データベース『えひめの記憶』
愛媛県史 社会経済6 社 会(昭和62年3月31日発行)
二 母子衛生の振興
児童愛護週間
戦時下健民健兵運動の一つとして母性と乳幼児保護が強調され、昭和一〇年から児童愛護週間が五月五日に行われていた乳幼児愛護デーと同六年から一月中旬に開かれていた児童栄養週間を合体させたものであり、週間中に妊産婦及び乳幼児の健康相談、診察、乳幼児審査会などが実施された。しかし乳児の死亡率は依然として高く、昭和一〇年時出生一、〇〇〇に対し九五・二の死亡率といった状態だったので、医師など専門家からは児童愛護週間の時の形式的宣伝だけでは母子衛生の向上は望めず、母親に対する衛生知識の徹底、乳幼児栄養食の改善、健康相談の強制などの策を講じなければならないといった意見が出された。小野かおる(香へんに奄)医師(新居浜市)は昭和一四年度通常県会であらゆる場をとらえて女性に衛生思想を啓蒙する必要性を訴え、岩崎虎雄医師(新居郡)は昭和一五年度通常県会で乳幼児保護のために内地米と砂糖の配給の優先権を与えられたいと希望した。
県当局は、こうした医師の意見をいれて内地米も砂糖も医者の証明があれば乳幼児のために優先的に配給するよう取り計らった。また昭和一六年一〇月には警察部長名でもって一五、一六年度出生児は洩れなく検診と健康相談を受けること、市町村当局は部落会・町内会を利用して出生児の家にあらかじめ検診と健康相談の日時・場所を伝え、趣旨の徹底を図ることの通牒を発した。
乳幼児の体力検査と妊産婦手帳
時局下皇国の将来を背負う第二の国民の健全な成長を期待する政府は、昭和一七年に「国民体力法」を改正して昭和一六年四月一日以降出生した乳児に体力検査を強制した。県当局は六月二三日「乳幼児体力検査規程」を布達して、生後四か月まで、六~七か月、一二か月、一年六か月まで、二年までにそれぞれ一回ずつの合計五回体力検査を受けること、市町村長は体力検査を行う日時場所を一〇日以前に保護者に通告すること、体力検査は身体計測及び疾病異常検診を行う、市町村は保健婦・巡回指導員(産婆看護婦を市町村長が委嘱)の任命及び検査器具などを準備することを指示した。また昭和一六年七月一三日に「妊産婦手帳規程」が公布されたので、県当局は七月二八日「妊産婦手帳規程施行細則」「妊産婦手帳規程施行細則取扱手続」を定め、妊娠した者は速やかに届け出、市役所町村役場は妊産婦手帳を交付すること、妊産婦は医師・助産婦の診察と保健指導を受け、手帳に所定の事項の記載を受けること、市町村は妊産婦及び乳幼児に必要な物資の配給購入について留意し、妊産婦手帳を示せば優先的に取り扱い、出産の際には交通上の便益を確保し妊産婦に対する隣保の協力援助をはからせ、勤労奉仕などで母体及び育児上障害を及ぼすことがないよう注意することなどを通達した。
こうした乳幼児検診と妊産婦保護の促進によって母子衛生は次第に徹底、耐乏生活下の悪条件にもかかわらず昭和一八年には出生一、〇〇〇に対する県内乳児死亡率は六九・八に下がった。