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えひめ、人とモノの流れ(平成19年度)

(1)町の特産品をつくりたい

 「平成4年(1992年)に愛媛県はアグリトピア構想という農林水産業の活性化事業を進めていました。当時同じ鬼北盆地の町村のうち、日吉村には『ユズ』、松野(まつの)町には『モモ』」、三間(みま)町には『三間米』といった特産品がありましたが、広見町にはこれといった特産品がないと言われており、そういった状況への不満が町内にはありました。そこで、特産品を作っていこうということになり『雉』と『アメノウオ』、そして菌床(きんしょう)栽培による『シイタケ』の三つを生産するための事業が立ち上がりました。その中で唯一順調な伸びを見せていたのが『雉』の事業だったのです。
 当時、雉の事業は第3セクター方式で設立した「グリーンファーム安森(*24)」が担い、主に雉の飼育を行い、加工処理は外部委託でした。雉肉は骨と内臓を取り除いただけの状態ですから調理しようにも一般の方には難しく、さばくことのできる方しか扱えませんから、町内や宇和島(うわじま)地域の料理屋さんなどに冬場限定の鍋料理用として供給していました。その当時の年間生産は2,000羽程度でした。
 平成10年になると国からの補助金を受けて、雉肉の生産を本格的にやっていこうという町の方向性が決まり、私も町の産業課長として深くかかわるようになりました。私は雉を町の特産品として内外にきちっと認めてもらえるために年間売上高は1億円に達しなければならないと考え、この発想から年間の生産規模を3万羽と設定しました。しかし、雉肉の生産という内容的な珍しさや、生産規模にも無理があると県や国から指摘され、国の補助金を受けるにはずいぶん苦労しました。
 実際に補助金が受けられるようになってからは、まず平成11年(1999年)に1万5,000羽分の育雛(いくすう)舎を三島(みしま)地区に建築しました。次に、平成12年に我々が第一工房と呼んでいる加工処理施設を建築し、平成13年から稼動させました。そして、平成14年に第二育雛舎を愛治(あいじ)地区に建築しました。場所を変えて建築したのはヒナが小さいうちには病気にかかりやすいので、万が一病気が発生した場合のリスクをあらかじめ分散させるためです。しかし、第一工房だけでは雉肉を内臓と骨を肉から分離した状態にしか加工処理できませんでした。この状態ではなかなか一般の消費者には受け入れられませんから、平成16年に雉肉の冷凍保存処理のできる第二工房を建築し、平成17年から稼動させ、小口の商品も生産できるようにしたのです。こうして平成17年から、全体的な設備が整った形で『鬼北雉工房』が本格的に稼動しはじめました。
 現在、町の職員が兼務している工場長を含めて正規雇用の従業員は7名です。そこにパート職員が加わり、秋~冬の最盛期にはパート職員の方を含めて10名前後になります。今後生産規模が4万、5万羽と増えたとしても、雉工房の稼動体制を交代制にしていけば十分対応できるものと考えています。
 雉工房は次の四つを基本理念としています。①『健康とまじめ』をテーマとすること。②地元の食材を生かしたスローフードを基調とする食品づくりを目指すこと。③元気な中高年及び老人向け食材、そして乳幼児の離乳食として雉を中心とした食べ物を研究開発し、商品化を目指すこと。④研究・開発成果を商品化し、地域ブランドとして確立することで、食育を通じて地域の活性化を促すこと。こういう理念のもとで『きじプロジェクト』が生まれてきました。このきじプロジェクトという呼び名は首都圏で私たちの取組を伝えるために、できるだけ少ない言葉で相手に伝えるものとしてたどりついた言い方なのです。」


*24:グリーンファーム安森 雉の飼育や加工処理について、きじプロジェクトの礎となる様々な実践を積み、平成18年に解
  散した。