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宇和海と生活文化(平成4年度)

(1)はじめに~南予綿業のシンボル

 愛媛県の歴史的風土の特色の一つは、海と峠にある。すなわち、前面に瀬戸内海と宇和海を望み、後背に四国山地を背負う自然風土は、峠によって平野や盆地の地域的な生活文化圏を特色づけた。
 大洲盆地から夜昼峠を越えると明るい太陽が降り注ぐ宇和海が展開して南国的な景観となる。宇和海沿岸の「耕して天に至る」と言われた段畑耕作に象徴される厳しい生活条件と風土の中で、八幡浜地方の人々は積極的、進取的な姿勢でもって生産活動と生活文化に取り組んできた。現在の八幡浜地方の主産業は「柑橘と水産業」が担っているが、明治・大正・昭和を通して八幡浜を支えてきた代表的な産業は綿織物業であった。
 今日、八幡浜市古町の秋山が丘にはモーニングにけさを掛けた独特の姿の堂々たる銅像が建っている(写真4-1-23参照)。
 この銅像の主こそ「南予綿業の父」といわれるとともに、八幡浜周辺の町村合併を推進して昭和10年(1935年)9月、初代八幡浜市長に就任し、わずか2か月後に47歳で病没した酒井宗太郎氏その人である。
 昭和31年(1956年)4月、八幡浜市が市制実施20周年記念行事の一環として、八幡浜地方の織物業と地方自治の発展に粉骨砕身の努力を傾けた酒井宗太郎氏の功績を永久にたたえるため、酒井宗太郎氏が幼少の頃から親しんできた秋山が丘に建立されたものである。
 翌年の昭和32年(1957年)7月、「酒六」を創業した酒井六十郎(さかいろくじゅうろう)氏(酒井宗太郎氏の父)の胸像が、八幡浜市と八幡浜商工会議所によって「酒六」発展の中心地である向灘高城の本社工場構内に建設された(口絵参照)。この年は酒井六十郎氏の織物創業70周年、「酒六」の創立25周年の年に当たり、酒井六十郎氏の胸像の建立は八幡浜地方の産業界にとってもふさわしい記念事業であった。
 胸像の碑文は妙心寺(みょうしんじ)管長古川大航老師によって「翁ハ明治元年当市古町二生レ 資性謹直奉仏崇祖ノ念篤(あつ)ク 長シテ機械生産ヲ志シ 独立独行社会公衆ノ便宜ヲ計り 共存共栄ノ策ヲ立テ 初ノ手織ヨリ脚蹈(あしふ)ミニ及ヒ 正藍織カラ紺織二進ミ研究苦辛百難ヲ克服シテ優ナル製品ヲ産出 販路八四国ヨリ九州二延ヒ又善ク時流二適応シテ生産ノ転換ヲ断行更に動力織機ヲ新添シテ高級優品ヲ続出シ 遂二海外輸出ノ信望ヲ博スルニ至ッタ(⑬)」と選書された。
 八幡浜地方の綿織物業の発展は開拓した人々の粒粒辛苦の努力の成果であるが、開拓者の代表として酒井六十郎氏と酒井宗太郎氏を取り上げ、この父子の生き方を軸として八幡浜地方の綿織物業の歩みを述べる。織物業の歩みについては、主として「八幡浜織物史資料(⑭)」や「八幡浜市誌(⑮)」などを参考とした(以下、敬称略)。

写真4-1-23 モーニングにけさ姿の酒井宗太郎像

写真4-1-23 モーニングにけさ姿の酒井宗太郎像

八幡浜市古町秋山が丘。昭和31年4月建立。平成4年7月撮影