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愛媛県史 社会経済2 農林水産(昭和60年3月31日発行)

三 漁業協同組合連合会・信用漁業協同組合連合会


 愛媛県漁業協同組合連合会

 昭和一八年の水産業団体法の制定に基づいて設立された水産業会の事業経営は、太平洋戦争の終結後は社会情勢の急変によって次第に混迷の度を増し二一年三月水産物統制令・二二年四月鮮魚介配給統制規則(省令)・二二年七月加工水産物配給統制規則(省令)・二二年一二月漁業用資材配給規則(省令)などの制定によって、これまで漁業会が独占していた水産物の配給統制と漁業用諸資材の購買事業について次第にその統制能力を喪失してしまった。
 昭和二三年一二月水産業協同組合法が公布され、翌年二月に施行となったことは前述したとおりであるが、これにより水産業団体法に基づいて設立されていた水産業会並びに漁業会などは解散し、その財産は水産業協同組合へそれぞれ移譲された。
 愛媛県水産業会も信用事業と債権債務を愛媛県信用漁業協同組合へ、その他は愛媛県漁業協同組合連合会へ移譲することとなった。昭和二四年一〇月一〇日松山市二番町日本基督教会番町教会において設立同意者八七組合中正会員資格者数組合、出席者正会員資格者中六六組合による愛媛県漁業協同組合連合会創立総会が開催され、連合会長に馬越晃が就任した。
 昭和二四年一〇月一〇日農林大臣から設立許可となったが設立時の出資金は三〇〇万円(払込済額一五一、三万円)であった。当時の定款で定める目的・事業・名称・地区・事務所などについては左のとおりである。

    愛媛県漁業協同組合連合会定款(抜粋)
       第一章 総     則
第一条 この連合会は会員が協同してその漁業の生産能率を挙げ経済状態を改善し社会的地位を高めると共に会員の事業
     の発達に必要な事業を行うことを目的とする
第二条 この連合会は会員のために左の事業を行う
      一、連合会を直接又は間接に構成する者(以下本条に於て「所属員」と総称する)の事業に必要な物資の供給
      二、所属員の事業に必要な共同利用に関する施設
      三、所属員の漁獲物その他生産物の運搬加工保管又は販売
      四、水産動植物の繁殖保護その他漁場の利用に関する施設
      五、船だまり船揚場漁礁その他所属員の漁業に必要な設備に関する旋設
      六、法人たる所属員の監査及び指導
      七、所属員の遭難防止若しくは遭難救済に関する施設又は漁船保険の斡旋
      八、所属員の福利厚生に関する施設
      九、水産に関する技術の向上及び連合会の事業に関する所属員の知識の向上を図るための教育並びに所属員に
       対する一般的情報の提供に関する施設
      十、所属員の経済的地位の改善のためにする団体協約の締結
    十一、前各号の事業に附帯する事業
第三条 この連合会は愛媛県漁業協同組合連合会という
第四条 この連合会の地区は愛媛県一円とする
第五条 この連合会の事務所は松山市に置く又この連合会は必要に応じて従たる事務所を設けることができる。

 県漁連は昭和二五年五月二七日の第一回通常総会において従来支部として業務を行なってきたものを地区漁連として独立することを決議した。昭和二五年における各漁連の設立状況は表10-14のとおりであるが、三一年には九漁連、三二年には五漁連(松山市三、今治市一、西条市一)となった。これは地区漁連の機構では運営が因難となっていたうえ、県漁連の体制も遂次強化されてきたので指導面、経済面とも中間的存在の地区漁連では支障が多く、単一漁連による強力な一元化体制のもとに単協と直結した系統団体の運営こそ漁村経済の基礎確立に最も重要であるとの情勢の変化によるものであった。
 組合の出資金、事業費の推移については表10-14のとおりであり、昭和二四年と五七年を対比すると出資金は三四二倍、購買事業は二、〇三八倍、販売事業は0から一八三億余円にまで伸展したが特に四五年以降の販売事業の伸びが大きいのは真珠と五四年以降に取扱が開始された養殖魚類の急増によるものであり、五〇年以降の購買事業の急伸は餌飼料の取扱いが大幅な増加となったことが要因となっている。

