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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業18ー宇和島市②―(令和2年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

2 養殖漁業

(1) ハマチ養殖の始まり

 ア 真珠母貝養殖

 「九島ではハマチ養殖が始まるまで、多くの人が真珠母貝養殖をしていたことを私(Eさん)は憶えています。ところが、真珠母貝は外見がきれいに育っても、中身が悪いものができるようになって高く売れなくなり、真珠母貝養殖が儲からなくなったのです。そこで、真珠母貝養殖に代わるものとして、儲かるかどうか未知数でしたがハマチ養殖を始めました。」
 「私(Fさん)が小学生のころ、私の家では真珠母貝養殖をしていました。集落前の海にブイの付いた真珠母貝の養殖筏(いかだ)がたくさんあったことや、父に言われて、稚貝を付着させるためのスギを山へ伐(き)りに行き、スギの葉を網の中に入れて海に吊(つ)るしたことを憶えています。中学生になるころには、私の家では真珠母貝養殖をやめてハマチ養殖を始めていました。」

 イ ハマチ養殖を始める

 「私(Eさん)は昭和45年(1970年)ころにハマチ養殖を始めましたが、九島で一番早い人は昭和40年(1965年)ころに始めていて、自宅前の海で2、3台の生け簀(す)で養殖をしており、鮮魚店のように個人客にハマチを売っていたことを憶えています。私がハマチ養殖を始めて間もないころ、九島でハマチ養殖に取り組んでいた人は多く、一番多かった時期には本九島だけでも60名以上おり、蛤や百之浦でも多くの人がハマチ養殖をしていました。当時は養殖だけではなく、漁に出たり山で農業をしたりしていて、山の上の方まで段畑がありました。漁や養殖が専業化したのは最近のことです。」

 ウ 養殖生け簀

 「ハマチ養殖を始めたころの養殖生け簀の大きさは4m四方で、自分たちで竹を購入して番線で組んで作っていました。その後、角材になり、現在は金枠になっています。網はナイロンから金網に替わりました。金網はナイロンのように何かに引っ掛かって破れることはありませんが、錆(さ)びて穴が開くことがあります。後にシマアジを養殖していた際、金網に穴が開いていた生け簀からシマアジが逃げてしまい、たまたま釣りに来ていた人が入れ食い状態になってしまったことがあったことを私(Eさん)は憶えています。」
 「ハマチの養殖生け簀は、購入した竹に番線を巻いて組み上げ、フロートを取り付けて自分たちで作っていました。養殖生け簀の大きさは、現在10m四方が基本ですが、私(Fさん)の家がハマチ養殖を始めたころは5mから6m四方くらいで、集落前の海で育てていました。当時は1戸当たりの養殖生け簀の枠数が決められていたと記憶しています。」

 エ モジャコの購入

 「私(Eさん)が養殖を始めたころ、ハマチの養殖に必要なモジャコ(ハマチの稚魚)は、漁協組合から購入していました。漁協組合は小型の運搬船で大分県蒲江(かまえ)町(現大分県佐伯(さいき)市)の下入津まで2泊3日で行き、相手方と交渉してモジャコをまとめて購入して、九島に戻っていたのです。漁協組合のモジャコは、運搬船の中にある八つほどに区切られた生け簀にモジャコの大きさごとに分けられ、それぞれ価格が決められていました。運搬船が九島まで戻ってくると、モジャコの購入を希望する人が、自分の欲しい大きさのモジャコが入れられている生け簀に名前を書いた札を入れて、漁協組合から購入していたことを憶えています。
 初めのころは、ほとんどの人が漁協組合から購入したモジャコでハマチの養殖をしていましたが、慣れてくると個人でモジャコを購入するようになりました。私は高知県の大方(おおがた)町(現高知県黒潮(くろしお)町)へよく購入しに行きましたが、良いモジャコを求めて一度だけ長崎県の五島列島まで自分たちの運搬船で購入しに行ったことがあり、そのころにはほとんどの人が個人でモジャコを購入するようになっていました。
 昔は自分の運搬船でモジャコなど養殖用の稚魚を購入しに行っていましたが、今は個人が業者と契約して稚魚を持ってきてもらっています。人工的に孵化(ふか)させた稚魚の販売は近畿大学水産研究所が先駆けですが、今でもそちらで購入する人が多いようです。」
 「私(Dさん)は九州や高知県の沖の島まで泊まり掛けでモジャコを購入しに行きました。購入したモジャコを生け簀に移した際、当時はナイロンの網だったため、網に穴が開いていてモジャコが逃げてしまったことがあったことを憶えています。」

