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えひめ、その食とくらし(平成15年度)

(1)日本の食事情

 ア 食料自給率の推移

 食料自給率とは、国内の食料消費量に対して国内生産量だけでどの程度賄いうるかを示す指標である。以下、農林水産省が刊行している資料『我が国の食料自給率-平成14年度 食料自給率レポート-』を参考に概要を整理した。
 平成14年(2002年)度の食料消費の動向をみると、一昨年のBSE(牛海綿状脳症。脳がスポンジ状になって運動神経の障害を起こし、最後には死んでしまう牛の病気)発生等の影響を受けた牛肉の需要が回復するなど肉類が増加した一方、肉類の代替需要として13年度に消費が急増した魚介類は減少した。また従来からの「米離れ」も継続している。国内生産については、小麦、海藻類などが増加したものの、魚介類、果実等が減少した。これらの結果、平成14年度の日本の食料自給率(国民1人が1日に摂取する食べ物のうち国内産が占める割合をカロリーベースで算出したもの)は40%であった。
 日本の食料自給率は、昭和40年(1965年)度の73%から50年度には54%へ低下し、その後、ほぼ横ばいで推移したが、60年度以降再び大きく低下し、平成10年(1998年)度には40%となり、その後5年連続で40%と横ばいで推移している。
 主な要因としては、日本人の食生活が大きく変化したことが挙げられる。日本人の食生活は、日本の気候・風土に適し自給可能な米の消費が減少する一方で、畜産物や油脂類の消費が増大するという形で変化してきた。畜産物や油脂類を生産するために必要な大量の飼料穀物(トウモロコシなど)や油糧原料(ダイズ、ナタネなど)の多くは輸入に頼っており、長期的な食料自給率低下という事態を招いた。
 また、近年では、食の外食化や経済のグローバル化など社会経済情勢の変化の中で、日本の農業生産が、消費者や食品製造業者、外食産業などのニーズに対して品質・価格などの面で必ずしも十分に対応できず、生産が減少傾向にある。加えて、動物性たんぱく質供給において大きな役割を果たす漁業生産が、周辺水域における資源状況の悪化などから減少傾向にあることなどが、短期的な食料自給率低下の大きな要因となっている。
 水産物供給の現状については、日本の周辺水域における資源の変動や遠洋漁場における規制の強化などにより、漁獲高は、沖合漁業や遠洋漁業を中心に減少している。加えて、国民の水産物需要が所得水準の向上などに伴って、エビ、マグロなど国内漁業では賄いきれない魚種へと変化したことにより、平成14年度には、食卓に並ぶ魚介類の約半分は輸入によるものとなっている。
 今や日本は、年間約5兆円の食料を輸入する世界最大の食料輸入国となり、世界の農産物貿易額に占める日本の割合は、10.9%(2001年)となっている。『これでいいのか日本人の食卓』によると、食料輸入量のうち3分の1が魚介類で、その3分の1をエビが占め、台湾からウナギ、韓国からマグロ・アカガイ、アメリカからサケ・マスなどを輸入している。さらに、アフリカからイカ・タコ、オーストラリアからアワビ、地中海からマグロと、世界中の魚介類を独り占めしている状態であるという(②)。これらの膨大な輸入の助けにより、飽食の時代が成り立っている(③)。
 主要先進国と比較すると、平成13年(2001年)のカロリーベースの食料自給率は、アメリカ122%、フランス121%、ドイツ99%、イギリス61%であり、40%の日本と比べると高い水準となっている。また、穀物自給率で比較すると、28%の日本は、OECD(経済協力開発機構)加盟30か国中28位で、アイスランド・オランダに次ぐ低さである。
 平成12年7月総理府が実施した「農産物貿易に関する世論調査」では、「将来の我が国の食料供給に非常に不安がある」が26.6%、「ある程度不安がある」の51.8%を合計すると、78.4%の人が将来の食料供給に不安を抱いている。また、「外国産より高くても、食料は生産コストを引き下げながら、できる限り国内で作るほうがよい」が43.6%、「外国産より高くても、少なくとも米などの主食となる食料については、生産コストを引き下げながら国内で作るほうがよい」は40.6%となっており、実に84.2%の人が、国内での自給を望んでいる。
 その一方で、飽食といわれる豊かな時代の中で、食品産業や家庭では、食べ残しや賞味期限切れに伴う廃棄問題が発生している。『食生活指針』によると、統計のとり方が異なるので単純に比較はできないとことわった上で、1人1日当たりの供給量と摂取量を熱量で比較すると、平成12年では供給量が摂取量を約700kcal上回っており、これが廃棄されている量とみられると指摘している。700kcalは、学校給食で一人が1回に食べるカロリーにあたるとともに、国民1人1日当たり平均摂取熱量1,948kcalの約30%に相当する数値であるという(④)。

