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愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)(昭和58年3月31日発行)

一 年齢別人口構成

 人口の老齢化

 人口構成についてまず年齢別の構成の変化をみてみよう。一五歳未満の年少人口、一五から六四歳の生産年齢人口、六五歳以上の老年人口に大きく三つの年齢層に分けてみると、ごく最近の国勢調査によった昭和五五年では、それぞれの総人口に占める割合が二三%、六六%、一一%であった。これを三五年以降五年毎の推移についてみると、年少人口は激減し、老年人口割合はしだいに増加した。しかも、全国平均の老年人口割合が昭和五五年に九%であったのに対して本県はそれより高く、本県も人口の老年化、高齢化社会へと移行していることがわかる。
 人口の老年化の程度を年少人口に対する老年人口の百分比で表わした老年化指数でみると、それは近年しだいに増加している。これに対して年少人口指数は出生率の低下もあって相対的に低下している。明らかに人口老齢化が進行し、その活性化が社会的問題となる理由がここにある(表3―5)。
 老年人口の分布の状況を、昭和五〇年について県内のコミュニティ三七五地区ごとに、県平均に対する水準値によって示してみた(図3―12)。老年人口が高水準を示しているところは、全県的に山間地域で、沿岸部では佐田岬半島や宇和海沿岸の南部、そして島しょ部である。これに対して水準値が低いのは、松山市とその周辺や東予地域の都市部である。宇和町が著しく低いのは統計調査の誤りであって、老年人口はかなり多い。このような地域分布は、青年人口の分布と相対するものであって、それは山間地域に著しく低い。西海町をはじめ南予地域沿岸に青年人口が多いのは、ぶり(ハマチ)や真珠の養殖業をはじめ、みかん栽培などに従事する後継者が存在していることによる。

 生産年齢人口の高齢化

 人口全体の老年化の傾向は、生産年齢人口にも反映されている。すなわち、生産年齢人口と一五歳から二九歳の青年層、三〇歳から四四歳の中年層、四五歳から六四歳の高年層に三大別してそれぞれの割合をみると、昭和五五年でその割合は三〇%、三三%、三七%となる。これを一〇年前の割合でみると三六%、三三%、三一%であった。とくに青年層は減少し、高年層の増加が目立っており、ここにも高齢化が進行している。
 また、生産年齢人口の扶養負担の程度を示す指標である従属人口指数(一五歳から六四歳人口に対する○歳から一四歳及び六五歳以上人口の比率)をみると、五五年は四五年と比較して年少人口は減少したにもかかわらず老年人口が大幅に増加したため、従属人口指数は五〇・五%から五二・一%へと上昇し、扶養負担度は上昇している(表3-5)。

 人口ピラミッド

 男女別に、それぞれを五歳階級別の人口数でもって示した図形を人口ピラミッドという。愛媛県について、昭和一〇年・二五年・三五年・四五年・五五年の人口ピラミッドからみると、昭和一〇年と二五年は今日でも低開発国にみられる富士山型であった。その後人口の老年化の傾向が明らかで、青少年層の減少が目立っている。つまり中太りのつりがね型を示している。これを四五年から五五年についてより詳しくみると、この一〇年間に一〇歳から一九歳が減少している原因としては、出生率の低下があげられ、二〇歳から二四歳が著しく減少しているのは、大学進学率が高くなっているため県外への流出が増加していることを表わしている。三〇歳から三四歳が多いのは、戦後のベビーブーム期の人口がこの年齢層に達したものであり、四五歳から五九歳の年齢層の増加が大きい理由としては、戦争の影響を受けなかった年代が中高年者となったためである。なお、六〇歳以上の年齢層がしだいに増加しているのは、死亡率の低下にともなう平均余命の延長によるものである(図3-13)。 高齢化が進行するなかで注目すべきことは、人口の世代交替も著しく進んでいることである。昭和四五年には明治生まれは全体の一四・六%を占めていたが、五五年には八・三%に減少した。一方、戦後生まれは五五年には五〇・七%を占めるにおよび総人口の半数以上を占めることとなり、世代交替が進行している(図3-14)。

表3-5 愛媛県の年齢構成指数の変化(昭和35~55年)

表3-5 愛媛県の年齢構成指数の変化(昭和35~55年)


図3-12 愛媛県のコミュニティ(想定地区)の老年人口水準値(昭和50年)

図3-12 愛媛県のコミュニティ(想定地区)の老年人口水準値(昭和50年)


図3-13 愛媛県の人口ピラミッド

図3-13 愛媛県の人口ピラミッド


図3-14 愛媛県の世代別構成の変化(昭和45~55年)

図3-14 愛媛県の世代別構成の変化(昭和45~55年)