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四国遍路のあゆみ(平成12年度)

(1)各札所の取り組み

 四国遍路は、八十八ヶ所の札所をめぐる巡礼である。長い歴史の中で、それぞれの札所は、訪れる遍路と接しながら、遍路する人々とのかかわりを大切にしてきた。ここでは、札所が、どのような組織のもとに遍路を支える活動をしているのかを探った。また、各札所が具体的に遍路にどのように接しているのか、その実態を探るため、愛媛県内にあるすべての札所(26か寺)を対象にアンケート調査を行い、これをもとに遍路を支える札所の取り組みの実情をまとめた。

 ア 札所の組織化と活動

 (ア)四国八十八ヶ所霊場会

 現在、札所の組織には、四国八十八ヶ所の札所が加入する「四国八十八ヶ所霊場会」と、一般に番外札所と呼ばれる20か寺が加入する「四国別格二十霊場会」がある。そのうち、四国八十八ヶ所霊場会は、四国八十八ヶ所の札所が遍路習俗を継承発展するためにつくられた霊場相互の協力機関である。
 その成立時期は、「早稲田大学道空間研究会」(以下、「早大道研」と略する)の調査によれば、昭和30年代はじめということであるが、正確な年は不明である(①)。平成10・11年度に霊場会の事務局を担当してきた五十二番太山寺吉川俊宏住職の話でも、「年輩の方にお聞きするが、そのころの記録がなく、詳しい事情は分かっていない。多分、四県が持ち回りで会を運営してきたので、記録が散逸したのであろう。」とのことであった。
 霊場会では、2年交代で、四国四県持ち回りの会長寺院に本部を、常務寺院に事務局を設置してきた。しかし、平成12年7月から事務局は七十五番善通寺に固定して、霊場会の事務を一括処理している。
 霊場会の定款によれば、活動内容はおよそ次の通りである。

   ① 執行部会議
     定例理事会は1年に1回、臨時理事会は1年に2~3回、それぞれ開催。
   ② 先達(せんだつ)関係
     公認先達(遍路の先導者)の選定や先達研修会・先達大会などの開催。
     先達大会での講演会、表彰、会務報告。
   ③ 布教宣伝活動
     講演会や講習会の開催
   ④ 情報誌
     月刊新聞『へんろ』の監修
   ⑤ その他
     納経所関連事項(納経料・納経時間などの決定)
     札所施設関連(トイレ改善活動など)

 このように霊場会の活動は多岐にわたっている。この霊場会成立の意義は、「早大道研」によると、「霊場会発足以前はばらばらであった霊場内遍路行為を統一規範化し、それを明文化して徹底したことである。たとえば、遍路用具の一定化とその普及、納経料、納経時間、納経方法の統一にはじまり、『おつとめ』行為の統一化や道中修行、宿泊時の作法の統一化などを図ったことであり、さらに特筆される点は、先達の公式化とその組織化を通した遍路習俗とその意味を公式化し、正当化して大規模に展開してきた。(②)」ということである。
 また、霊場会の具体的な活動のひとつに月刊新聞『へんろ』の監修がある。この月刊新聞『へんろ』は、もともと伊予鉄観光開発㈱において、昭和59年(1984年)に企画編集されたもので、先達たちが中心となって読む新聞という色彩が強かった。しかし、昭和60年10月の19号から、一般に分かりやすく、いろいろな話題を取り上げた『告知版』が登場し、遍路の投稿などを通して、四国霊場を巡拝する者にとっては札所を身近なものにする役割を果たすようになった。

 (イ)四国別格二十霊場会

 四国別格二十霊場は、一般に番外札所とも呼ばれている。その二十霊場は四国四県にまたがっている(図表2-2-11)。昭和41年(1966年)ころに、数ある番外札所のうち20か寺が参集し、八十八ヶ所霊場会と同様に、遍路習俗を発展継承させるために相互に協力する機関として四国別格二十霊場会が設立された(③)。

 イ 札所の取り組み

 各札所の取り組みはどうであろうか。愛媛県生涯学習センターでは、愛媛県内の札所(26か寺)に次のような項目に関するアンケートを行い、16か寺より回答を得た。

   アンケート調杏の質問事項
    ・遍路に対する日ごろの取り組みや心掛け、気持ちなど
    ・今後の取り組み(施設や設備の改善)
    ・今の遍路と昔の遍路の違い
    ・これからの望ましい遍路の姿

