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愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)

三 学校衛生の重視と青少年の体力管理

 身体検査の励行と学校衛生の啓蒙

 戦時下時局に応じた青少年の体位向上のため学校衛生が重視された。文部省は、昭和一二年一月二七日「学校身体検査規程」を公布して、児童生徒の身体検査を毎年四月定期的に行うことを義務づけた。愛媛県学務部は四月の新入学児童生徒からこれを適用することにし、器具を整備して身体を精密に検査し、その結果に基づいて養護鍛練の方法を適切に工夫、強健にして資質優秀な学徒を育成すること、学校医は身体検査規程に従って総合診察に十分意を用い、要養護者の発見に努め健康に関する生活指導によって体位の向上を図るなどを指示した。また昭和一一年度から入学試験当落の資料に身体検査を重視した。
 昭和一二年三月に公表された愛媛県国民体位向上対策の中では、学校衛生の振興に関する事項として、学校衛生の重要性に対する教職員の認識を高め知識を向上させること、教職員の健康保持増進に留意すること、学校医学会衛生会学校看護婦などの充実を図ること、学校における設備衛生の改善に一層留意することの実施内容が挙げられた。県学務部では、学校衛生研究講習会・学校看護婦研究協議会をしばしば開催して
啓蒙に努め、表4―3のような学校身体検査統計を公表して、「本県在学者ノ健康状態ハ全国道府県中必シモ良好ナル順位ヲ占メズ、特ニ結核罹患等ニ関シ女子中等学校生徒ノ健康ハ楽観ヲ許サザル状態ニアリ」(昭和一五年愛媛県教育概要)と解説、学校関係者の注意を喚起した。
 学校衛生の担当者である学校医は、昭和一五年四月時に県内小学校四三一校中三六六校に、中等学校は五〇校全部に設置された。ところが、学校看護婦は小学校五四校・中学校一八校に置かれているに過ぎず、日常の学校衛生活動に大きな支障をきたした。

 トラホーム治療と寄生虫駆除

 県会では、医師出身の議員を中心に学校衛生ことにトラホーム治療と寄生虫駆除の徹底を図れという意見がしばしば出された。例えば、昭和一〇年度通常県会で医師山田庄太郎議員(喜多郡)は「今日の小学校児童の内七〇~九〇%は寄生虫の保有者である。神経質な子供あるいは劣等児と目される者の大半は寄生虫持ちと考えてよい、したがって寄生虫を駆除することによって優良な生徒にすることができるのであるから、何らかの方法施設によって撲滅を期すべきである。また近来の小学校統計によるとトラホーム患者が随分多いのであって、県はトラホーム予防治療費を増額して徹底的な予防方法を講ずる必要がありはしないかと考える」と述べている。山田医師の指摘のように、昭和一〇年前後のトラホーム患者は児童数の一二%を下らなかった。
 県は昭和一三年三月二九日に「学校幼稚園トラホーム予防規程」を定め、春秋二期トラホーム検査の励行、治療票の作成、治療状況の監督などを指示した。しかし昭和一五年度通常県会で県議の岩崎虎雄医師(新居郡)が、「トラホーム検診は春秋二回行っているけれども、この治療については何ら考慮していない町村や学校が県下に多数ある。ただトラホームを診て統計を作ってそれで済むのであれば、むしろこの検診はやらないでよいのである。治療の励行をするよう当局で十分考慮されたい」と述べているように、検診のみを行って事足れりとする学校が大半であった。寄生虫駆除についても、学校に駆虫薬を配布したりしているが、糞便を活用する農村では十分な効果はあがらなかった。