 イ 食の簡便化

 食生活の変化は他の生活領域の変化とも密接に関連している。近年、女性の社会参加の促進や単身世帯の増加、高齢化の進展、生活スタイルの多様化などを背景に、家庭内で行われていた調理や食事を家庭外に依存する状況がみられる。これに伴い、食品産業においても、調理食品や総菜(そうざい)、弁当といった中食(なかしょく)を提供する部門が発展している(⑤)。
 食料費全体に占める外食費の割合は、昭和50年(1975年)の11.3%から、平成8年(1996年)には17.6%にまで高まっている。また、中食も同じ期間に4.3%から9.0%へと上昇している。逆に内食(うちしょく)の非加工食品(生鮮食品と穀類)の割合は同じ期間に、42.1%から31.8%へと低下している(⑥)。
 一方、食料費から外食費を除いたもの(内食と中食)に占める加工食品に対する支出の割合は同じ期間に、52.5%から60.7%に高まっている。加工食品化が進み、食の外部依存度が増している(⑥)。
 こうした“食の手抜き化”の一方で、主婦の意識の中には、家族になるべく手をかけた心のこもった料理を食べさせたいとの考え方はむしろ強まっている面もある。手をかける場合と手を抜く場合の使い分けも新しいライフスタイルの重要な側面である(⑥)。
 また、24時間営業のフードサービスの店が盛況を極め、自分の食事を自分自身で手軽に選択できる便利な世の中になったことも孤食(こしょく)や個食が増える原因の一つとなっている。
 孤食は、家族一人ひとりが、別々の時間にバラバラに食事をする風潮である(③)。家族規模の縮小と産業構造の変化に伴う一人ひとりの生活時間差が社会的要因となって生じたとする分析もある。中でも現在注目されているのは、子どもの孤食である。厚生労働省が実施している国民栄養調査の結果をみると、朝食時の子どもの孤食は昭和57年(1982年)22.7%、昭和63年(1988年)27.8%、平成5年(1993年)31.4%と増加している。国民栄養調査以外のデータでも、子どもの孤食は増加している(④)。
 個食は、個人の好みにより、中身の異なる食事をすることである(③)。家族がそろって食卓を囲む場合でも、メインのメニューは主婦が手をかけたものをみんなで食べるが、サブのメニューには家族の好みに合わせて外で買ってきた出来合いの総菜やデリカ(ハム・サラダなど調理済みの食品を販売する西洋風総菜店)食品が並ぶという光景も普通になっている。メニューの個別化ともいえる現象である。こうした孤食や個食の場で、外食や中食が多く利用されるのは当然の成り行きであろう(⑥)。

