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わがふるさとと愛媛学Ⅶ ~平成11年度 愛媛学セミナー集録~

◇梅栽培の復活

 昔から七折地区で栽培されている梅の品種の一つに、通称七折小梅と呼ばれていた小梅がありました。この小梅が、他の品種に無い独特の品質と特徴を有し、松山市の市場で好評を博して格別な高値で取り引きされるようになりました。そして昭和40年ころには、市場関係者の間で「青いダイヤ」とも呼ばれるようになり、量産をしてほしいとの要望が起こったのです。
 しかし、七折小梅の量産といいましても、先にもお話ししましたように、終戦後からは営利目的としての栽培をしていませんでしたので、量産のためには、まず栽培技術の確立が必要でした。そこで、当時四国内で唯一大規模に生産が行われていた徳島県内の生産地や徳島県果樹試験場への視察を行ったり、先進地から講師を招くなどして、七折地区の農家全体が栽培技術を習得することを目指しました。こうしたなかで、政府による米の減反政策も加わって、七折小梅の植栽に拍車がかかり、昭和48年(1973年)には梅栽培農家が15戸になったのを機会に「七折梅生産出荷組合」が結成され、組合員が栽培技術の向上と量産をねらいとして活動を開始しました。
 七折梅生産出荷組合の結成と同時に、市場への出荷用ダンボールを作り、箱ごとに梅の加工方法を解説したパンフレットを入れ、流通の末端まで産地名と生産者名が知れわたるように配慮し、販売の拡大と産地の宣伝を始めました。組合の婦人部は、梅の付加価値を高めるために梅干しや梅シロップ、梅ジャムなどの商品開発に取り組みました。現在では、それらを砥部町内で催されるイベントなどにおいて販売し、七折小梅の宣伝と組合員の所得向上を目標に活動を展開しています。