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中山町誌

九、 林道

 わが国における木材輸送の手段は、昭和初期の道路網が順次整備され自動車が普及してくる頃まで、陸送と流送に大別されていた。
 陸送手段としては、森林軌道・索道・荷馬車があり、山元までの伐出しについては人肩・木馬・牛馬による搬出が行われていた。
 流送については、筏流しと、管流(バラ流し)が行われていた。
 肱川流域では水量豊富な肱川を利用した流送が盛んで、野村町坂石や小田町出合では、管流によって大量の木材を集積し、筏組みにして長浜港まで流送していた。
 中山町においても、内子町まで流送していたという話もあるが、詳かではない。ただ小田川よりも狭く河床は岩石が荒々しく露出している中山川では筏組みは困難で、流送があったとすれば増水期を利用したバラ流し(管流)が行われていたのではないかと思われるが確たる資料は見当らない。
 中山町の林産物は、山元まで木馬や、牛馬によって搬出され、さらに馬背によって郡中や、上灘まで運ばれ船積みされて中国・阪神方面へ送られていた。
 なお明治末期国道が改修されてからは、荷馬車による搬送が盛んで、荷馬車数台が列をなして犬寄峠を越えるようになった。
 このような林産物輸送手段変遷の中で、政府は、大正一五年(一九二六)「林業共同施設補助金下附規則」を発布し、林道の改修・木炭倉庫共同設置を奨励した。
 林道は、森林の経済的機能を発揮するための基盤となる施設であり、また山村における生活環境の整備に大いに役立つ施設である。愛媛県では昭和二六年林道開設一〇ヶ年計画を作成して事業推進を図ると共に、昭和三九年公布の森林基本法等に基づいて計画的に林道開設を推進している。なかでも昭和五五年(一九八〇)決定された森林資源に関する基本計画では、「林道は、林業の合理的経営及び森林の集約的管理にとって基本となる施設であり、木材など林産物の搬出のみならず、森林の有する多面的な機能発揮のため細かい森林施業を実施する上からも必須の施設である」と明記している。
 本町においても、昭和四五年から実施の林業構造改善事業において、林道開設を中核的事業として位置づけ計画的に事業推進を図っている。また昭和六一年策定の中山町林業振興地域整備計画においても、目標年次である平成七年までに延長三七キロメートルの林道開設を計画している。
 さて、中山町で林道が開設されたのは、昭和七年時局匡救土木事業によって、林道平村線(延長二、二九〇メートル・事業費四、七三七円)が着工され、翌同八年林道坪井線(延長二、四六〇メートル・事業費五、五二六円)が着工されたのが初めとされる。しかしながら当時の林道は幅員ニメートルの牛馬道であった。
 戦中・戦後にかけて、森林組合が事業主体となって林道開設が進められ、福住林道(昭和二二年竣工)・福岡林道(同二二年竣工)・仁川登林道(同二二年竣工)・大谷林道(同一九年竣工)・別府林道(同一九年竣工)が開設されたがいずれも幅員ニメートルの牛馬道であった。
 車道としての林道が開設されたのは、昭和一八年着工の犬寄寺野線及び昭和二〇年着工の赤海線である。
 また昭和二六年には地元関係者が長年の夢とした小池林道開設計画が森林組合を事業主体として施工することを決定、同二七年度着工して六年の歳月を要し昭和三三年一〇月竣工した。延長五、五八〇メートル、幅員三・六メートル、総事業費一、三三六万円を投入している。
 この林道の開設によって、小池区・坪井区住民は林業振興にとどまらず農産物の出荷や、生活環境整備に多大の恩恵を受けることとなった。
 前述の昭和三〇年代までに開設された各林道は、昭和四〇年代に至って町道に移管され改修が行われ、また幹線はさらに県道へ昇格して管理が行われている。
 本町における林道の現況は表2-12のとおりであるが、平成二年現在における林道密度は三・四メートルで県平均の四・五メートルより低位にあり林業近代化のため今後の林道開設が期待される。

 過疎林道
 ところで中山町ではかねてから広域林道としての過疎対策林道事業(県営事業)の採択を要望していたがこれが実現、平成元年度に着工し現在工事が進められている。
 施工箇所は、永木区の猪の峠を起点にして永木区の北東部山腹を横断し、コウギガ峠で双海町と接続し、高見に至るもので、全体計画としては開設期間が平成元年から平成一〇年まで、概算事業費一〇億五、〇〇〇万円、幅員四メートル、総延長一万、八〇〇メートル、利用区域面積中山町分二八七ヘクタール、双海町分一七八ヘクタール、利用区域内蓄積量四万一、八二六立方メートルとなっており早期竣工が期待されるところである。

表2-12 林道整備状況

表2-12 林道整備状況


図2-2 林道・町有林位置図

図2-2 林道・町有林位置図