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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

3 農林漁業の振興

 総合農政の推進

 昭和三五年ころから始まった高度経済成長は、一時的な不況を克服して昭和四二年~四四年の「いざなぎ景気」へと続いた。この間、国民の所得水準の向上によって、食糧の消費性向に大きな変化が生じ、多様化と高級化が進んだ。その結果、主食が減って副食・し好品の消費が増加した。さらに、外国からの農産物市場開放の要求が強まってきて、小麦や大豆の国内生産はこの時期すでに壊滅的な打撃を受けるまでになっていた。ちなみに昭和四五年の米の生産量は一、二七〇万トン、これに対して輸入穀類(麦類、トウモロコシ、コウリャン)は一、五四五万トンに達していた。
 一方、米の生産量は四二年~四四年の間、史上最高の一、四〇〇万トン台に達し、需要の減退と相まって、深刻な米の過剰に苦悩しながらその対策が迫られていた。
 農業基本法制定から一〇年を経て、四五年二月に閣議決定された「総合農政の推進について」は、基本法体制の中で他の社会政策などともかかわらせながら、総合的に構造政策を進めようとするものであった。その骨子は、米の生産調整の実施、生産者米価の抑制、農産物貿易自由化措置政策の推進であるが、その根幹となった事業が「第二次農業構造改善事業」であり、これに並行して第二次林業構造改善事業、第二次漁業構造改善事業が行われた。
 県はこのような事態に対処するため、昭和四五年一二月「新農政策定会議」を設けたが、四六年一月白石知事が登場し、早々に新しい農林行政への転換について強力な指針が出された。同年四月に県の機構改革が行われ、農業団体課を廃止して農政課に統合し、また農地拓植課を農地計画課と改称して、新しい総合農政の推進体制を整備した。同じく四月には県立農業大学校の開校、県稲作転換促進要領の制定、県農業開発公社の発足、農村地域への工業導入促進などが矢継ぎ早やに実施された。

 第二次農林漁業構造改善事業

第二次農業構造改善事業は、総合農政の主旨に沿って、より大型のプロジェクトとして実施された。自立経営農家の育成を主眼とし、そのための農家の集団化が要請された。また、対象作目も第一次構造改善事業より幅広くなり、かんきつ・畜産のほかに、葉たばこ・くり・しいたけ・まゆなどが登場してきた。四五年から五三年にかけて三一地区、一万一、〇三二戸を対象に土地基盤整備補助事業約三六億円、経営近代化補助事業約七四億円、合計約一一〇億円の事業を実施した。そのほか、県単独で約二一億円の融資事業も実施され大きな成果を収めた。同時に自然休養村整備事業が久万町・大三島町・津島町・伊予三島市などで実施されたが、久万町の「ふるさと村」は最も成功している。これは、高度経済成長の中で、都市の人々に自然と休養を与え、併せて農業者の就業機会の増大と農家経済の向上を目的とした事業であった。
 第二次林業構造改善事業は、昭和四七年から五七年まで三六地域(追加六)、三七市町村で実施された。事業の内容は経営基盤の充実、資本装備の高度化、協業の推進など約六五億二、〇〇〇万円、林道開設約三四億四〇〇万円であった。また、四五年から実施された四国西南山地大規模林業圏開発事業は、愛媛・高知両県にまたがって地域が指定されたが、本県内は伊予市以西の四市二四町七村が含まれ、総合的な森林開発整備事業であった。
 第二次沿岸漁業構造改善事業は四六年から開始された。初年度に宇和海地域が指定され、翌四七年には伊予灘地域と燧灘地域が指定された。実施された事業は、つきいそ事業が一二○か所、約四億一、〇〇〇万円、並型漁礁設定事業が二六五か所、約一億二、〇〇〇万円、消波施設設置事業が二か所、約四億七、〇〇〇万円で、浅海養殖の拡大、漁船漁業の経営安定と近代化、資源培養型漁業の推進、流通条件の改善、漁場の保全などに成果をあげた。