 指導、漁政事業の強化

 昭和四一年五月沿岸漁業阻害要因排除及び韓国水産物の輸入阻止について、愛媛県漁民大会を開催した。四二年五月汚水対策全国漁民大会、四三年三月海上交通法制反対全国漁民大会、八月愛媛県総決起大会の開催などを通じ指導、漁政対策の面で漁業者のけいもうに努めた。四四年一一月と五三年一一月にそれぞれ水協法公布二〇周年及び三〇周年記念式典を実施し、漁協系統運動の高揚に努め、経営の近代化を指導した。四九年以降毎年宇和島市において真珠品評会を、五六年以降は真珠母貝品評会を同地で開催し、養殖技術の向上に努めている。
 昭和五八年三月北灘漁協管内ハマチ養殖業者の経営不振が続出したため、この連鎖反応により同漁協の経営は行きづまってしまった。県漁連はこの事態を重視し、信漁連、基金協会などとの「北灘漁協対策合同特別委員会」を同月開催し、その再建整備について協議した。五八年三月~五九年三月までの一か年で合同委員会一一回、理事会三回、信漁連等との合同役員会五回が開催され、その後も行なわれている。
 以上の外、例年実施しているものにのり養殖研修会、漁協監事・専務・参事・初心者・女子職員などを対象とした各種研修会、愛媛県青年漁業者連絡協議会幹部研修会などを開催して資質の向上育成にあたっている。さらに愛媛県漁業技術及び経営研究発表大会の協賛などを通じて漁業技術と経営知識の啓発を指導している。

 公害対策

 昭和四五年九月の伊予三島・川之江地区紙パルプ工場廃液と香川県三豊漁連との間の公害紛争、四七年の燧灘の魚貝類大量死問題にひきつづき、四八年は全国的な汚染問題として水銀とPCB(ポリ塩化ビフェニール)がとりあげられ水産業界は大パニックに陥り、このため消費者の魚離れ、魚価の低落、市場の荷引停止現象もみられたため漁業は一時休業を余儀なくされるまでの最悪事態となった。このような緊急事態に対処し今後激化が予想される公害問題に積極的に取り組むべく同年四月県漁連内に新しく公害対策室を設置した。六月には愛媛県漁業危機突破漁民総決起大会を開催するとともに県の協力を得て実施された実態調査結果をもとに県内の魚介類の安全宣言のための宣伝用ポスター、ステッカーを配布するなど流通の正常化に積極的に取り組んだ。

 二〇〇カイリ時代への対応

 昭和二二年世界に先がけて南米のチリが領海二〇〇カイリを言言したが、その後四四年頃から高まった資源ナショナリズムを背景に、南米諸国など発展途上国が相次いで二〇〇カイリ漁業水域を設定し、五二年に入りアメリカ・ソ連なども設定した。
 日本も「漁業水域に関する暫定措置法」を制定し、五二年七月一日から二〇〇カイリ漁業水域を実施することとなった。このようにして漁業の国際化は先進国はもちろん発展途上国も含めて一段と進展し、漁業環境は非常にきびしいものとなった。この年、全漁連が中心となって漁業協同組合の購買・販売・信用・指導の各事業の見直しを行なうべく漁協系統事業強化対策検討委員会が設置されるなど経済事業を通じて漁協組織の見直し強化が図られることとなった。
 県漁連は設立時の出資金三〇〇万円(払込一五一・三万円)、購買事業四九三・九万円、職員数七〇余名から昭和五七年度には出資金五億一、八六〇万円、購買事業一〇〇億六、九八二万円、販売事業一八三億六、五〇六万円、職員数は本会四一、宇和島支部五四、宇和島工場一二、西条出張所五、西条冷凍・冷蔵工場七、今治出張所四、漁船用機関整備東予工場一一、計一三四名にまで飛躍した。

 愛媛県信用漁業協同組合連合会

 昭和二四年一〇月一〇日松山市二番町日本基督教会において設立同意者八三組合中正会員たる資格者七八組合で出席者五五組合によって創立総会を開催して設立が議決された。信漁連の初代会長には馬越晃(今治漁業協同組合長)が選任され、県漁連会長を兼任することとなった。そして同年一一月一〇日農林大臣と大蔵大臣の連名で設立認可となったのである。
 設立当時の出資金は一〇〇万円(二〇〇口)であった。事業内容は設立時と大きい変動はないが、現在は「農林漁業金融公庫、住宅金融公庫及び農林漁業団体職員共済組合の業務の代理」に関する業務が追加されている。
 設立当時(昭和二四年度末日現在)は漁連との共同事務所で漁連兼任職員六名、会員八三組合、貯金残高四五四万円、貸出金三二五万円という規模の小さい組合に過ぎなかったが、現在(昭和五八年度末現在)は職員数本会三八名、支所は西条六名、今治四名、宇和島九名、南宇和四名で総数六一名、会員九七組合、貯金六五七億四、一二七万円、貸付金四四八億六、七四四万円、出資金五億三、五〇〇万円へと大きく躍進している。

