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愛媛県史 地誌Ⅱ(中予)(昭和59年3月31日発行)

三 三津浜の商店街


 沿革

 三津は慶長八年(一六〇三)加藤嘉明が松山へ入城してその水軍を松前から三津に移して以来水軍根拠地となり、ついで寛永一二年(一六三五)久松定行が船手四〇〇戸を配置して三津に船奉行を設置するに及んで戸数も増加した。参勤交代の御用船の基地となり、操船、管理に当たった者の居住地区となって、それまでの漁港としての役割りに加えて、商港としても重要な地位を確立した。
 特に現在の三津浜中心街は、初期の段階から商、住、港から成る複合機能をもっていた。明治中期には現在の商店街の母胎が形成されはじめ、松山市の台所をあずかる朝市の賑わいは、旧栄町、旧三穂町筋に当然のように各種商店の出現を促した。その後、高浜港との競合や、明治末期から大正年間にかけて、松山電気軌道が松山から宮前川沿いに現在の住吉橋の商店街入口から堀川を通って、現住吉二丁目(旧藤井町)江の口まで線路を敷き、終始発駅を設けた。大正中期、伊予鉄道と合併し、路線が廃止されるまでは、旧三穂町、藤井町界隈は三津浜で一番の繁華街であった。しかしその後は伊予鉄三津駅が松山への足となったため、賑わいも三穂町から藤井町、次いで住吉四丁目あたりに移行して現在の商店街の基盤をつくった。現在の商店街は図2-26のように伊予鉄三津浜駅前の県道、松山~高浜線の住吉橋際から西へ直線四七〇m、中間に柳町商店街が枝状に連結し、道幅約五mの非常に細長い商店街である。昭和一五年温泉郡三津浜町は松山市と合併し、二三年には地区の商店を統合し三津浜商店連合会を組織した。更に昭和三八年三津浜商店街振興組合を設立し、その最初の事業として幅員五m、延長四七〇mのアーケードを完成した(写真2-14)。また、四九年には住吉一丁目の日通海運倉庫跡地を借り受け、専用駐車場としてオープンし、商店街振興の基礎条件の整備が進んでいる。


 立地の基盤

 三津浜地区は松山市の中心業務地区から北西へ約五㎞の地点に位置し、伊予灘と丘陵地に囲まれた臨海地区にある。地区の中心は商業及び併用住宅区から成り、そのまわりを港湾、漁業地区と準工業地区(運輸、倉庫関係)が取り囲み、その外側の内陸部に住宅地区が形成されている。なお業務地区の西側は港湾関係及び貯木場などからなる準工業地区となっており、南隣する臨海工業地区の北端を形成している。地域をとりまく交通的条件では、まず道路は主要地方道松山港線のうち、市内から三津までは二〇~三〇mに拡幅され、国鉄、伊予鉄線との立体化も完成している。その他、県道松前~松山港線、県道堀江~三津浜線及び湯山~三津浜港線は、内浜及び大可賀土地区画整理事業施行区域内を除いては未整理が多い(図2-26参照)。鉄道の現状を乗車人員でみると、国鉄三津浜駅は昭和五一年以後年率平均六%強の減少をたどっており、伊予鉄高浜線の三津駅でも昭和四七年比二五%強の大幅減少をたどっているが、最近は横這い傾向に転じた。三津浜地区(三津・宮前・高浜)の人口は昭和五五年一一月現在三万二六五人で、松山市人口の約六・五%を占めている。しかし四五年比で六・三%増と極めて緩やかで、松山市平均の二四・六%増を大幅に下回っている。松山市はドーナツ化現象が顕著な中で、古くから栄えた三津浜地区はそれがほとんど及んでいない。むしろ三津浜地区自体の中で、昭和四九年対比同五五年の地区内町別の人口増減をみると、三津浜商店街を中心とした半径五〇〇m以内の地域ではマイナスとなっており、ミニ・ドーナツ化現象がみられる。
 産業構造は卸小売業の二七・八%(松山市平均二五・六%)、次いで製造業二〇・五%(同一六・三%)、サービス業一五・八%(同二〇・二%)、運輸通信業一三・一%(同七・六%)の順となっている。三津地区が松山市の海の玄関口の役割をもつことから、運輸通信業の構成比が、松山市平均の二倍近くもあることからもわかるように海運業、港湾荷役業などが盛んであること、更に木材、海産物等を扱う卸売業も多い。


 商業の現況

 小売業の現況を表2-29でみると、商店数は、全体では七四六店(飲食店を含む)となっており、そのうち最も多いのが飲食料品の二五三店(三三・九%)、次いで飲食店一九六店(二六・三%)、その他商品一四六店(一九・六%)、織物・衣服・身の回り品店九一店(一二・二%)、家具・建具・什器四〇店(五・四%)等となっている。この構成を松山市平均と比べると、飲食料品・織物・衣料・身の回り品の構成が高く、飲食店の構成が低くなっている。この五年間の増加では、全体で七・○%増にとどまっており、松山市平均の二五・九%増を大きく下回っている。業種別では飲食店の増加に対し家具・建具・什器や飲食料品の減少が目立っている。
 販売額の五年間の増加率が著しいのは、大型小売店二店の立地による各種商品販売額が増加したことによる。しかし三津浜地区の小売店(飲食店を除く)は、表2-29のごとく松山市平均に比べ規模、生産性とも劣っているが、新規立地の大型店二店の存在が大きい(表2-30)。フジ三津店と、ダイエー・コーノ三津店である。売場面積が二店合計で二九九三㎡となり、三津浜地区の全売場面積の一四・〇%を占めている。又三津浜商店街全体の年間販売総額が約二四億円(地区内販売額に対するシェア一五・四%)とみられるのに対し、二店合計の年間販売額は約四〇億円(同シェア二五・六%)と推計されているところから、地区商業への与える影響はきわめて大きい。しかし消費者買物実態調査から三津地区の購売場所別利用交通機関をみると、三津浜商店街への利用交通機関は、①自転車・バイク②徒歩③電車であるのに、大型小売店は①自転車・バイクは変わりないが、②男-乗用車、女-徒歩となっており、三津浜商店街の今後の発展を考える時、駐車場問題の解決が大きな鍵の一つと言える。

表2-29 三津地区小売業の現況(54年)

表2-29 三津地区小売業の現況(54年)


表2-30 三津地区大型店の概要

表2-30 三津地区大型店の概要