データベース『えひめの記憶』
えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業27-松野町-(令和6年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)
第3節 奥内の棚田保存の取組と人々のくらし
松野(まつの)町の山麓の耕地は、農民が生きるために自らの手で作り出した開墾地が多く、松野町の山間部の全域に及び、特に奥野川、蕨生、目黒、上家地、富岡、豊岡に多く分布している。この山麓に開かれた耕地は、江戸時代から明治時代に掛けて、長い歳月を掛けて開発されてきた。谷あいの山麓を選び、傾斜地に鍬(くわ)を入れて山を崩し、遠くから石を運んで石垣を積んで土地をならし、1段また1段と細長く狭い田畑を作り、更に水路を作って谷水を引きやっと作り出したものである。
棚田は、山の斜面や谷間の傾斜地に階段上に作られた水田である。棚田の役割は、農産物を生産するだけでなく、自然環境の保全、洪水を防止する機能、下流域の地下水かん養など国土保全の機能や、文化的な価値など多面的な機能を持っている。棚田を取り巻く山林は天然生林の占める割合が高く、豊富な生物環境を育む場となっており、かつては山林資源の利用も活発であったと推定できる。しかし、平地と比べて圃場面積が狭く、周囲は山林が迫り、日照時間も短く、労働生産性と土地生産性がともに低いため、次第に放棄され荒廃する農地が多く見られる状況であった。
奥内は蕨生地区にあり、広見川の支流である奥の川、その支流の奥内川流域にあって、遊鶴羽山や赤滝山という500~600m級の急峻な山並みによって閉ざされた3つの谷に、遊鶴羽、下組、本谷、榎谷の4つの集落がある。田んぼは谷部の緩傾斜地に棚田として存在し、宅地は尾根の緩斜面に、畑は宅地の周辺と山林際に分布しており、地形を生かした土地利用がなされている。奥内地区の集落の棚田は、地元農家の努力によりほとんどの農地が耕作され、棚田の石垣等の保全が良好であったため、平成11年(1999年)に農林水産省の「日本の棚田百選」の認定を受け、令和4年(2022年)にはポスト棚田百選である「つなぐ棚田遺産」に選定された。また、奥内地区全体の棚田及び農山村景観が、平成29年(2017年)に、文化庁の「国の重要文化的景観」として選定された。
「日本の棚田百選」に認定されたことを受け、地域住民が平成11年(1999年)に「奥内棚田保存会」を結成し、現在は「奥内の里保存会」という名称で体験学習会を行ったり、松野町や松野町商工会と合同で「棚田まつり」を開催したりするなど、積極的に棚田保全活動を進めている。現在も米作りが行われており、地域一丸となって次世代への継承を視野に入れた棚田の保存に努めている。
本節では、奥内の棚田保存の取組や昭和40年代から50年代を中心とする地域でのくらしについて、Aさん(昭和28年生まれ)、奥内の里保存会会長のBさん(昭和39年生まれ)から、話を聞いた。