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えひめ、その装いとくらし(平成16年度)

(1)人はなぜ装うのか

 ア 「装い」とは

 1980年代になってアメリカから日本に導入された被服心理学は、被服や身体装飾が人間の行動や心にどんな影響を及ぼすかを研究する学問である。日本のこの分野における先駆者の一人である高木修氏は『被服と化粧の社会心理学』の中で、「装いとは、広義に『身体の外観を変えるために用いるすべてのものやそのための行為』を意味するもの」と定義し、「装い」の中には、その主要なものとして、身体の各部を覆い包むものとしての「被服(衣服)(*1)」と顔の特徴を際立たせるために顔に手を加える「化粧」とがあり、その他として、かぶりもの、はきもの、ヘアスタイル、かつら、ひげ、アクセサリー、入れ墨などをあげながら、一連の装いの文化としてとらえている(①)。
 このような意味で「装い」をとらえると、上着や下着、帽子や靴はもとより、特別な装いを身につけたときに着装する道具類なども「装い」に属することになるだろう。また、「身体の外観を変える」という言葉には、特別なとき以外に、労働に従事するとき、家でくつろぐとき、街に出かけるときなどさまざまな場合が想定される。人は朝起きて、寝間着から外出着に着替え、夕方帰宅すると、リラックスできる装いに身を包み、入浴後寝間着に着替え眠りにつく。日常生活で着用される衣服やかぶりもの、履物すべてが装いであると言っても過言ではあるまい。
 では、高度経済成長期以前の愛媛地域の人々は、どのような装いをしていたのであろうか。『愛媛県史 民俗上』には、大正13年(1924年)、越智(おち)郡乃万(のま)村(現今治(いまばり)市)において実施された農村生活実況調査の報告書についての記述があり、その中に、当時の一般庶民が所持していた衣服について記録が残っている。それによると、乃万村阿方(あがた)地区50戸の衣服所有枚数は、1人平均16.6枚となっている。さらにその内訳は、晴れ着9.4枚と普段着(仕事着を含む。)7.2枚で、晴れ着の所有枚数が普段着を上まわっている。この数字は、県下における大正期農村の平均的傾向を示す値であったと思われるが、晴れ着の占める比率の高いことは注目される。当時は、厳しい日常生活の中で、年中行事や冠婚葬祭(かんこんそうさい)に代表される“ハレ”(日常的な生活、普段の生活を“ケ”とするのに対して、冠婚葬祭のような特別な機会を意味する民俗学用語)の日の認識が現代人に比べてより重い存在であり、庶民の衣生活においても、晴れ着と普段着の区別がはっきりとしたものであった(②)ことがうかがえる。