 このアンケートの回答を、以下にまとめてみた。

 (ア)遍路への心遣い

 札所を訪れる遍路に対し、各札所はどのような心遣いをしているのだろうか。
 主な回答を挙げると次のようである。

   ○ お遍路を、弘法大師あるいは聖者、修行者の来訪と考え、無事に旅が続けられるよう、態度やことばに留意し励まし
    ている。最近は、全国各地から参拝者があり、お金と健康と時間の三つがそろわなければ出掛けられない旅なので、歓
    迎の気持ち、いたわりの心をもって応対している。日ごろから留意していることは、巡拝者は各人それぞれの悩みごと
    や願いごとをもって巡っておられるので、質問を受けた場合は可能な限りのアドバイスをするようにしている。
   ○ 四国には、実はお大師さまがお姿を変えて、まだ巡拝しているという信仰がある。全ての方がお大師さまだと思い、
    失礼のないように接することが霊場寺院としての、法灯(仏の教えが世の闇を照らすのを灯火にたとえていう語)を維
    持することだと心掛けている。
   ○ 年に何回か巡拝するベテランの遍路さんに対しては、より良く生きるための大師信仰の在り方や、ほかの遍路に対し
    て指導的存在であることを自覚してもらうための話をする。また、初心者の遍路に対しては観光気分での行動を慎み、
    八十八ヶ所全体が修行の道場であることの理解をしてもらって、自らもその精神を養うよう機会あるごとに指導してい
    る。
   ○ 歩いている方には無料で宿泊所を提供するなどの心遣いをしている。一般の旅行とは違ってその思いが深く、訳が
    あって巡っておられるのだろうから、その気持ちに応えるべきだと思っている。忙しい中で十分ではないが、縁があれ
    ば時間をとって悩みの相談に応じたりしている。お遍路の気持ちを本当に皆で分かり合うこと。それは、生きることの
    苦しさを皆で考え合うということではなかろうか。悲しみに共感できる共生の気持ちを、お遍路を迎えるわたしたちこ
    そが持たなければ、やがて遍路文化は消えていくだろうと思う。
   ○ 四国遍路は千年を超える歴史があり、純粋な信仰のもとに成り立ってきたものである。巡拝のお遍路には、気持ちよ
    く遍路できるように境内を清掃し、心なごむ環境を整えたいと思っている。納経は、できるだけ早く済ませるように配
    慮している。お遍路にとって大切な納経帳・お軸なので丁寧に扱い、次の寺院への道順も丁寧に、きちんと教えてい
    る。
   ○ 境内を常にきれいにし、参拝者の気持ちを清らかにして参ってもらうこと。納経所での対応を親切にし、分からぬこ
    とは一つでも教えるようにしている。初めての人にはパンフレットなどで四国巡拝の心掛けを知ってから巡拝を始めて
    もらうようにしたい。

 以上のような回答があった。
 各札所では、訪れる遍路は弘法大師の来訪との考えのもとに、日ごろから境内を清掃し、案内板の設置や水洗トイレの改善、さらには駐車場の拡充整備などを行い、気持ちよくお参りができるよう心掛けているという。また、個々の遍路の質問に対しては、時間の許すかぎり気持ち良く対応するよう心掛けているという。特に歩き遍路に対しては、遍路への思いが深くいろいろな訳があっての巡拝なので、その気持ちを大切にして対応するよう心掛けているようである。

 (イ)札所からみた遍路の姿

 各札所は、昔と現在の遍路の移り変わりをどのようにとらえているか、主な回答を挙げると次のようである。

   ○ お遍路さんの考え方は、古くは罪障(ざいしょう)(成仏の障害となる罪業)消滅、先祖廻向(死者の冥福を祈って読
    経したり、念仏を唱えたりすること)、当病平癒(ゆ)、身体健全などのために、四国遍路で助けていただくという請願
    があった。しかし、最近は巡拝して目的を果たすのではなく、旅行気分の延長にあるお参りが大半だ。
   ○ 昔は列車や定期バスを利用した団体が多く、あとはほとんどが徒歩での巡拝であった。さらに、1日に7軒以上の托
    鉢の行(ぎょう)を義務的に実施し、この行を通じて「情」、「おもいやり」などを自覚して人生に生かしていた。ま
    た、戦前の青年や嫁入り前の娘は、お遍路という人間修行の旅を通して人の情を知り、それが結婚のよき条件ともなっ
    た。それに対して、最近はマイカーによる巡拝が増え、家族縁者、老夫婦、若者同士の旅が多くなった。この方たちの
    目的は、自分の見直し、心の癒(いや)し、親や子供の供養などで昔と変わらないが、一部には観光を兼ねた巡拝も多く
    なっている。
   ○ 明治、大正時代は馬車、船の交通の手だてはあったが、原則としてこれらに頼らず、徒歩で巡拝することであった。
    それが昭和20年ころ以降は、汽車、電車、乗合自動車、マイクロバス、ロープウェイも利用するようになった。さら
    に偏ったご利益話は聞かなくてもよい、ばかばかしい伝説や慣習には従わなくてもよい、遍路宿も避けて一般の旅館に
    泊まってもよい、タクシーを上手に使えばよい、という遊覧本位、観光本位の旅行としての遍路があってもよいという
    人も現れた。もちろん、これらに対して、伝統的遍路の立場からの厳しい批判も多々ある。これらの中間にあって、遍
    路行(ぎょう)を「信仰を目的としたスポーツ」ととらえている人もある。これは世俗的な月並みのスポーツとは異質で
    あるが、自動車を礼賛し、観光を礼賛しながら信仰との共存を願っているようである。

