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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(2)先達組織と「へんろみち保存協力会」の活動②

 「平成遍路石」の設置場所は、四国霊場八十八ヶ所をつなぐ遍路道の曲がり角や分岐点などの地点を選び、その土地の地先(じさき)(居住地または耕作地と地続きの野山)関係者の協力を得て設置し、古い遍路道標石や「四国のみち」道標との重複、競合を避け、徒歩巡拝者にとって、より必要な場所に設置されている。「平成遍路石」は、平成12年10月までに61基がすでに設置されている。
 また、「平成遍路石」の建立に要する資金は、広く施主を募って確保するが、1基に数名の施主連名も奨励している。遍路石は、底固めの後、コンクリート型枠を据えて、施主からの写経などを入れた埋奉納筒を安置して基礎工事を施した上に建立する(写真2-2-10)。遍路石には一連の番号を付して刻み、建立の経過を記す記録簿に掲載する。建立活動が一段落したとき、あるいは一定期間経過後、記録簿を公立図書館に寄贈して保存を依頼し、後世の遍路石管理活動や研究活動の資料とすることも意図している。

 (イ)遍路道の整備と草刈り奉仕参拝団の結成

 四国霊場八十八ヶ所を結ぶ遍路道は現在、およそ1,150kmであるという。そのうち、自然豊かな徒歩道路が約2割あって、その中には、春夏には草木が生い茂り、倒木などで通行しにくくなる所が60余か所もあるという。その距離は110kmにのぼり、歩き遍路は難渋を強いられている。
 「へんろみち保存協力会」が行った遍路道の整備の一例としては、昭和63年(1986年)7月に、四十三番明石寺から四十五番岩屋寺の間の、上浮穴郡久万町槇谷の参道11.5kmの整備・復元がある。これまでの徒歩巡拝のコースは、同郡小田町眞弓峠を経て国道33号の伊予落合に出たあと、久万町中心部から四十四番大宝寺に至り、次に岩屋寺を参拝して戻りながら松山市へ抜けていた。しかし、復元した参道のおかげで、遍路は伊予落合から国道を少し高知県側に進み、河口(こうぐち)から谷間を進んで日之出橋に至り、槇谷を越えて岩屋寺に入るコースを通ることができるようになった。その結果、遍路は、先に岩屋寺を参拝したあと大宝寺に立ち寄り、松山へ向かうことができるので、巡拝の距離が約2kmの短縮になった。
 また、この会では、全国各地から徒歩巡拝に来る遍路が安心して歩けるように、平成8年から毎年2回、「四国一周の遍路道草刈り奉仕参拝団」を結成し、遍路道の整備を中心にしたボランティア活動にも取り組んでいる。その参加募集要項の趣旨によると、かつて遍路道の草刈りを支えてきた山間、農村の人々が高齢化し、『村』の奉仕機能が衰えてしまった。遍路道の保存活動も、奉仕一辺倒では長続きしない。そこで、大師信仰と「健康・自然探究・奉仕活動」をミックスした新しいスタイルの四国霊場巡拝をスタートさせたと、その結成時の意図が記載されている。
 全国から集まった人々によって四国八十八ヶ所の巡拝を兼ねた草刈り奉仕が展開されている。
 なお、作業前には各遍路道の現況をもとに、細かな作業推進計画表が作成され、国土地理院発行の2万5千分の1地形図をもとに、手入れする場所と距離、さらにその作業時間をはじき出して、作業を効率よく行っている。
 その他、昼食、飲み物、会の運営に要する通行料、駐車料、入浴料、旅行傷害保険料などについては、「へんろみち保存協力会」が負担している。
 参加者は各自家用車に分乗して四国霊場を巡拝しながら、途中の手入れを要する遍路道においては、自家用車からおりて作業をしていくことにしている。
 実施要項によると、作業は次の要領で行われる。

