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愛媛県史 社会経済3 商 工(昭和61年3月31日発行)

三 海     運

 昭和二一年四月、瀬戸内海など沿岸航路就航船の統制が解除され各社の自営運航が可能となったが、燃料統制などのため正常な運航が行われるようになるのは、昭和二五年ごろからであった。昭和三〇年になると大阪~愛媛~別府航路、愛媛~中国航路、愛媛~九州航路などで旅客定期航路が出揃った。

 フェリー航路の発展

 前述のように昭和三四年の今治~三原航路を皮切りにフェリー化が進んだ。離島航路の一部を含めてほとんどの航路が昭和四〇年代前半までにフェリー化を完了した。昭和四〇年代後半に入ると瀬戸内海を「東西」に結ぶ中距離フェリーブームがやってきた。海陸一貫輸送というフェリー輸送本来のメリットに加えて、海路による短縮(陸上道路の混雑回避)、運転手労働力の不足への対応という利点が加わって、左記のとおり短い間に多数の新航路が誕生した。
  昭和四五年三月 新居浜・川之江~神戸(四国中央フェリーボート株式会社)
  昭和四七年七月 壬生川~大阪(四国開発フェリー株式会社)
  昭和四七年八月 今治~神戸(三宝海運株式会社、愛媛阪神フェリー株式会社)後に松山まで延伸
 なお、大阪~愛媛~別府航路(関西汽船)は昭和四六年に、小倉~松山航路(同上)は昭和四八年にフェリー化された。また、大分に本拠をおくダイヤモンドフェリー(神戸~松山~大分)もこの時期の開設である(昭和四五年)。こうしたブームは、前述のメリットに加えて、やや先立って昭和四四・四五年に開設された高松~神戸航路に刺激されたことにもよるが、その後のオイルショックと経済構造の変動の影響を受けて、業者間・航路間の競争が激化している。
 フェリー化の進展に伴い、港の景色も変わった。フェリー埠頭と広い駐車スペースが、岸壁と上屋のある風景にとって変わった。また、フェリー埠頭と幹線道路を結ぶ道路の交通問題が重要になってきた。

 高速船の登場

 純旅客船の分野では昭和三九年に愛媛県で初めて水中翼船が今治~尾道航路に投入された(瀬戸内海汽船株式会社)。時速六〇キロメートルという高速が時代の要求に合い、他航路にも波及していった。船型も当初の六〇人乗りから一二〇人乗り程度まで大型化してきている。ところで、水中翼船は高速を出すため高コスト、従って高料金であり一定量以上の需要を必要とするが、この間げきを縫うべく登場したのが「高速艇」である。ここでいう高速艇とは、水中翼船、エアクッション艇などの特殊船型以外の船舶で、航海速力が二二ノット以上の客船のことである。利用者からすれば水中翼船ほどのスピードはないが、それなりに料金も安く、業者からみれば運航技術がより単純で、船型(サイズ)も自由度が高いという利点があるためか、昭和四七年因島~尾道航路で初めて採用されて以後各航路に普及し、現在は県関係だけで約一〇航路に大型・小型とりまぜて約二〇隻が就航している。今治~尾道、今治~三原などの幹線では大型船が、島しょ部と四国を結ぶ航路(今治~越智郡島しょ部、宇和島~宇和海諸島など)では中小型が使用されている。なお、前者の航路は鉄道連絡的性格が強く(主として山陽新幹線との連絡)、在来中四航路の伝統を受けついでいるのに対して、後者は離島住民の足として生活路線的性格が強い(これに対して、フェリー航路はいわば「道路」連絡航路であるといえよう)。
 ところが、これらの諸航路のうち瀬戸内海大橋ルートにかかわりのあるものについては、同ルートの一部をなす大三島橋・因島大橋の完成供用によって影響を受けている(前者は五四年完成、後者は五八年完成)。なお、伯方・大島大橋も六二年度内には完成が見込まれており、同ルートの各橋が逐次完成するにつれて、今後ともその影響が増大するものと考えられている(瀬戸内海大橋については別項で詳述する)。

 貨物船と工業港

 貨物船については、前述のように昭和三〇年代から木造内航船(機帆船)の小型鋼船化、次いで専用船化か進み、新産業都市など臨海工業地域の発展に伴って船腹量の増大がみられた。この聞、昭和三九年にはいわゆる内航二法(内航海運業法・内航海運組合法)が制定され、愛媛県に多い生業的な「一杯船主」の組織化がはかられた。しかし、内航海運業は依然として中小零細性が強く、慢性的な船腹過剰のもと、オイルショック後の輸送需要の量的縮小、質的変化への対応に苦しんでいるのが現状である。そのため、昭和四〇年代に入ると愛媛県の海運業者(船主)の有力なものは、約五、〇〇〇トンまでの近海外航船、さらには遠洋航路に就航する大型船を建造・保有するようになり、愛媛船主の活動領域はいっきに国際化するに至った(愛媛船主がこうした成長を遂げ得た要因としては、地元に発達している造船業、金融機関の積極的な資金供給活動、船主の旺盛な企業者精神などがあげられるが、詳しくは別項で述べることにする)。
 こうした海運活動に対応してその基盤をなす港湾についても逐次整備が進み、県内には七つの主要港湾、四六の地方港湾がおかれている(昭和五五年現在)。うち重要港湾(国の利害に重要な関係を有する港湾)に指定されているのは左記の七港である。
  昭和二六年指定 松山港(開港、検疫港、出入国港)・今治港(開港・出入国港)、新居浜港(開港・検疫港・出入国港)
  昭和三五年指定 宇和島港(開港)、八幡浜港
  昭和三九年指定 東予港
  昭和四六年指定 三島川之江港(開港・検疫港・出入国港)
 人口の多い都市を背景にもち、古くから交通の拠点であった松山港や今治港に加えて、新居浜港・東予港・三島川之江港のような工業港的性格の強い港が重要港湾に指定されているのが特徴である。これらの港は関税法上の開港、検疫法上の検疫港、出入国管理令に基づく出入国港の資格を備え(いわゆるCQI)、国際港として外国貿易船が出入りしている。