 また、四十六番浄瑠璃寺岡田章敬前住職から提供のあった、戦前から現在までの遍路姿の移り変わりは、各時代の遍路の様子が把握できて興味深いので参考までに取り上げてみた。

   ○ 元来、四国巡拝は「先達」の指導で参る方が多かったが、今は個人での巡拝者が増えたため、巡拝者としての心構え
    が乏しい。また、自家用車での巡拝や休みを利用しての巡拝も多く、道中の参拝を急ぐ人たちが多い。もう少しゆっく
    り参拝して、ゆとりある心を養って欲しい。従来からの四国霊場巡拝者に加えて、最近は観光客のような巡拝者が多く
    なったことで、お遍路の求めているものが多様化し、寺院側の受け入れ態勢との間にギャップが生じている。

 これからの望ましい遍路の姿については、次のような回答があった。

   ○ 現状のお遍路参りでいいのではないかと思っている。最近、特に歩いている人をよく見かける。これには頭が下がる
    思いがする。本来ならば服装を整えてと思うが、本当にお参りする気持ちがあれば、そのままでよいのではないか。気
    楽にお参りしてみると、自然にもう一度巡拝したいと思うらしい。その折は、経本、服装その他を揃(そろ)えてお参り
    するようになるであろう。
   ○ いろいろなお参りの姿があってよいと思う。バスや自家用車のお遍路、また自転車や徒歩でのお遍路と、その人その
    人の条件に合ったお遍路でよいと思う。一人一人が「同行二人」、お大師さまとご一緒に旅をしていることを感じられ
    るお遍路であればよいと思う。そして、四国霊場を巡拝し終わるころにはお経も上手になり、また人に対してやさしく
    思いやりの心ができてくれればと願っている。
   ○ いろいろな価値観が認められる世の中で、その方にあった目的でお参りするのでよいが、基本中の基本としては、必
    ず本堂と大師堂では勤行をしてからお納経を取りにくるべきだと思う。ややもすると、「スタンプラリー」と勘違いし
    ているような方を見かける。いずれにせよ、八十八ヶ所を旅して、お寺だけの思い出だけではなく四国の良さを感じて
    もらえればと思う。
   ○ 四国巡拝者としての基本的な身支度や心構えを知った上で巡拝すると、その意義はもっと深まるものと思う。時間的
    ゆとりをもって巡拝することで、自然や人情の豊かさを感じることができるはずである。まずは物見でなく、「修行」
    であるとの心を持ってもらいたい。
   ○ 「がんじがらめ」の遍路は窮屈だと思うが、時には日常を離れて「仏法の世界に身を投ずる」経験をしてもらうのも
    よいことだと思う。口を開けば不平不満が先、という時代だから、感謝の気持ち(お大師様に導かれて遍路できる喜
    び)を味わいながら巡ってもらいたい。
   ○ 四国霊場を巡っているという自覚、四国四県それぞれの風光と生活習慣の違い、そして札所それぞれの霊気などを感
    得し、遍路仲間との触れ合いの中で、人としての憐(あわ)れみや情けを養い、大自然(神仏の働き)に抱かれてその有
    り難さを体得して欲しい。
   ○ 四国の自然のもつ大地性、聖地性をもっともっと感得して、未知の人々との触れ合いを通じて、新しい人生観が確立
    できることを願っている。そして、四国霊場が癒(いや)しの場所になれば、寺側としてもこれ以上の幸せはないと思っ
    ている。

 このように現在の遍路は、祈願、供養、人間修行など、昔ながらの習俗を受け継ぎながら回る遍路から、信仰には程遠いと思われる観光遍路まで多様な巡拝形式となってきている。札所は、こうした巡拝の動機や目的がそれぞれ異なる遍路たちを幅広く受け入れている。そして、すべての遍路が巡拝を重ねて四国霊場に身を置くうちに、大師と共に巡拝する意義を感得して、人としての憐(あわ)れみや情けを養っていくことを願っているように思われる。

図表2-2-11 四国別格二十霊場

図表2-2-11 四国別格二十霊場