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愛媛県史 教 育(昭和61年3月31日発行)

2 伊豫史談会

 大正三年(一九一四)、景浦直孝(号は稚桃)は西園寺源透・曽我部一郎らと伊豫史談会を創立し、伊予史料の収集や史実・史蹟の探究につとめることになった。伊豫史談会会則の第一条に「本会ハ伊予二関スル歴史地理ヲ攻究スルヲ以テ目的トス」とあるように、この会は本県の歴史地理の研究をする目的の人たちの集まりである。大正四年五月『伊豫史談』第一巻第一号を発刊している。その彙報に、「郷土史の研究に就て」と題して次のような郷土史研究の要旨とその方向とが述べられている。

   郷土史の研究が到る処に行はるゝに至たりたるは斯学の為め喜ぶべき事なりかゝる地方的研究を集大成せばここに中央史実を開明することを得べし要するに地方の偉人が中央史実に対して如何なる背景をなしたるかを明らかにし又中央に於ける偉人の行動並に政治的変改が地方に如何なる影響を与へたるかを研究し国家の治乱興廃国運の消長の事情に通ずると共に地方の沿革を知るは是れ歴史研究の主眼点にして郷土史研究の最大要旨なり、かの徒らに地方の史蹟を擁護せんとして中央史実と些の関係なき事柄を皇張誇大にし又正確なる史料と符合せざる地方的俗書を吾が仏として尊崇し真摯の研究を以て地方史実を破壊するかの如き感を抱くが如きは吾人の与せざる所なり吾人固より愛郷の至誠を有す然れども歴史を研究するは公平無私ならざるべからず況んや伝説と史実とは其間に区別を措かざるべからず正確なる文書に見えざる伝説を以て直ちに史実なりとし俗書によりて之を敷術し能事了れりとするが如きは郷土史研究上採るべき途にあらず地方的伝説と雖も正確なる史料信すべき文書に於て否認する事実あらば断乎として之を捨て単に伝説として保存せんのみ。

 また、大正四年七月の『伊豫史談』第二号の彙報には、「県訓令第十九号に就て」と題して郷土研究の重要性を県訓令で示したものを掲げ「学界の為め慶賀すべき訓示」であると書いている。

   愛媛県訓令第十九号に曰く、史蹟・勝地・古墳・墓・其他由緒ある天然記念物等は、或は之に依て先人の偉業を偲ひ、以て鑽仰景慕の至情を致さしめ、或は之に依て天然の美を尊ぶの念を養ひ以て郷土愛重の情趣を敦くせしめ、或は之に依て偉人の遺徳余風を追慕し、以て立志砥砺の資に供せしむる等吾国民性涵養上に必要なるは勿論、学術美術の上より観て、之が保存を計るべきもの固より少しとせず、我愛媛県は最古国として歴史上著名なるものにして、古来由緒正しき社寺、若しくは上記物件に富み、従て史上著明なる館墟、館趾、戦趾の残れるもの、墳墓に於ては陵墓又は相将に伝説あるもの、若しくは上世厚葬時代に属する大古墳を有するもの、或は本邦稀有の名木大樹の社寺境内、其他に存在せるもの、或は風致景趣に富める勝地、奇巌、名瀑等あり、洵に本県の特色とす、故に之が保存顕彰を図るは当代県民の義務なり云々と。

 『伊豫史談』には歴史・地理・民俗・古考学等の研究が数多く報告され、号を重ねて昭和五九年一〇月で第二五五号の多きを数えている。本県の郷土研究に果たした役割も大きいものがある。