 ウ 食の情報化

 食の簡便化が進む一方で、人々は、おいしさを求め続けている。その結果、おいしいものを探し歩き、食べ歩くグルメ・ブームとなり、どこどこの店の何々はおいしかったとか、行列のできる○○屋とかいったグルメ情報が氾濫(はんらん)している。テレビでは、一般にはなかなか手に入りにくい食材を使った特別料理のおいしさを競う料理番組が放映され、ある食品の健康効果がテレビで取り上げられると、それを並べたスーパーの棚があっという間に空になるという現象も生じるようになった。
 このグルメ・ブームについて、山路健氏は『飽食の軌跡』の中で、次のように記している。
 「グルメ・ブームの仕掛け人は食品メーカー・外食産業と美食ジャーナリズムで、彼らは三位一体となってマスメディアを通じてさまざまな情報グルメを流す。すなわち、食品雑誌・料理雑誌・食べ歩き探訪記・レストランガイド・PR情報誌、豪華版の料理本をはじめ、和洋中の料理教室、電波メディアによるテレビ料理が消費者の情感をくすぐる。朝日新聞学芸部記者・村上紀子氏の調査によると、全国のテレビ料理のレギュラー番組数は本年(1989年)4月は週間88本にのぼり、単発の番組を合わせると110本にものぼったという。『一億総グルメ時代』の到来である。(⑦)」
 さらに山路氏は、「こうしたあふれる情報の中で、消費者は食文化といえば食べ歩き、食べ歩きといえば食文化のような錯覚に陥り、食品企業と美食ジャーナリズムが発信する情報グルメによってもたらされた個性のないグルメ・ブームが起こっている。また、食品メーカーや外食産業は、日本人の人並み意識と新しがり屋という特性をうまく利用して、新しく開発したアイデア食品や料理をPR情報と口コミによって販売を伸ばすという企業戦略を講じている。(⑦)」と指摘している。

 エ スローフード運動

 20世紀後半急速に広まった、いつでも、どこでも、同じ味の食品を味わう食のグローバル化に危機感を抱き、食の多様性をキーワードとするスローフード運動が、1986年夏、イタリア北部ピエモンテ州のブラという町で始まった。この運動は、消えていきつつある郷土料理や質のよい食品やワインを守ること、質のよい食材を提供してくれる小規模な生産者を守っていくこと、子どもたちを含めた消費者全体に味の教育を進めていくことなどを目的としている。スローフード運動とは、単にファーストフードに反対するのではなく、「食という喜びを享受する権利を守る」運動のことである。運動を始めたイタリア人たちは、そのためには食の多様性を守らなければならないと説いた。人間を取り巻くそれぞれの風土、環境、文化から生まれるバラエティー豊かな食にこそ、大きな人生の喜びがあるというのが彼らの主張であった(⑧)。
 『スローフードな人生!』の著者、島村奈津氏は、「スローフードとは一体何か。それは、だらだらとやたらめったら時間をかけて食べよう、ということではない。(中略)いわばスローフードとは、普段、漠然と口に運んでいるものを、ここいらで一度じっくり見つめなおしてみてはどうだろうか、という提案である。そうして、この毎日、胃の腑におさめている滋養と活力の素を通じて、自分と身のまわりの人間や、自分と自然との関係を問い直そうではないか、という人生哲学である。(⑨)」と記している。
 このような基本姿勢のもと、スローフード協会は、食のボランティア団体として1989年正式に発足し、現在世界に約7万人のメンバーを持つNPO(民間非営利団体)になった(⑩)。消費者が安心して食べられる、質の良いおいしい食品をこつこつと作る人々、その土地ごとに残る伝統料理を守ろうとする人々を応援し、世界の均質化が加速度的に進む中で、消えていこうとしている希少な野菜やチーズといった食品界のパンダを救え!、と声を張り上げているという(⑨)。
 こうした中、愛媛県内でも地元で生産されたものを、地元で消費する“地産地消”の運動が急速に広まっている。“愛媛産には、愛がある。”のキャッチフレーズのもと、生産者の顔が見えるという安心・安全イメージに後押しされ、学校給食の献立に地場野菜を取り入れたり、消費者が地元農家から米、野菜などを直接購入する産直市や直売所などが拡大している(⑪)。