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河川流域の生活文化(平成6年度)

(3)石手川ダムと水源地は、今

 平成6年は伊予市・松山市を中心に、中予地域は百年に一度と言われる異常渇水に見舞われた。5・6・7月の降雨量192mm(8月は2mm)の記録的な雨不足に加え、7月2日に梅雨明けという異常気象によって石手川ダムの水位は日一日と低下(口絵参照)、ついに7月26日から松山市の給水制限が始まった。伊予市三秋地区の24時間完全断水をはじめ、松山市の19時間断水は度々全国版で報道されて、県内はもとより四国の隣県から全国にまたがる、支援の水と義えん金が寄せられた。
 ようやく11月26日になって、4か月ぶりに松山市渇水対策協議会は、石手川ダム及び流域地下水の回復をみて、断水解除を打ち出し、渇水生活4か月のドキュメンタリー番組が全国に放送されたのであった。
 ちまたの様々な声を反映しながら、松山市は今「節水型都市づくり」に向けて歩み始めている。
 ここでは、建設省直轄のダム81か所で初めてデッドウォーター(底水)を利用(8月26日)し、これもゼロになったため、面河ダムから取水するという水事情を記録にとどめ、併せて、水源地河中町の「川とのつきあい」を取り上げる。なお、石手川ダムの写真は、河中町への道中撮影したものである。

 ア 『松山工事四十年史』にみる石手川ダム

 石手川ダム建設工事を担当した渡逼典雄氏は、『松山工事四十年史(⑩)』の「石手川ダムの想い出」に、次のように述べて、ダムエ事史上初めて樹立した「224万時間無事故無災害記録」を感謝している。
 「昭和41年(1966年)4月、実施計画調査を開始後2年余を経て、43年12月ダム本体工事に着手しましたが、工事は比較的順調に進捗(しんちょく)し、47年5月、ダム本体をほぼ概成して一次湛(たん)水を開始し、同年12月には主要工事をおおむね完成し、翌48年3月、無事竣(しゅん)工したもので」と、工事が順調に進んだとしている。
 松山市宿野(しゅくの)町に建設された石手川ダム(写真4-1-32参照)は、洪水調節・かんがい用水確保のほか、松山市の水がめとして造られた多目的ダムである。
 工事に当たっては、直下流に奥道後観光地、市民いこいの石手川公園、松山市街地をひかえて、工事によって発生する濁水の処理について特に慎重に対処したとあり、下流住民の苦情もなかったこと、さらには、用地補償交渉もスムーズに行われたことを喜んでいる。

 イ 川の町おこし~河中町~

 **さん(松山市河中町 昭和3年生まれ 66歳)
 河中町を流れる石手川の水は藤野町で取水され、ずい道を抜けて末(すえ)の湯山発電所へ送られる。それが落下して発電の役目を終えると、市(いち)の井手(いで)浄水場へ流れて松山市民の生活用水になるのだと言う。**さんは、「だから、石手川ダムヘ流入するのは時化(しけ)た時くらいで、今年(平成6年)のような渇水状態では、一滴も入ってないでしょう。」と、きれいな水の行方を語る。水量は決して多いとは言えぬが、福見川の水も集めて流れる水は本当に澄み切っている。
 「昔はごみの収集車がこんのですけん、川は物を流すところでした。川縁にごみ溜(ため)がありましてね、まあ今ほどごみも無かったですが、時化(しけ)ると上から突いて流しよったんです。」と言う川とは思えない。
 「水質保全協議会」が毎年川掃除をするけれど、人々の「川をきれいにする」意識が高いと思うのであった。郵便局を定年退職して、地域のお世話をいろいろとしている**さんが、川による町おこしの仕掛け人であることが後で分かった。

 (ア)虫祈禱(むしぎとう)・川施餓鬼(かわせがき)

 「いろいろ水の行事もあるんです。「虫祈禱」と言いましてね、去年復活したばかりなんです。上のお薬師さんでね、石鎚さんをお祭りしまして、数珠繰って、虫が水に帰るという行事です。
 わたしが帰ってから『やらないかん。廃(すた)れさすのはもったいない。』と。そしたら若い衆が、去年のこと、『土用の入りは20日が多いが、日曜日にやらないかん。』となって、復活したんです。今年の川施餓鬼(写真4-1-33参照)は8月15日です。」と誘われていた。
 先達の**さんに唱和して念佛をあげた後、藤野町、若者塾の1本を加えて2本の「のぼり旗」が川を登り、やがて水面近くまで傾けてもろもろの霊を慰め、行事は終了した。白地に川念佛虫祈禱と書いた旗に添えて、雨乞い祈願の旗がいかにも平成6年らしさを表していた。参加者は一様に白い法被(はっぴ)に白鉢巻き、石鎚権現の行者姿である。

 (イ)ホタルの里・木酢(もくさく)液・竹炭(ちくたん)

 教育後援会長も勤める**さんは、日浦中学校の一角にある炭焼窯も川縁のホタル飼育小屋も見て回る。小屋の修理もすれば、自ら先頭に立っての予算獲得・現地研修もやる。
 おかげで、日浦中学校ではホタルが乱れ飛ぶ川を復活し(写真4-1-34参照)、木酢液(炭焼きの過程で煙から採(と)れ、植物の防虫や土壌改良に効果があると言われる)も森林組合を通して出荷されるまでに進んでいる。また、昔からタケの名産地である日浦地区の、後継者不足で放置されかけた竹林から、竹炭による生活雑排水の浄化に取り組んで成果を上げるという、まさに若者以上の活躍ぶりである。
 紙数の関係で取り上げられないが、**さんの「動植物を含めた自然と人の共生」、そのために取り組む「水源かん養林の造成」には大変興味を抱いているので、今後も見守っていきたい。

写真4-1-32 石手川ダムの底水(デッドウォーター)

写真4-1-32 石手川ダムの底水(デッドウォーター)

2日後、面河ダムから取水開始。平成6年9月23日撮影

写真4-1-33 川施餓鬼

写真4-1-33 川施餓鬼

平成6年8月撮影

写真4-1-34 ゲンジボタルの幼虫を放流する川とホタルの道

写真4-1-34 ゲンジボタルの幼虫を放流する川とホタルの道

左手に日浦中学校、対岸にホタルの道がみえる。平成6年7月撮影