 米の生産調整と稲作転換

相対的に高い米価とその安定、土地基盤整備の進展、品種改良などの技術進歩などを背景に、米の生産量は飛躍的に増加して、昭和四二年から一、四〇〇万トン台となった。
 他方、米の需要減退傾向が進み、深刻な米過剰問題と食管赤字が表面化し、これに対処して四四年産米の米価据え置きと米の生産調整を試行的に実施することとなった。四五年からは緊急実施することとなり、四六年から稲作転換対策として、五一、五二年は水田総合利用対策、五三年以降は水田利用再編対策の第一期~第三期までを実施し、昭和六一年に終了した。この間の本県の経緯については表3-46に示しているとおりであるが、最近年次では約六、七〇〇ヘクタール、米に換算して約二万八、〇〇〇トンの稲作転換が実施されている。
 またこれに要した補助金は約二〇億円であるが、昭和四四年の試行実施以来の奨励金総額は三九四億円余の巨額に達している。各対策別の年度別一〇アール当たり補助金額と総額は表3ー47のとおりとなっている。
 次に、最近年次の転作など実施面積の推移を見ると、五六年~五八年をピークに減少しているが、いわゆる転作面積も同様の傾向にある(表3-48参照)。ただ、五七年以降の永年性作物の定着などによる実績算入措置がとられたこともあって、転作など全体面積の中に占めるいわゆる転作面積比率は低下している。
 作物別には、野菜など一般作物が三、〇〇〇ヘクタール台、大豆を中心とした特定作物が二、〇〇〇ヘクタール台を示し、永年性作物も三〇〇ヘクタール余りとなっている。

 グレープフルーツの自由化対策

 外国産果実の輸入は、昭和三八年のバナナ、三九年のレモンの自由化以降急増するようになった。特にバナナは、四六年には九八万八、〇〇〇トンにも達していた。しかし、本県農業への影響は四六年のグレープフルーツの自由化から顕著となった。他方、国内みかんの生産量は四六年まで二五〇万トン前後で推移していたが、四七年には一挙に三六五万トン時代に入った。このような内外の影響を受けて、四七年産
みかんの価格が暴落し、グレープフルーツの自由化とともに生産者に大きな不安を与えた。
 このような事態に対処して、県ではすでに四四年から夏柑暴落対策、果実の輸入自由化阻止に努力しており、四五年には夏柑など再開発特別事業(品種更新)、果実加工需要緊急対策(ジュース工場の整備)、外国産かんきつ優良品種の導入、四七年には加工原料果実価格安定基金の創設、四八年には「温州みかん所得共済」の発足、第二次果実加工需要拡大緊急対策などが実施された。
 また、果実貿易自由化反対運動は、昭和四六年の果樹生産者大会から活発になり、その後、果汁、牛肉、その他農産物全体に及んで現在まで活発に展開されている。

 温州みかん所得共済制度

みかんの生産過剰傾向を受けて価格が低迷し始めると、果樹農家の所得確保の手段として、果樹共済制度の中に価格の変動を加味する方式が望まれるようになった。県は四六年九月、「みかん所得共済」の調査を県農業共済組合連合会に委託し、その調査結果を待って、四八年四月、「温州みかん所得共済制度実験実施要綱」を制定した。その実施主体として県温州みかん所得共済協会を設立し、事業実施に入った。
この制度はいわゆる「愛媛方式」として全国に大きな反響を呼んだ。早速全国農業共済協会内に果樹所得共済委員会を設げ、政府・国会へ強力な陳情が行われた。しかしその努力にもかかわらず、「所得共済」を農業災害補償制度として取り扱うには問題が多いとして国で制度化されるに至らなかったが、五五年の法改正で「災害収入共済方式」が採用され、「愛媛方式」の要素を加味された方式として実施されることとなった。
 なお、実施面積は四八年度七九九ヘクタールで開始されたが、法改正後は災害収入共済方式に準じて約五、〇〇〇ヘクタールについて実施された。

表3-46 水田利用再編対策の推移と愛媛県の実績

表3-46 水田利用再編対策の推移と愛媛県の実績


表3-47 水田利用対策奨励金の推移

表3-47 水田利用対策奨励金の推移


表3-48 作物別転作等実施面積の推移

表3-48 作物別転作等実施面積の推移