   作業内容:草刈り、倒木落枝の撤去、道標の整備補強、無人霊場の清掃など
   作業用具:大鎌(かま)、鋸(のこ)、なた、刈り払い機、チェンソー、くわ、スコップなど
   道標用具:杭(くい)、表示札、釘(くぎ)、針金など

 参加者は作業に必要な帽子、作業服、靴、雨具などを用意して参加する。宿泊費は個人持ちになっているので、各参加者は毎回、約10万円程度の負担になる。参加資格は、年齢は68歳までの、作業に従事できる体力・気力・行動力のある人で、人員は15人程度に限定している。ちなみに、平成12年度後半の草刈り奉仕作業(9月19日~10月2日)には、東は神奈川県から南は長崎県までの16名が参加し、日曜日にはその作業地区の住民にも奉仕作業に参加してもらった。
 草刈り奉仕参拝団では、今年(平成12年)後半の草刈り奉仕作業の中の、久万町農祖(のうそ)峠から久万町下野尻までの4.7kmについては、来年度に復元する予定で細かな計画を立てているようである。
 そのことについて、**さんは次のように語った。
 「内子町や小田町から久万町大宝寺に行く遍路道は現在、二つのルートがあります。主ルートとして内子町突合、広田村落合の大師堂を経て下坂場峠を越え、久万町宮成から鴇田峠を越えて久万町市街地に出る(A)ルート。もう一つが、小田町町村から新真弓トンネルを経由して久万町落合に出る(B)ルート。そしてそれ以外にもう一つ、未復元の久万町農祖峠を越えて行く(C)ルートがあります。これは現在、主ルートの一部になっている久万町宮成から永久に至り、そこから農祖峠を越えて下野尻に出るコースですが、現在この遍路道は荒れてしまっていて通行不能になっています。それで来年度に、これを復元させると、この遍路道は、内子町から美川村岩屋寺までの最短ルートになると思っています。地図を見ればよく分かりますが、永久、農祖峠、下野尻、宮ノ前、越ノ峠、日之出橋、槇谷を通って岩屋寺に至る遍路道は直進コースになるのです。来年度はこの遍路道を復元するつもりです。」

 (ウ)ガイドブックの作成

 「へんろみち保存協力会」では、大勢の人々が遍路道を歩くことを願って、歩き遍路のためのガイドブックとして、『四国遍路ひとり歩き同行二人(⑧)』、『四国霊場 先達(⑨) 』それに『68歳からの同行ニ人(⑩)』の3部作を発刊している。
 「へんろみち保存協力会」は四国の地全体を霊場としてとらえ、遍路とは八十八ヶ所の札所を通過関門として巡拝しながら「道中修行」することが目的だと考えている。したがって、ガイドブックの作成にあたっては、途中の道程の情報を極力盛り込み、歩き遍路の実情にあった具体的案内となるよう力を注いでいる。
 以上のように、「へんろみち保存協力会」は、遍路の多様な要求に応えるために、遍路が歩く近道を捜し出して復元、修復しながら、その都度、その情報を月刊新聞『へんろ』や、自費出版のガイドブックに提供していく活動を通じて、主に歩き遍路を支えている。

<注>
①早稲田大学道空間研究会編『現代社会と四国遍路道』P21 1994
②前出注① P26
③前出注① P32
④前出注① P27
⑤徳島大学総合科学部編『四国八十八ヶ所巡拝者の意識と行動』P2 1991
⑥前出注⑤ P29
⑦伊予鉄観光開発編 月刊新聞『へんろ』28号 1986
⑧へんろみち保存協力会編『四国遍路ひとり歩き同行二人』 1990
⑨へんろみち保存協力会編『四国霊場 先達』 1993
⑩へんろみち保存協力会編『68歳からの同行二人』 1994

写真2-2-10 平成遍路石

写真2-2-10 平成遍路石

番外霊場綱掛石の近くにある45号遍路石。平成13年2月撮影