 系統金融の拡充強化と体制整備

 昭和二九年には市中銀行の選別融資が強化され、漁業資金が規制されたため系統金融に対する依存度はますます増加し資金調達は非常に困難であったが、系統外流失資金の吸収と保証制度の活用などにより貯金の確保と貸付金の拡大に努めた。昭和三〇年度には第一回四国共栄定期貯金を、翌三一年度には同第二回、第三回四国共栄定期貯金の完全消化を達成した。昭和三一年は宇和海のいわし漁業が大不漁に見舞われた年であり、このため昭和三一年度いわしまき網不漁資金として、内海村・西海町・御荘町・蒋渕村等の五二統に対し四、七五三万円の融資が実施された。
 昭和三二年度には国の沿岸漁船整備促進要綱に基づく小型漁船の建造資金のあっせんを行なったほか、県条例による農林漁業近代化資金(現在の共同化資金)が創設せられ、化せん漁網の購入資金などに当てられた。
 昭和三三年度に信漁連は今治事務所と宇和島事務所を、三五年には西条事務所をそれぞれ設置して信漁連の業務体制の整備充実を図った。

 貯金推進運動の展開

 昭和三七年度を初年度として年次ごとに各種の貯金推進運動が展開された。
 昭和三八年度には農林漁業金融公庫の代理業務を開始し漁業融資に幅ができた。
 昭和四〇年度には第一次沿岸漁業構造改善資金の漁業者への直接融資を開始し、四一年には住宅金融公庫資金の取扱いを始めるなど業務内容も一段と充実された。しかし四二年より真珠業界が未曽有の大不況に陥るなど沿岸漁業をとりまく情勢はきわめてきびしいものとなった。四四年には国の制度融資として漁業近代化資金が創設され初年度の枠として二億七、一〇〇万円の融資が開始された。信漁連の事業運営もきびしい年となったが、役職員をはじめ会員の非常な努力によって遂に貯金が一〇〇億円を突破した。
 昭和四七年度に入ると真珠不況もようやく終えんに近づいたが外為市場は円高の影響を受け通貨危機が叫ばれたため、ついに固定相場制から変動相場制へと移行するなど不安定な金融情勢がつづいた。なおこの年には大型定期積立ジャンプが初めて登場するとともに、全国漁協信用事業相互援助制度も発足した。

 激動下の系統資金

 昭和四八年度は石油ショックに端を発する狂乱物価の出現という昭和経済史上特筆すべき年であった。このための燃油・漁具など諸資材の異常な高騰に加え、水銀・PCBによる魚介類汚染問題がぼっ発し、漁業環境は非常に困難な状態に置かれた。したがって国においても水銀等被害資金、沿岸漁業等経営安定特別対策資金制度が新設せられこの救済対策に当たったが、インフレ懸念から公定歩合も五次にわたって引き上げられ金融は引締基調へと転換することとなった。
 昭和五一年度は二〇〇カイリ漁業水域の設定が世界的に叫ばれ、水産業界は一躍国際化の様相を強めてきた年であったが、国においてもこの対策の一環として漁業再建整備特別措置法による経営維持安定資金、漁業用燃油対策特別資金を新設したので、この融資の活用に努めた。
 愛媛県信用漁業協同組合の貯金残高は昭和五五年度末には五〇〇億円を超えおおむね順調な伸びを示してきたが五六年度以降は漁業収益環境の悪化に加え、他の信用機関との競争激化などの影響もあり貯金の伸び率はやや鈍化傾向にある。

 業務の近代化

 信漁連の業務の集中合理化と迅速化を目途として昭和四九年度・五二年度にEOPS機械化が実現した。
 昭和五四年四月に信漁連南宇和支所を新設し南予地区における養殖漁業・漁船漁業全般の系統金融機関の拠点としたことにより、本会を中核として西条・今治・宇和島・南宇和の四支所が整備せられ、水産振興に大きく寄与する体制が確立された。

表10-14 愛媛県漁業協同組合連合会(出資金・購買事業・販売事業)の推移

表10-14 愛媛県漁業協同組合連合会(出資金・購買事業・販売事業)の推移


図10-3 購買・販売事業取扱額の推移

図10-3 購買・販売事業取扱額の推移


表10-15 愛媛県漁業協同組合連合会歴代会長

表10-15 愛媛県漁業協同組合連合会歴代会長


図10-4 昭和57年度購買・販売品種別取扱状況

図10-4 昭和57年度購買・販売品種別取扱状況


図10-5 漁協貯金 全国、四国共通運動の推移

図10-5 漁協貯金 全国、四国共通運動の推移


図10-6 愛媛県漁協貯金残高推移

図10-6 愛媛県漁協貯金残高推移


表10-16 愛媛県信用漁業協同組合連合会歴代会長

表10-16 愛媛県信用漁業協同組合連合会歴代会長


表10-17 信漁連貸出金(受託貸出)貯金残高・貯貸率年度別残高推移

表10-17 信漁連貸出金(受託貸出)貯金残高・貯貸率年度別残高推移