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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

二 業種別漁業協同組合


 昭和二四年に地区漁業協同組合が県下に相次いで誕生したが、業種別漁業協同組合も同年より逐次設立せられた。以下その概要について述べる。

 日本西海漁業協同組合

 昭和二四年八月五日、愛媛県機船底曳網漁業協同組合として、八幡浜市に設立された。組合地区は八幡浜市・宇和島市・松山市・今治市・南宇和郡・北宇和郡・西宇和郡・喜多郡・伊予郡・温泉郡であった。組合員は機船底曳網漁業取締規則第一条に基づき機船底曳網漁業を営む者が有資格者として発足した。その後二九年三月二五日の定款変更認可によって名称を日本西海漁業協同組合とし、さらに二九年一二月二五日の定款変更認可によって新居浜市・西条市・川之江市・伊予三島市を組合地区に追加した。また四八年一一月三〇日の定款全面変更によって沖合底曳網漁業を営む漁民などに改められた。昭和五八年現在組合員四〇名、一九統二〇隻がこの組合のさん下にあり、根拠地別にみた内訳は愛媛四統、高知一統、大分一統、宮崎三統、福岡二統、佐賀二統、山口六統となっており、一統につき二隻で操業するが船は五八t~九七t級を使用している。

 愛媛県無線漁業協同組合

 昭和二六年六月七日県は南宇和郡東外海村深浦に漁業用海岸局をつくり、その運営を愛媛県漁業協同組合連合会に委託した。免許人は指導用無線は知事、漁業用無線は県漁連会長であった。
 昭和二七年一月二五日愛媛県一円を地区として愛媛県無線漁業協同組合が東外海村に設立され、同年三月二六日付で開局のうえ県漁連の業務をひき継いだ。当組合は船舶局を有する漁船を使用して漁業を営みまたはこれに従事する者で組織された。設立当時は正組合員二二名で発足し、組合事務所を東外海村深浦に置いた。昭和三〇年四月三瓶湾漁協が三瓶町日吉崎に無線局を開局し、同年六月一三日県無線漁協へ加入したため主たる事務所を東外海町深浦に、従たる事務所を三瓶町日吉崎に置くこととし同年六月一三日から認可された。翌三一年八月一〇日主たる事務所を三瓶町大字朝立向山に、従たる事務所東外海町とした。昭和三二年には深浦局を久良に移転し、超短波局として二五Wを三瓶・遊子・深浦に、一〇Wを日振島・狩江・中浦に設置した。昭和三八年九月三日の定款全面改正により事務所を三瓶町のみとした。
 三瓶湾漁協が無線局を開設した昭和三〇年と同時期に日本西海漁協も深浦の五〇W電話局では出力が小さく殆ど利用できないため、八幡浜市に二五〇Wの海岸局を設置して気象通信・漁場連絡・魚価維持などに努めていた。
 昭和四〇年一〇月一日八幡浜無線局が県無線局に加入した。昭和四三年三月三一日三瓶無線局と八幡浜無線局をいったん廃止し、八幡浜市舌間鯛引に八西局を新設のうえ、同時に指導用海岸局として業務委託し局舎、無線施設などの整備が図られた。昭和四三年四月以降漁業指導用海岸局は深浦局四名、八西局五名の通信士を配置した二局制となった。昭和四四年七月一九日愛媛県無線漁協の事務所を三瓶町から松山市一番町に移転し現在に至っている。
 当組合は設立以来県、関係市町村、関係団体等の指導と援助のもとに、宇和海を中心に本県漁業の近代化と振興に寄与してきたが、昭和五〇年代に至り組合運営が次第に困難となったため、抜本的な打開策が必要となった。
 組合では昭和五四年一〇月二四日「組合整備強化研究委員会」を設置して数次にわたって協議を重ねた結果、①一W海岸局を廃止し、現在設置している漁業協同組合が免許人となり運営をする ②八西、深浦両局を統合して一局とすることとし、この結果通信士九名を四名に事務職員一名を削減することにより大幅な経費の節減が可能となるとの整備計画が作成され、実行に移された。この計画遂行には非常な困難が伴ったが、漁協から労組交渉委員を選任し、労働委員会との交渉にあたった結果、関係者間で基本的な理解が得られ円満解決のもとに組合の合理化が進められることとなった。この結果昭和五四年度末現在の組合員数一、四七八名が五五年度末には二五六名へと大幅な減員となったが、職員数の大幅減員によって人件費の節減が図られた結果五六年度以降遂年組合の財務内容は改善せられ、加藤組合長を中心に組合再建は軌道にのりつつある。昭和五七年度末現在組合員二五八名五八年の対象漁船計画数は三一三隻となっている。
 なお漁業用超短波局(一W)の開局状況は表10-12のとおりであり、このうち愛媛県無線漁業協同組合が免許人となっていたものは宇摩・松山・上灘・下灘・長浜・三瓶・狩江・宇和島・遊子・戸島・日振・津島・八西の一三局のほか、内海・竹が島であった。内海・竹が島は昭和五六年四月の時点では廃局となったので、その後の開局も含めて五九年三月現在の一W局は表記したとおり二〇局である。五六年四月一日会員相互の電波調整、無線技術の調査研究、会員相互並びに関係機関との連絡調整を図るため愛媛県漁業用超短波無線協議会(会長福井一雄)が設置せられたので一部を除いて同協議会に加入している。

