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中山町誌

八、 松くい虫被害対策

 松林はわが国における重要な森林資源であると共に、古来より長寿や縁起を象徴するものとして、人々との生活に深く結びつき親しまれてきた。また白砂青松の言葉で表徴される日本独得の風致景観を形成し、神社仏閣には御神木とされる巨大老松等もあって心のよりどころともされ、一方、国土保全上も大きな役割を果たしてきた。
 松材の用途は実に多種多様であって、その利用範囲も極めて広く、建築用材をはじめ、土木工事用材、梱包用材、パレット・パルプ原木・パルプチップ、かまぼこ板等多様である。
 ところが本町では昭和五〇年(一九七五)頃から町内のあちこちの松に異常が起きて、初夏頃から葉が黄色に変わり、秋には褐色となり、冬期になるにつれ落葉し、一~二年後には枯死してしまうという現象が起きた。松くい虫被害の発生である。
 従来松くい虫による松枯れの原因は、松くい虫が松の幹や皮に産卵してその孵化した幼虫が松の樹皮下を食害することによるものと考えられていた。主たる防除法として、松くい虫の生息密度を低下させることにより松の枯損被害を減少させるため、秋から冬にかけて被害木を切倒し、はく皮、焼却薬剤散布によりその樹皮下に生息する松くい虫を駆除する方法が採られた。
 ところが、国立林業試験場を中心とする研究機関の調査研究の結果、松枯損の原因は線虫類の一種である「マツノモザイセンチュウ」が松くい虫の一種である「マツノマダラカミキリ」を介して、健全な松の樹皮内に侵入し、その旺盛なまん延力によって松を枯死させるということが解った。
 この結果、防除方法として「マツノマダラカミキリ」の羽化脱出期(五月~六月)にその食害する松の樹冠部に、あらかじめ薬剤を散布して防除することが有効であるという研究から、航空機による薬剤散布を実施し、顕著な効果を収めることとなった。
 こうした松くい虫防除方法が確立される一方で、松林の枯損被害は年々激増していく中、政府は昭和五二年(一九七七)「松くい虫防除特別措置法」を制定し、森林資源として重要な松林を保護するため、特別防除と同時に伐倒駆除を徹底的に推進する方法を決めた。また県は同年から松くい虫防除を開始した。
 中山町における昭和五〇年現在の松林面積は六七二ヘクタールで全林野面積の一四パーセントである。
 被害は、昭和五六年(一九八一)頃をピークとして増大し、平成五年には六〇ヘクタール程度を残し、本町松林はそのほとんどが枯損被害を受けることとなった。
 この松くい虫によって本町の有名な老松、追俵峠(通称二本松)の樹齢数百年の老松をはじめとする神社・寺院の老松は枯死していった。
 松くい虫防除については、伐倒駆除と、薬剤の空中散布事業が行われたが、本町では松林が散在し、地形的にも薬剤の空中散布は困難なため実施せず、もっぱら松林所有者による伐倒駆除が行われた。
 なお昭和五七年度及び五八年度には、道路沿の枯損した松が倒壊し災害を発生させる恐れがあるとの判断から、全町で道路沿線住民による危険枯損木の伐倒除去作業が実施された。また電力・電話の保線対策としての伐倒除去作業も電力・電話それぞれの会社において実施された。