況 (新人戦を除く)


図2-6 平成5年度校舎配置図

図2-6 平成5年度校舎配置図


中山中学校改築工事の概要

中山中学校改築工事の概要


図2-7 中山町内学年別1人平均永久歯虫歯

図2-7 中山町内学年別1人平均永久歯虫歯