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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業18ー宇和島市②―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

1 漁船漁業

(1) 巻き網漁の始まり

 ア 敷き網から巻き網漁へ

 「私(Aさん)が小学生から中学生にかけてのころ、私たちは敷き網と呼んでいた漁をしていた記憶があります。宵のうちから岩場に網を敷いて、網の四方の角を一斉に引き上げて魚を捕獲していました。中学生のころには巻き網漁が始まり、この辺りでは一つの巻き網漁の船団を網の数え方と同じように1帖と言いますが、最初は2帖くらいだったと思います。巻き網漁が始まったころ、日振島、御五神島の沖まで漁に出ていましたが、由良半島の沖まで漁に出ていた人もいました。当時は今よりも小型の木造船だったので、由良半島まで3時間くらいはかかっていたと思います。巻き網漁を始めたころの1帖は、網を張る船、捕獲した魚を運搬する船、集魚灯の付いた船の3杯(隻)の漁船から成っていて、6名ほどが乗船していました。今は一度に捕獲できる魚の量が増えているので、1帖は4杯から5杯の漁船からなっています。網は機械で引き上げていた船もあったと思いますが、私たちは手で引き上げていたことを憶えています。」

 イ よく獲れたイワシ

 「私(Bさん)が巻き網漁をしていたころ、主にイワシとアジが獲(と)れ、そのほかサバや網目の小さな網でアミエビを獲ることもありました。昔はイワシがよく獲れていましたが、最近、イワシは獲れなくなっています。漁船には網を巻き上げるローラーが付いていましたが、最後は手で引き上げていたことを憶えています。市場に水揚げしますが、九島にイリコの製造所があったころ、イワシはそちらに直接持っていくことがありました。20年ほど前には、九島を含めてこの近辺に何か所もイリコの製造所がありましたが、今は九島にはイリコの製造所はなくなり、近辺でも少なくなっています。」

 ウ 巻き網漁の時期

 「巻き網漁に出る際、夕方ころ港に船員が集まり、その日の漁について打ち合わせをしていましたが、これは今も変わりません。昔は天気についての情報が今ほど正確ではなかったので、当日の海の様子を見て漁に出るのか出ないのかを決めていました。今、九島には14帖ほど巻き網漁の船団がありますが、昔はもう少し数が多く、船員も若い人が多かったと私(Bさん)は思います。午後5時から6時ころに港を出て漁場に向かい、夜中に漁をして、市場が開く午前4時から4時半ころに戻ってきました。
 漁に出る時期は3月から10月末ころまでで、満月の日と海が荒れている日以外は毎日出ていました。海の状況に関する情報が今のようになかった時代で、『これくらいの波の状態だったら大丈夫だろう』と思って漁に出ても、漁場付近は時化(しけ)ていて網を張れず、魚を捕獲せずに戻ることもあったことを憶えています。漁獲量によって漁の終わる時期は前後し、漁獲量が少なくなると早めに終わることもありました。満月の日に漁に出ないのは明るすぎて集魚灯で魚を集めるのが難しいからで、これは今でも変わりませんが、今は土曜日も漁を休んでいます。漁船が大型化して性能も良くなったので魚を捕獲しすぎないようにするためで、それでも捕獲しすぎている場合は、魚価の低下を防ぐため漁止めになることもあります。
 今でこそ、巻き網漁専業で生計を立てることができますが、昔はそうではありませんでした。半農半漁の生活で、冬場は海が時化て漁に出られない時期が長いので、山で農業をしたり出稼ぎに行ったりする人がほとんどでした。今は天気や海の状況の情報が正確で、船の性能も良いので漁に出ない時期は1か月から2か月ほどと短くなり、長期間漁に出ることが可能になっています。」

(2) 巻き網漁の近代化

 ア デジタル化の恩恵

 「昔の魚群探知機は巻紙に印刷するタイプで、真下付近にいる魚群しか分からなかったので、魚群を見つけるには経験や勘が大事でした。漁に出ても魚群を見つけられず、魚をほとんど捕獲できないまま戻らなければならないことも珍しくなかったことを私(Bさん)は憶えています。今の魚群探知機は、3Dで魚群が画面に表示され、周辺の魚群まで分かります。
 漁場に行くまでも、夜、漁に出るため辺りは真っ暗で、昔は月明かり、星の位置、かすかに見える島や山の影の形や灯台の明かりなどで方向や距離を把握しなければならず、経験が必要で慣れるまで大変でした。今は自動車と同じように漁船もナビゲーションシステムを搭載していて、GPS機能も付いているので自分の漁船がどこにいるのかすぐに分かり、楽に目的の漁場へ行けるようになりました。ナビゲーションシステムの画面は海図のように表示され、潮の流れまで分かるので大変便利です。このように昔の漁には経験が大切でしたが、今はデジタル機器をいかに使いこなすかが大切になっていて、年配者は苦労していますが若手はすぐに慣れています。」

 イ 木造船からFRP船へ

 「昔の漁船は今よりも小さく、エンジンの出力も低かったです。漁船は昭和50年代までには木造船からFRP(繊維強化プラスチック)船へ急激に替わっていきました。昭和40年代は完全なFRP船ではなく、木造船にプラスチックを巻いたような漁船だったと私(Bさん)は思います。FRP船に替わり、漁船はだんだん大型化し、搭載されるエンジンも大きくなりました(写真2-1-1参照)。九島にも3か所ほど造船所がありFRPの漁船を製造していましたが、最後の1か所も最近閉鎖しました。」

 ウ 漁船の燃料

 「昔の漁船の燃料は重油でしたが、今ではこの辺りの巻き網漁の漁船で重油を燃料にしている船はありません。漁船の燃料は軽油になっていますが、大型の船でA重油を燃料にしているものもあります。私(Cさん)の店の給油船にはA重油と軽油が入れてあり、この辺りの漁船や養殖の餌船に軽油を給油しています。昔は燃料代が安く、今の半額くらいの時期もあり、漁獲量が多いとそれだけ儲(もう)けが大きくなっていました。儲けが大きかったので、無理して漁に出ることがなかったのだと思います。」

写真2-1-1 FRP船(巻き網漁船)

写真2-1-1 FRP船(巻き網漁船)

令和2年8月撮影