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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(2)先達組織と「へんろみち保存協力会」の活動①

 先達組織は、遍路を道案内したり、各霊場での巡拝作法などの手ほどきをするなどして、四国遍路を支えている。また、「へんろみち保存協力会」は、最近、増えている歩き遍路のために遍路道の整備や道標の設置を行うなど、地道な取り組みをしている。
 以下、これらの組織の活動状況をまとめた。

 ア 先達組織と構成

 先達とは、本来、芸道・学問等の部門において、後学に対する先覚・先進等の意味であった。しかし、その後、修験(しゅげん)道の特殊な用語となり、入峰修行(にゅうぶしゅぎょう)(修験道の最も重要な修行で、峰入りともいう)の新客に対し、同行の修験者の先導となる熟達した山伏を指す言葉となったようである。
 今日、四国遍路の先達は、参詣者が不安・支障なくその目的を達成するための道案内や、精進・潔斎(けっさい)・奉幣(ほうへい)(神に幣帛(へいはく)をささげること)などをつかさどったり、経供養の導師の役割を果たしたり、更には参詣者の宗教上の不安・疑問への回答などを行っている。
 このような四国遍路の先達は、いつごろから組織されたのだろうか。
 「早大道研」編『現代社会と四国遍路道』では、「先達は昔から存在しており、むしろ霊場会よりはるかに古い歴史をもつ。しかし、現在の先達組織は四国八十八ヶ所霊場会が育て上げ、霊場会公認の先達たちが構成員として組織化されている。霊場会からの聞き取り調査によれば、名簿確認できる最古のものは、昭和36年(1961年)のものであった。(④)」と記載されており、高度経済成長期の昭和36年ころに組織が整えられたことがうかがえる。
 四国八十八ヶ所霊場会が公認する先達会は、都道府県別に構成されている。その地域別の人数は、月刊新聞『へんろ』編集部の調査によると、四国地区が最も多く、それに近畿地区や中部地区が続き、全体では7,000名を超えている。また平成3年に行った徳島大学総合科学部の調査『四国八十八ヶ所巡拝者の意識と行動』によると、先達数は約5,000名となっており (⑤)、それ以後、9年間で約2,000名増加していることになる。
 また、先達はどのようにして選ばれ、昇格していくのだろうか。
 新任・昇補(昇格)の選定方法は、各寺院に遍路者が各自で申請し、寺院がその人の修行ぶりを見て霊場各地域部会に推薦し、次いで部会が霊場会に推薦し、次いで部会が霊場会に推薦し、霊場会の先達審査委員会で正式に認定されることになっており(⑥)、先達は、自己推薦→寺院の推薦→霊場部会の推薦→四国八十八ヶ所霊場会の先達審査委員会の審査という過程を経て認定されている。
 このようにして認定された新任先達には、公認証、金剛杖、袈裟(けさ)などのほかに、先達の心得を書き記した「先達必携」が授与され、毎年12月に七十五番善通寺で行われる霊場会主催の先達研修会に出席して、それぞれ資質を高めることになっている。
 昇補については、四国八十八ヶ所霊場会で選ばれた公認先達には厳格な階級制度があり、修行と経験を積んで公認されることになっている。

 イ 公認先達の活動

 公認先達は、一般の遍路に具体的にどのようにかかわり、行動しているのだろうか。
 先達の具体的な仕事内容について、夫妻で四国八十八ヶ所先達会の大先達を務める**さん(大正13年生まれ)、**さん(昭和6年生まれ)に話を聞いた。**夫妻は、昭和59年(1984年)から「伊予満足講」に入って、毎月1回、日曜日にバスで四国霊場八十八ヶ所を巡拝している。その後、昭和62年に共に先達の資格を得て、講員の道案内や霊場修行の指導をしながら、自らも経験を積み、権中先達、中先達、権大先達の資格を次々と取得し、**さんが平成9年に、**さんが平成12年に大先達の資格を取得している。二人の話をまとめると次のようである。
 「わたしたちの所属する『伊予満足講』は、月に1回、日曜日にバスで何か寺かを巡拝し、年間12回で四国霊場を一巡するようになっていますが、この講で現在、大先達を務めています。わたし(**さん)が先達になったのは昭和62年です。当時は、団体バスでの巡拝でしたが、最近の遍路と違って霊場までの歩く距離も長く、巡拝に時間もかかっていました。しかし、最近は道路も整備されて巡拝しやすくなり、自分で車を運転するようになってからは、多いときには1年に9回も四国霊場を巡拝したこともあります。『伊予満足講』で、今年(平成12年)の10月1日(日)に行った巡拝では、約150名がバス3台に分乗し、七十二番曼荼羅(まんだら)寺から八十二番根香(ねごろ)寺までを回りました。この団体には、講長(団長)、補佐、庶務にあたる大先達に準じた方がおり、それぞれのバスには、車長、副長、会計にあたる者がいます。わたしは車長として巡拝の道案内をしたり、札所でのお勤めの指導など、お遍路の世話をしてきています。また、参拝する霊場の縁起については、『先達必携』をもとに、できるだけ詳しく皆さんにお伝えし、食事や札所との折衝などの世話をしています。
 札所でのお勤めの仕方については、バスの中などで下記のことを順を追って細かく指導します。