 国民体力法と健民修練所

 昭和一五年四月八日、政府は「国民体力法」を制定して、一七歳から一九歳までの男子の心身保護を公法上の義務として、体力検査の施行、体力管理医の設置、体力虚弱者・罹患者に対する体力向上施設の利用などを規制して、高度国防国家建設の要請に応じた青少年の体力向上を図ろうとした。愛媛県は、この法に基づき同一五年一〇月に今川七郎(松山市)・小野かおる(香へんに奄)(新居浜市)など一七〇人の医者に体力管理医を委嘱し、体力検査の施行者として市町村長二四九人、中学校及びそれに準ずる学校長四〇人、住友鉱山別子鉱業所・倉敷絹織西条工場・伊予鉄道などの工場管理者及び事業主一八人、県事業場の長四人の合計三一一人を指定した。
 こうした陣営で昭和一六年一〇月までに四万四、三九九人の青少年対象者が体力検査を受け、そのうち結核や花柳病などで療養の必要な者二七一人が発見され、学徒六一人はその地域の保健所か健康相談所が、市町村の青少年一八七人と工場事業場の労働者二三人は体力管理医が療養指導と処置命令を行うことになった。また虚弱青少年を対象に体力向上修錬会が実施された。修錬会は昭和一六年三月一〇日から一六日宇和島市南予会館で第一回が開かれたのを最初に、同年度中に西条市石鎚神社や松山市和気太山寺など八か所で約四〇〇人の虚弱者を集めて実行された。
 昭和一七年二月二一日国民体力法が改正されて、体力被管理者が二五歳までに引き上げられ、労務者に対する年二回の体力検査の実施が規制されるとともに健民修錬所の施設促進が指令された。これに応じて県当局は同一八年四月に「健民修錬所設置要綱」を定めて関係方面に配布し、工場・事業所に対しては私設健民修錬所を置くことを奨励した。この要綱によると、健民修錬所は国民体力法による体力検査の結果、筋骨薄弱者または結核要注意者と認められる被管理者を入所させて体力増強の国家的意義を了知させ、心身をもって皇国にずるの気概を涵養させるとともに健康回復と体力増強に関する各般の知識と方法とを教導、自奮自励して合理的な健康生活を実践体得させ、国防上産業上国家の要請する剛健な心身保有者に育成することを目的とした。修錬期間はほぼ二か月で、修錬生の指導には所長・指導医・生活指導員・栄養指導員・保健婦などが当たることになった。
 この年、県は周桑郡国安村高須公会堂と宇和島市南予会館などに常設修錬所を置いた。また、県産業報国会は松山市三津常秀寺と今治市高野山別院に健民修錬所を設置して、少年産業戦士のうち一七、一八歳の筋骨薄弱者、結核の疑いのある者の心身を鍛えながら工場に通勤させることを計画した。住友五社は新居浜市垣生海賓館付近に健民修錬所を建設して、第一回修錬会を九月一日から二か月間八〇人を収容して実施することにした。翌一九年四月二五日、県は「健民修錬所規程」を布達、上浮穴郡久万町・喜多郡上須戒村・東宇和郡下宇和村の公会堂と温泉郡南吉井村の国民学校内に健民修錬所を設けることを告示した。
 この新設された四か所と既設の高須健民修錬所に県下における一七~二〇歳の青少年の内二、〇〇〇人近くの筋骨薄弱者と結核要注意者がほぼ五〇人単位に収容されて、健康診断・形態機能検査・生活調査・精神訓話・健民講話を受け、生活訓練と体操・教練・行軍などの体練、農耕などの勤労作業を実践した。しかし、折からの戦局悪化に伴う兵力不足はこれらの修錬所の収容者にも容赦なく召集令状が来たので強健な体力保持者に育て得ないままに戦地に送り出さればならなかった。また徴兵年令に達さない収容者が少しばかりの体力をつけて出所しても、待ち受けていたのは食料不足と勤労動員であったから、たちまち元の虚弱者に逆戻りしてしまう場合が多かった。

表4-3 昭和一二年愛媛県内小学校・中等学校児童生徒疾病百分比

表4-3 昭和一二年愛媛県内小学校・中等学校児童生徒疾病百分比


表4-4 昭和八~一二年愛媛県内小学校児童トラホーム検診成績表

表4-4 昭和八~一二年愛媛県内小学校児童トラホーム検診成績表