明治二五年四月の愛媛県規則の発布により、就学が猶予される条件が厳しくなった。このため、明治一〇年代の就学率三〇%前後に比べると、同三〇年には、県下で男子七五%、女子四一%をそれぞれ越えるまでに伸びている。