   ① 山門(仁王門)では、まず右の仁王様に一礼し、その後左の仁王様にも一礼して境内に入ります。
   ② 参拝前のロのすすぎ方にも作法があります。まず、右手で杓(ひしゃく)を持ち左手を洗い、次に右手を洗います。そ
    の後、左掌(てのひら)に杓で水を注ぎ、それを口に含んですすぎます。さらに、杓の柄を下に向けて、残った水で柄
    を洗います。後から使う方への心遣いです。
   ③ 鐘楼では鐘は一つだけ撞(つ)き、参拝後は撞きません。その後、本堂の納札箱に納め札や写経を納めます。
   ④ 続いて、お灯明、線香や賽銭(さいせん)をあげますが、お灯明は奥の方からあげます。さらに、線香は2木立てるの
    は先祖と自分のため、3本目は子孫の繁栄を願ってのことです。
   ⑤ 読経は定式はなく自由な形で行いますが、般若心経、御宝号(ごほうごう)(「南無大師遍照金剛」)だけは欠かさな
    いようにします。
   ⑥ 大師堂へ行き、本堂と同様に参拝します。
   ⑦ 納経所で納経帳にご朱印をもらいます。
   ⑧ 山門で、一礼してさがります。

 これらの先輩の先達から教えてもらった作法を、一緒に参拝する遍路に伝えていますが、最近は作法ができていないお遍路を見かけることもあります。例えば、お袈裟(けさ)とお数珠を付けたまま、トイレに入る遍路を見かけることもあります。」
 このように、四国霊場八十八ヶ所霊場会が公認する先達は、主に団体バスによる霊場巡拝の遍路に対して道案内をしたり、霊場縁起の解説をしたり、また巡拝作法の導師の役割を果たしながら、巡拝する遍路を支えている。

 ウ 「へんろみち保存協力会」の活動

 遍路を支える人々の活動のなかに、歩き遍路のための遍路道の整備に地道に取り組んでいる民間組織の「へんろみち保存協力会」がある。
 この会の主な活動は、遍路道の整備と道標の設置、平成遍路石の建立、それにガイドブックの作成である。以下、この会を運営し、活動の中心になっている**さん(昭和10年生まれ)の話を基にその活動内容を整理した。

 (ア)道標の設置と平成遍路石の建立

 「へんろみち保存協力会」は全国の有志によって構成されており、四国特有の遍路道を、多くの人に歩いてもらって、弘法大師の功徳をいただいて欲しいとの願いから、特に遍路道の整備に力を入れているという。
 **さんが遍路道の道標を設け始めたきっかけは、昭和62年(1987年)に松山市内の札所巡拝で道に迷ったことと、徳島県の四番大日寺を目指して歩いていて、道に迷ったことであった。
 この体験から、とりあえず昭和62年に遍路道に標識を設けることを思い付き、最初は五十一番石手寺から五十二番太山寺までに標識を設けた。当初は松山市とその周辺だけの軽い気持ちで、ブリキ板に赤いペンキでマークと矢印を入れた標識(写真2-2-9)約200枚を作って取り付け始め、62年中に愛媛県内の遍路道に道標を付け終えた。その後、63年からは香川県、徳島県、高知県へと作業を広げ、四国全体での作業を平成元年8月に完了した。その間に、**さんが中心になって、四国の遍路道に順次、設置した道標の数は総数で二千余本にのぼっているという。
 また、「へんろみち保存協力会」では、平成7年より現代版遍路石(しるべ石、道標のこと)として、「平成遍路石」の建立にも力を注いでいる。この建立の趣旨・目的は、平成に生きた証(あかし)を残すこと、先祖供養と子孫繁栄の願いを永遠の形にすることなどである。そして、大師信仰が日本人の心の支えとなって末永く引き継がれていくことを「平成遍路石」に託してみようと一般の人々に呼びかけている。

写真2-2-9 歩き遍路のための道標

写真2-2-9 歩き遍路のための道標

三坂峠より四十六番浄瑠璃寺までの遍路道にて。平成13年2月撮影