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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

一二 中予の水産養殖


 不振な中予の養殖業

 まず取りあげるとすれば、北条市・中島町ののり・わかめ養殖である。愛媛県は真珠で全国比約一二%、ぶりで約二六%を占め全国一を誇るが、のりは昭和五五年で全国比二・八%、わかめに至っては一%にも満たない実勢である。その中で北条市はのりで県産比三・五%(約三五五トン)、わかめで八%(一一トン)、中島町はのり三・一%(約三〇〇トン)、わかめ三〇%(約三八トン)程度であることからも実態が認識されよう(のりは昭和五五年、わかめは五六年の統計による)。
 中島町のわかめ養殖は二神島を除く各島で六業体、のりは一一業体が、北条市ではわかめ一業体、のり一三業体が行なっている。しかし、昭和五九年度以降の漁業権申請にあたって、中島町においては四一養殖区画のうち約半分の二〇区画が漁業権を放棄しており、また、申請をしたものについても全部が経営を行なうかどうかは両地域とも明確ではなく、のり・わかめについての将来は期待できない(図3-23)。


 過去の真珠養殖

 中島町の真珠養殖は、昭和三三年から他地区業者と地元漁協の共同経営の形で始められ、四二年ころまでが盛況で、二業体が町内の大浦・小浜・睦月など一一地区で行なった。興居島でも同じころ、鷲ヶ巣・泊・御手洗地区で養殖された。両地域ともその盛時には核入れ作業も行なわれ、雑作業も加えて地元労力、特に婦人労力が雇用され、それによる現金収入は貴重であった。真珠養殖は海水温が一〇度C以下では貝が弱り不適であるとされる。中島は野忽那沖で二月に一〇度Cとなり(仁堀航路観測)、宇和海の最低月平均一四・三度C(宇和海水産試験場前)と比べてかなり低温である。ある程度までの低温は化粧まきの良質真珠に仕上がるとされ、中島・興居島への進出もありえたわけであるが冬期は低温をさけるため、宇和海へ貝を移動させる必要があった。真珠市況の低落や貝のトラック移動が採算に合わなくなったことなどで、昭和五八年度に入って中島では全部休止状況となり、北条・興居島で各一業体が残っているに過ぎない。


 自然的、社会的条件の問題点

 中予はリアス海岸の発達が十分でなく、岩礁海岸が多く西風に直面し風波が強い。また潮流が早く、その影響もあって水温が低くなる(中島町野忽那沖で年平均一八度C、二月平均一〇度C)。風浪による筏、棚の破損は各地で聞かれ、また、ひおうぎ貝(ほたて貝の一種)の試験養殖で被害の大きかった昭和五六年の低水温(上怒和漁協、青年漁業同志会による)の影響などもそれである。
 しかし本質的問題点は、社会的条件と中予地区養殖の生産構造にあるといえる。のりを例にとるとその生産過剰と生産コスト上昇の影響である。最近の国内ののり需要は大体七〇~八〇億枚といわれるが、昭和五五年で約九二億枚、五六年度で約八九億枚の生産であり、約一割強が過剰であった(昭和五七年で約四〇億円分ののりが韓国・アメリカ・台湾へ輸出された)。これは直ちに市況にはねかえり、加えてのり生産の機械化(乾燥機で普通一五〇〇万円から二〇〇〇万円)による減価償却費や、労賃高騰によりのり一枚の生産費一二円、販売価格八円という極端な不採算現象も現われるわけである(昭和五六年度)。
 このような不採算市況に対して、中予地区の小規模で片手間的養殖業者は養殖を休止、または縮小するというある意味で極めて身軽な対応をする。県下で代表的養殖業の町といわれる津島町北灘漁協では、専業養殖業者は約四〇%に達するが、中島町にあっては一七業体中、柑橘農業兼業五体、他は漁船漁業兼業者、北条市では一五業体中、米作農業兼業者五体、他は漁船漁業兼業者で、すべてが家族労働中心の兼業者である。だから市況が悪化すると直ちに休止、縮少するのである。


 その他の養殖の試行

 中島町を中心として中予の養殖業はかつて蓄養的側面を持っていた。これは漁船漁業との関係で、捕獲魚の短期蓄養と出荷調整の意味でなされた。中島町のたこの養殖(昭和二六年ころ)、二神のたいの蓄養(正月出荷に合わせて一〇月ころより約三か月蓄養する)、双海町のふぐの蓄養(昭和五七年)などであるが、現在行なっているのは二神のたいの蓄養だけである。次に試行的に行なわれている中島町長師の小割養殖がある。間口七m平方、深さ四~五mのいけすを海中に沈め、浮餌でたい・いしだい等を育てるもので三年物を出荷する。歩留りも七〇%程度あり、二万匹程度が飼育されているが、水深は一〇mは欲しいといわれるので適地は多くないとされ、これも片手間養殖の域を出ない。次に中予養殖の一つのモデルにしたいと、指導者層が考えているのに貝類の養殖がある。さざえ・おわびの宝庫として中島町は有名であり、稚貝の放流を漁協で手がけているが、このような環境の中でひおうぎ貝・マキ貝の養殖に適しているのではないかとの判断である。中島町上怒和では前述のように異状寒波で失敗したが、現在双海町下灘漁協及び北条松ノ木浜で、約一万個のひおうぎの試験養殖に漁業後継者が取り組んでおり、香川県での経営体数四一、水揚げ一一トンの成功例も参考にされている。
 中予では、現在全く新しい養殖として登場したものにごかいとひらめの養殖がある。共に陸上に施設を持ち、タンク養殖といえるもので、より人工的管理環境で高度の歩留りを目標とするものである。ごかいは一三業体が行なっており生産量は約一〇トンである(写真3-21)。ひらめ養殖は中島町長師で計画が具体化しつつあり、共に過剰生産、競合の不安を持ちながらも注目と期待を集めている。

図3-23 忽那諸島の海面養植

図3-23 忽那諸島の海面養植