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伊予の遍路道(平成13年度)

(1)吉祥禅寺を経て国分寺へ②

 坂の途中右側に舟形地蔵の道標④がある。やや下ると道の左右に一対の文化年間(1804年~1814年)建立の石灯ろうがある。昔の面影を残す遍路道(写真3-2-4)をしばらく下ると、右側に、仏像が両手で上下を指示する道標⑤があり、さらに下ると、新谷・谷の遍路道の分岐点に至り、そこに道標⑥・⑦がある。道標⑥の手印に従い右へ進むと、後述する竹林寺経由国分寺への遍路道となる。
 道標⑦の手印に従って左側へ進み、しばらく下って左側にある遍路墓の前を通り過ぎると、右側に手印だけの小さな道標⑧があり、逆順路の仙遊寺への方向を示している。
 遍路道が山道から里道となり三島神社前の道と交差する所に2基の道標がある。一つは、小さな手印だけの丸石の道標⑨で、仙遊寺への方向を示す「四国のみち」の木製の道標のすぐ下にある(写真3-2-5)。小さな道標であったため知られておらず、平成3年12月に発見された。道を挟んだ向かい側にもう一つの道標⑩がある。道はここからは平坦となり、谷集落を通り抜けると、左手の小堂の中に舟形地蔵の道標⑪があり、国分寺への遍路道を示している。道標⑪から遍路道をしばらく北東に進むと、吉祥禅寺に至る。

 イ 吉祥禅寺を経て頓田川(とんだがわ)へ

 今治市新谷にある吉祥禅寺門前の寺前池のほとりに道標⑫がある。この道標は「酒一升で身売りされていた」のを、地元の郷上史家たちの努力で現在位置に移転したものという<5>。
 ここから道は約150m北東へ進み、右側の手印だけの道標⑬からさらに約300m北東に進むと、弓田池の前、道の右側に道標⑭がある。さらに300mほど進むと大野の墓地の前、道の左側に道標⑮があり、またすぐ北東道沿い左側の生垣におおわれるように道標⑯が立っている。さらに北東に約600m進むと、県道今治丹原線(155号)に出る100mほど手前左側の畑の奥隅に斜めに傾いた道標⑰がある。この道標には、静道の「雪とけて元の山家となりにけり」という佐礼山を詠んだ句が刻まれている。
 遍路道はその後、県道155号を越えて進む。すぐ右手のスーパーマーケット横に道標⑱がある。そこからさらに北東に500mほど進むと、旧朝倉街道と交差する。この交差点南西にある松木集会場の前に、「朝倉 不動殿大門江 三十丁」の道標と国分寺への方向を示す道標⑲が並んで立っている。ここ旧松木村(現今治市松木)には弘法大師にまつわる伝説が『今治夜話』に残っている。それによると、大師がけちで欲ばりな老婆を懲らしめるため井戸を金気(かなけ)水にしたという<6>。
 遍路道は国道196号を越えて北東に進む。松木団地南端の水路沿いを行くと、四つ角左南側に、手印が実際とは逆方向を向き、下部が破損した道標⑳があり、向かい北側には小さな地蔵がある。さらに北東に進むと、やがて県道桜井山路(やまじ)線(156号)に合流するが、その三差路の角に新しい「国分寺道」の道標がある。この道標は脇に立つ電柱と鉄柱にさまたげられその刻字がよく見えない。かつて周囲が田んぼであったこの角には、今のものより大きな手印の遍路道標が立っていたそうだが、戦後松木団地造成の時にトラックに折られてしまい、その代わりに新しく今の道標が、昭和38年(1963年)に建てられた。折損した道標は、その後しばらく向かいの小川に放置してあったが、いつのまにか無くなってしまったという<7>。
 遍路道はこの三差路を右折し、県道156号をまっすぐ南東の方向に行く。JR予讃線を越えてしばらく進むと、左側にJA越智今治富田(とみた)支所があり、この向かい側の川上手に昭和11年(1936年)建立の道標㉑がある。この辺りから北東側(今治市上徳)にはかつて伊予の国府が、あるいは道路の南西側には南海道の越智駅があったのではないかといわれているが、明らかではない。
 道はさらに南東に進み、頓田川(とんだがわ)に架かる国分橋に至る。国分橋手前左側には舟形地蔵を祀(まつ)った地蔵堂があり、そのすぐ南東には、戦前まで「いずみ屋」という遍路宿があったという<8>。
 国分橋を渡る。この川土手には今でも立派な桜並木があり、人々の憩いの場となっている。土手の右岸、橋より南50m先の木立の間に、国分寺を示した道標㉒がある。この道標には静道の「竹に宿る雀も見えて夏の月」という句も刻まれている。

 ウ 頓田川岸から国分寺へ

 遍路道は、頓田川を後にしてさらに南東に進む。桜井団地の横を通り過ぎしばらく行くと、左手に国分寺の小高い森が見えはじめ、やがて三差路に突き当たる。県道156号はこのまま左手に進むが、遍路道は右手の細い道を進む。三差路から100mほど進むと、左折する道の角の**邸(国分6-1-46)前に道標㉓があり、その隣家の**邸(国分6-1-45)前には真念の道標㉔がある(写真3-2-6)。喜代吉榮徳氏の『四国遍路 道しるベー付・茂兵衛日記』によると、この真念道標は、源五郎地川の橋げたにしていたものを昭和58年(1983年)春の河川工事の際に地元の人たちが見つけ、再建したそうである。それを喜代吉氏らが今治市内の道標調査の際、全く偶然に見い出したというものである<9>。
 遍路道は道標㉓から左折して、県道156号に合流し、県道156号を少し南東に進む。右手に国分公民館があり、その庭には「従是西今治領」の領界石が立っており、公民館前の横断歩道端には下半分か埋もれた2基の道標㉕・㉖がある。さらに県道を南東に約100m進むと、国分寺の駐車場前の三差路角に道標㉗があり、そこから左の細い遍路道を進み左折すると、国分寺境内への石段に至る。

写真3-2-4 昔の面影を残す遍路道と道標

写真3-2-4 昔の面影を残す遍路道と道標

仙遊寺から今治市新谷へ向かう途中。平成13年5月撮影

写真3-2-5 小さな丸石の道標

写真3-2-5 小さな丸石の道標

木製の道標の下にある。今治市新谷・谷。平成13年5月撮影

写真3-2-6 橋げたになっていた真念道標と遍路道

写真3-2-6 橋げたになっていた真念道標と遍路道

今治市国分。平成13年5月撮影