 オ 餌の変化

 「養殖魚の餌は、昔は生餌でしたが、今では人工飼料を固めたペレットに替わっています。昔は稚魚には自分たちで手をドロドロにしながらミンチにしたものを餌として与えていて、大変苦労したことを私(Eさん)は憶えています。昔は養殖生け簀に餌船で近づいて人力で餌を与えていましたが、最近のマダイの養殖生け簀には時間になると自動的にペレットを与える機械が付いています(写真2-1-3参照)。また、今では大手の水産会社が餌から養殖魚の販売まで扱っていて、養殖をしている人は、契約した大手の水産会社から餌を購入し、育てた養殖魚をその水産会社に販売してもらっています。」
 「昔は生餌ばかりだったので、海がだんだん汚れていきました。九島の海岸でカキもとれていましたがとれなくなってしまい、海水がヌルヌルしていたことを私(Dさん)は憶えています。ペレットになってから、また海がきれいになっていったと思います。」
 「ハマチ養殖を始めたころの餌は生餌で、モジャコにはコナゴ(イカナゴの稚魚)を与えていましたが、ある程度成長してくると、イワシやサバを餌船の上で包丁で切って与えていて、私(Fさん)も手伝って魚の血で血だらけになったことを憶えています。それらの餌は漁協組合でも扱っていましたが、父は付き合いのある個人業者に連絡して購入していました。
その後、モジャコには船上の機械でミンチにした餌を与えていた時期もありましたが、20年くらい前には生餌から人工的に作られたペレットへと替わっていきました。ペレットは半生状のモイストペレットと乾燥ペレット(ドライペレット)があり、モイストペレットは船上の機械で作ることもあります。餌は、まだ成長していない時期は1日に朝と晩の2回くらい、ある程度成長してくると1日1回、朝方に与えていて、冬になると1週間に1回くらい与えていました。」

 カ 出荷まで

 「モジャコから出荷できるようになるまでに大体2年から3年かかりましたが、初めのころは早く収入を得るために、大きさが1㎏ほどと小さなものを1年くらいで出荷していた人もいたことを私(Eさん)は憶えています。現在は4年余り養殖してブリにして出荷することもあります。」
 「ハマチ養殖を始めたころはハマチの価格が良かったので、1年くらいで出荷しても十分儲けになったことを私(Dさん)は憶えています。」
 「モジャコを業者から購入してハマチを育てていましたが、昔は出荷するまで3年ほどかかったと私(Fさん)は記憶しています。昔のハマチ養殖の場合、モジャコから育てて出荷できるようになるまで成長するのは2、3割ほどで、モジャコを10万匹育てると3万匹ほど出荷できるようになるという計算で養殖をしていました。最近はワクチンを接種するようになり、昔のように成長段階で多く魚が死ぬことはなくなっています。麻酔液に浸(つ)けて麻酔をかけた1匹1匹のハマチに、人間の予防接種と同じように注射器でワクチンを接種しているのです。」