 愛媛県海洋漁業協同組合

 昭和二七年一二月二七日愛媛県一円を地区とし、かつお、まぐろ漁業及び以西、以東底曳網漁業を営み又はこれに従事するものを組合員として東外海町に設立せられた。設立当初の組合員数は七三名、出資総額は三〇〇万円で発足したが、昭和三三年頃よりかつお、まぐろ漁業は漁獲不振となり、以西、以東底曳網漁業も中国にだ捕され、漁具の没収と乗組員の一年に及ぶ抑留等のため経営が成りたたなくなり、これらの漁業はいずれもその後ひきつづき不振状態にある。

 愛媛県真珠養殖漁業協同組合

 昭和三五年七月一二日、愛媛県一円を組合地区として主たる事務所を宇和島市に、従たる事務所を松山市に置き、真珠養殖を営みまたはこれに従事するものを組合員として設立された。昭和三二年三重県真珠養殖業者の本県への進出により愛媛県下で真珠養殖を営んでいる者は二七業者となり、三重県・長崎県に次いで全国第三位の真珠生産県となったが、真珠養殖の経営にあたり、資材購入・製品販売・養殖技術の向上策など種々利害の一致することが多く、本業界発展のための協同組織化の気運が全国的に高まり、本県においても真珠養殖漁業協同組合発起人会が三五年三月二〇日松山市で開催され、設立発起人代表に大月成男(大月真珠養殖KK)を選出した。その後設立準備会を同年四月八日、創立総会を同年五月七日にいずれも松山市で開催した。創立総会当日の設立同意者数は四七名、出席者数は三一名によって定款・事業計画・収支予算などについて承認し、役員選挙の結果初代組合長は大月成男が選出された。真珠業界は本県のみならず全国的に昭和四二年より大不況に突入し四七年頃まで続いたが、その後は次第に回復基調をとりもどした。組合は四八・九年のオイルショックに伴うインフレ危機などの洗礼をうけつつも本県真珠養殖業の中核的な推進機関として活躍をつづけている。

 その他の業種別漁業協同組合・漁業生産組合

 以上述べた以外に業種別漁業協同組合としては昭和五七年度末現在で愛媛県淡水魚養殖漁協、愛媛県養鰻漁協があり、漁業生産組合には壬生川海苔、新居浜養殖各漁業生産組合が設立されているが、これらの設立年月日、歴代組合長名、組合員数、目的、事業概要、出資金等の状況は表10-13に示したとおりである。
 また昭和二八年二月二四日設立認可となった愛媛県旋網漁業協同組合は、当時国において中型旋網漁業の現有勢力を漁獲資源に見合った適正なものとするため、国庫補助金を支出して他種漁業への転換育成を図ることとなり、この問題を円滑に進めるための業者の一元化が必要なため組織されたものである。組合地区は愛媛県一円とし主たる事務所を宇和島市に、従たる事務所を南宇和郡に置いた。初代組合長に西一が選任され、設立当時の組合員数は八三名であった。以来組合員たる大中型、中型旋網漁業者の業種別漁業協同組合としての活動をつづけてきたが、いわし・あじなどの漁獲不振により大中型、中型旋網漁業者の経営維持が困難となり、組合員の脱退が相次ぎ四八年一月現在で一二名に減少し法定数(二〇名以上)に達しなくなったので、組合を解散することとなり四八年一月三一日県で解散届が受理された。
 次に昭和三四年一〇月三日設立認可をみたが四七年一一月一七日解散が受理された三瓶漁業生産組合の経緯について述べる。
 昭和二七年以来七年間にわたって三瓶式漁協自営という特異な形態で経営されてきた鯖はね釣漁業は済州島漁場から新しく東支那海へと漁場を開拓しつつ発展し、三瓶地区漁業の七〇%の比重を占めるまでになっていたが、昭和三四年以来長崎を主体とする大型母船式まき網の大挙出動により釣漁業と網漁業との漁獲競合に陥った結果、釣漁業の経営は非常な危機に直面するに至ったのである。そこで三瓶湾漁業協同組合では自営漁船と所属船とを一括包含した企業合同を断行し、新組織による大型母船式まき網漁業を併用して難局の打開と将来の発展を期することとなった。このようにして三瓶漁業生産組合が設立されることとなり、組合事業として ①さば漁業 ②大型まき網漁業 ③鰹、鮪漁業 ④さんま捧受網漁業 ⑤前記に附帯する事業を実施することとなった。当初の設立同意者(組合員)は五〇名で、三四年九月二〇日の創立総会で初代組合長に重見勲が選出された。
 その後漁業生産組合の事業活動は比較的順調に推移していたが、昭和三七年八月済州島漁場でまき網漁獲物を満載して帰港中の運搬船第三一伊予丸が韓国にだ捕されたほか、同年一二月遠洋かつお、まぐろ漁船第三五伊予丸が南太平洋漁場で、四〇年一一月東支那海において第二富士丸がいずれも遭難したので組合の経営維持が困難となり、組合員の脱退が相次ぎ法定数に達しなくなり解散を余儀なくされた。

表10-12 漁業用超短波局(IW)一覧表(昭和59年3月)

表10-12 漁業用超短波局(IW)一覧表(昭和59年3月)


表10-13 業種別漁業協同組合、漁業生産組合一覧(昭和57年度末)

表10-13 業種別漁業協同組合、漁業生産組合一覧(昭和57年度末)