 イ 「装い」の見方・とらえ方

 服飾研究家の小池三枝氏は、『服飾文化論』の中で、なぜ人が衣服を着るのかという理由について、衣服の機能という観点から分析している。以下、小池氏の見解を要約して紹介する。
 1番目は、衣服を物理的に見た場合の身体保護機能である。寒暑・風雨その他の自然条件の下で、あるいは人為的環境の下で、身体の健康を保ち、危険から身を守る働きである。
 2番目は、衣服を心理的に見た場合の心の保護機能である。他人に見られて恥ずかしいという羞恥心(しゅうちしん)をやわらげることによって、心の平安を保つという働きである。ただし人間が自分の体のどのような状態に対して羞恥の感情をもつかは、民族・時代・宗教・文化などによってかなり異なり、個人によっても異なる。人前で裸体をさらすことによる羞恥心もあれば、体のわずかな部分の露出による羞恥心もある。
 3番目としては、衣服には病気を防ぎ危険から護る力があると信じられる場合、あるいはもっと積極的に着る人に幸いをもたらすと信じられる場合があげられる。日本では産着や七五三・成人式・婚礼などの衣服に、着る人の身の安全や幸せを願って、宝尽くし(絵や模様などに如意宝珠(にょいほうじゅ)・打出の小槌(こづち)・花輪違いなどの形を描いたもの)・松竹梅(しょうちくばい)・鶴亀(つるかめ)・鳳凰(ほうおう)などのめでたい文様をつけたり、護摩(ごま)の煙に衣服をかざしたりする風習がある。また、願い事の成就を祈って鉢巻きをしたりする。
 4番目として、衣服による共通性と個別性の表示機能がある。人間は、衣服によって自他を区別したいという願望と区別を明確にしないで紛れていたいという願望をあわせ持っている。学校や職場での制服のように、特定の集団が着る揃(そろ)いの衣服は、個人を隠し、集団を明示することによって、着る人の集団への帰属意識を高める効果をもっている。また特定の集団の中で一人ないし数人が、ひときわ目立つ衣服を着けることによって、その集団の中で個別を明確にする場合もある。
 5番目としては、実用性とともに、人間が持つ美的欲求・装飾欲求を満たすという働きである。美的基準は、時代や地域により異なるが、現代では、一般の衣服はいうまでもなく、身体保護の物理的機能が最優先する宇宙服や戦闘服においてさえ、美的欲求を満たすことが求められている。
 6番目としては、装いがもつ変身の機能があげられる。一人の人間が衣服や髪型を替えることによって気分を変え、そのことによって姿勢や動作まで変わってしまう場合もある。普段ジーンズにTシャツ姿の若者が濃紺やグレーの就職活動用スーツに身を包み企業向けのきびきびした姿になる場合なども一種の変身であろう。
 7番目としては、衣服は言葉や動作、身振り、しぐさなどとともに自分を他人に伝える手段となる。衣服は、便利な実用機能をもっている「もの」としてだけではなく、個人個人を区別する表示の役割を果たし、さらには内面を語る「ことば」として、あるいは個人の内面を超えた、時代や社会という大きな背景を示す「ことば」としての役割を果たすこともある。
 8番目としては、制服や礼服などの特定の場で着用される記号化した衣服は、それを着用する人を一定の型に入れて制約すると同時に、型の中で保護するという機能をもつ。たとえそれを着る人間の実態が衣服にふさわしくない場合でも、型の決まった衣服を着ることによって、それらしく取り繕うことができる。また、記号化した衣服は着る人の心に対して特定の働きかけをもする。礼服を着ると改まった厳粛な気分になったり、警官の制服を身につけると警官らしい動作や言葉遣いになったりする。
 また、前出の『被服と化粧の社会心理学』では、衣服がもつさまざまな機能を、「衣服は、人間にとって第一の表皮ではなく、『第二の表皮』(あるいは第二の皮膚、セカンド・スキン)である。衣服は、何層にも『重ねる』ことができる表皮である。衣服は、時と場所と状況に合わせて『着替え』られる表皮であり、したがって容易に『取り替え可能な』表皮である。衣服は、時と場所と状況に合わせて、人間の『外面の変化を助長』するのみならず、『内面の変化を助長』する表皮(その意味での、人間カメレオンの表皮)である。衣服は、『人間を作る表皮』であるとともに、人と人との相互作用を基礎にした『社会を作る表皮』である。(①)」とし、人間にとっての衣服を意義づけている。
 衣服は以上のような機能や意義をもつが、それでは化粧はどんな意味をもつのだろうか。歴史的には、医療行為の一環として、さらに魔除けの意味を込めて粧(よそお)うことがなされており、化粧には心身の健康を図るはたらきがあった(①)という。
 前出の『被服と化粧の社会心理学』では、化粧には二つの側面があるという。一つ目は「変身する」こと、つまり、素顔に色彩を施し、眉を書き直したり、まつげを長くするなどして、構造的には容易には変えられない顔の特徴を操作し、印象を変えようとすることである。そうすることによって、ハレの日に、日常の自分と特別な自分とを切り替え、日々の自分から抜け出すなどの変身願望を満たそうとするのである。
 二つ目は、「粧(よそお)う」こと、つまり、いつもの自分に手を加え、恒常的に一定の対人的効果をめざすものであり、いわば自己の“ケ”(普段。日常)の部分の「手直し」行為としての意味である。これは、自分の特徴を強調したり、魅力を増すために口紅をひいたりすることによって、日々の自分の見え方・見られ方を管理しようとするものである。いずれにせよ、基本的な動機は、自分を他者に「このように認めてほしい」との承認欲求の期待の表われであり、評価概念がある。このことは、化粧することで、自尊心を維持し、対人的な関係の円滑さを図るために、当該の文化基準と連動しながらなされる印象の操作、という側面の働きが大きいと考えられる(①)。
 伝統的な日本の化粧は、眉をそり落とすこと、歯を黒く染めるお歯黒、白粉(おしろい)を塗ること、口紅や頬紅(ほおべに)を塗ることであった。このうち、眉をそり落とす風習とお歯黒は野蛮な行為であるとの太政官布告が出され、徐々に消えていった。頬紅も明治の中ころには消えていったとされるが、白粉と口紅は今でも化粧の主要部分を占めている。
 日本で本格的に化粧品が普及したのは、明治に入ってからであった。衛生面から石鹸(せっけん)製造技術が導入され、明治10年代には早くも白粉の下につける化粧水やニキビとり美顔水が発売されていたという。大正初期には、洗顔石鹸や水分補給のための化粧水、油分補給のためのクリームが主要メーカーから発売され、昭和初期には、洋服が徐々に一般化していく風潮に連動して、化粧品も普及していったが、太平洋戦争、戦後の復興と続く時期には、食べることが中心で化粧どころの話ではなかった。
 現代では、口紅は塗るという言い方が普通であるが、太平洋戦争前の日本では、口紅は点(さ)すものであった。点すとは、細いもの(指)で小さな面積(口)を彩るという意味を含んでいたという。


*1:被服(衣服) 高木氏は『被服と化粧の社会心理学』の中で、被服を身体の外見を変えるために用いるすべてのものをさ
  し、衣服は(被服よりも狭義で)身体の主要部分を覆い装飾する被服と定義しているが、本書では用語の混乱を避けるため
  被服と衣服を同義ととらえ、以下衣服と表記する。