 キ 赤潮

 「私(Eさん)がハマチ養殖を始めたころ、養殖は九島の南側で箱崎から内側(東側)の海域で行っており、沖(九島の北側)の方では一切行っていませんでした。潮の状態が悪くなって赤潮が発生するようになったため、昭和50年代になってから真珠養殖の場所を少し譲ってもらって、沖で養殖をするようになったのです(写真2-1-4参照)。
 初めのころは8台の生け簀が10列くらい並んでいましたが、今では20列くらいまで増えています。4月から10月もしくは11月までは沖で養殖し、冬は海が荒れるので九島の南側へ養殖生け簀を移動しています。沖で養殖をする期間であっても台風で海が荒れそうな場合は、養殖生け簀を比較的海が穏やかな九島の南側へ移動しています。昭和60年(1985年)ころから沖でも赤潮が発生するようになりましたが、その際は状況を見てさらに養殖生け簀を移動させ、嘉島の近くまで移動させることもあります。」
 「養殖している魚を逃がしたり、死なせたりしてしまうと、経費を回収できずに大赤字になってしまうので、私(Dさん)は台風や赤潮の際、『逃がしてはいけない、死なせてはいけない』と気を遣っていたことを憶えています。」

(2) 養殖魚の変化

 ア マダイ養殖

 「稚魚から成長して出荷できるようになる割合がハマチより高いことから、マダイも養殖するようになりました。私(Fさん)が高校を卒業して養殖に取り組み始めたころ、マダイの割合も増えていたと記憶しています。当時、天然マダイの稚魚を業者から購入して育てていましたが育ちが遅く、1kgに成長するまで4年くらいかかっていました。その後、人工的に孵化させた稚魚を業者から購入して育てる完全養殖になりましたが、以前と成長の仕方、太り方が全く違っていて、2年半くらいで2kgほどに成長するのです。そういったこともあり、現在この近辺ではマダイ養殖をする人が多くなっています。」

 イ 養殖魚の多様化

 「養殖はハマチから始まりましたが、だんだんハマチを養殖する人は少なくなってきて、今では九島で7、8軒ほどになり、マダイ養殖が主流となっています。ただし、養殖魚の価格は安定しておらず、マダイが高い場合もあればハマチが高い場合もあり、どちらを養殖した方が良いとは一概には言えないところが養殖の難しいところだと私(Eさん)は思います。今年(令和2年〔2020年〕)は東京オリンピックの効果で養殖マダイがよく売れると期待して、例年よりも多めに養殖をしていましたが、新型コロナウイルス感染症の影響で東京オリンピックは延期され、さらに全国的に外食が大きく自粛されたため、養殖マダイが想定どおりに売れず余ってしまい、価格が大幅に下がってしまいました。
 最近、ハマチやマダイ以外にも宇和島ではシマアジやフグ、サーモンなどさまざまな種類の魚を養殖している個人業者があり、中には水温が高くて養殖魚の成長が早くなる高知県宿毛(すくも)市の沖など、県外で漁場を購入して養殖し、出荷前に宇和島に持ってくる個人業者もあります。」
 「昔はイサキを養殖していた人もいましたが、成長が遅くてやめたことを私(Dさん)は憶えています。」


参考文献
・ 宇和島市立九島公民館『私たちの九島』1976
・ 愛媛県『愛媛県史 地誌Ⅰ(総論)』1983
・ 愛媛県『愛媛県史 地誌Ⅱ(南予)』1985
・ 愛媛県『愛媛県史 社会経済2 農林水産』1985
・ 愛媛新聞社『愛媛県大百科事典(上巻)』1985
・ 愛媛県高等学校教育研究会社会部会地理部門『宇和島市の地理』1990
・ 角川書店『角川日本地名大辞典38愛媛県』1991
・ 愛媛県かん水養魚協議会『愛媛県魚類養殖業の歴史』1998
・ 宇和島市『宇和島市誌(上巻、下巻)』2005

写真2-1-3 マダイの養殖生け簀

写真2-1-3 マダイの養殖生け簀

生け簀上にある箱が自動的に餌を与える機械 令和2年8月撮影

写真2-1-4 九島沖の養殖生け簀

写真2-1-4 九島沖の養殖生け簀

令和2年8月撮影