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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

二 産業別人口構成

 第三次産業の増加と製造業の停滞 

 第三次産業就業者の増加傾向は本県に限ったことではなく全国的にみられる一般的傾向である。これは商業、サービス業が盛んになったことを示し、雇用吸収力が高いともみられるが、果たしてそうだろうか。古典的な経済理論であるコーリン・クラークの説では、社会における経済発展は第一次産業から第二次、第三次へと漸次シフトするとしている。
  第三次産業への就業者の集中は、第二次産業の発達を経過して経済活動がより高い水準に達した結果であろうか。とくに三大都市圏のように工業化が高度に進み、第三次就業を支えるだけの人口集中をみた地域に対し、愛媛県をふくむ伝統的に後進地域とみなされるところでは、むしろ第二次産業の不振が第三次への雇用吸収という「みかけの第三次産業化」が進行したとみてよい。県内の農山村でもその割合は増加しているが、就業人口の全体的な減少、とくに第一次産業の衰退、第二次の未発達という経済状況の中での割合の増加にしかすぎないのである。
 昭和五五年の愛媛県の第一次産業比は一八・四%、第二次三〇・六%、第三次五〇・九%であり、年々第一次産業は減少し、第二次産業は停滞、第三次産業の伸びが著しい。第三次産業の中では卸・小売業とサービス業のシェア拡大が著しい(表3-6)。
 愛媛県の昭和五五年の産業大分類別就業者割合から一〇%を超える産業をみると、農業、建設業、製造業、卸・小売業、サービス業の五産業である。そのうち製造業が二〇・五%で最も多く卸・小売業二〇・三%、サービス業一七・八%、農業、建設業の順である。つぎに各産業の四五年から五五年の推移をみると、最大の割合を占める製造業は停滞気味である。これは四八年から四九年の第一次石油ショック、五一年からの第二次石油ショックによる不況と構造不況の影響である。これに対して、卸・小売業、サービス業などは順調な伸びをみた。(表3-6)。

 産業別就業者割合の分布

 各産業就業者比率の地域的分布状況を概観する(図3-15・16)。第一次産業就業者割合について、その地域的特色はどうだろうか。第一次産業比率は中予・南予の内陸山間地域と佐田岬半島・中島町および関前村・大三島町・上浦町・魚島村などで高い。これは農林業および漁業地域と一致する。南予地域にあっても三瓶町・西海町・城辺町・保内町・宇和町などは比較的第一次産業比率は低く、小規模ながら地域の中心地的存在をなし、一応の商店街の形成もみられる。また、越智諸島の弓削町・生名村・岩城村・伯方町は、造船業を中心とする第二次産業に吸収された結果、第一次産業比率が低くなっている。
 第二次産業就業者割合についてみると、六〇%以上の高い市町村はなく、川之江市の五二%が最も高く、造船業への就業が盛んな生名村・波方町・大西町・岩城村がつづく。一方、第二次産業比率の極めて低い地域は、南予の内海町七・八%、三崎町一四・七%、中予の中島町七・四%、東予の魚島村六・八%、関前村九・八%などで、地元に第二次産業の立地が乏しいうえに、周辺他市町村への通勤も困難な島しょ部や僻遠の地である。これらに続いて低いのが中予・南予の山間地域である。東予・中予の沿岸地域は比較的高い比率を示す。
 第三次産業比率についてみると、最も高い比率を示すのは県都松山市で、六九%に達する。これに続くのは残りの一一市と松山市周辺の重信町・砥部町・松前町、南郡の中心城辺町と海中公園をもつ西海町、それに越智郡島しょ部の中心伯方町などでいずれも四五%以上である。

表3-6 愛媛県の産業別就業者割合の推移

表3-6 愛媛県の産業別就業者割合の推移


図3-15 愛媛県の市町村別第一次産業就業者の割合(昭和55年)

図3-15 愛媛県の市町村別第一次産業就業者の割合(昭和55年)


図3-16 愛媛県の市町村別第二次・第三次産業就業者の割合(昭和55年)

図3-16 愛媛県の市町村別第二次・第三次産業就業者の割合(昭和55年)