データベース『えひめの記憶』
宇和島市
松根東洋城(1878~1964)
俳人。東京府築地(現、東京都)出身。宇和島藩城代家老・松根図書の長男・権六の次男。本名豊次郎。愛媛県尋常中学校(現、県立松山東高等学校)時代、松山に赴任していた夏目漱石に英語を学び、卒業後も交流を持ち、俳句の教えを受け、終生の師と仰ぐ。その後、第一高等学校(現、東京大学教養部)、東京帝国大学(現、東京大学)を経て、京都帝国大学(現、京都大学)で学び、卒業後の明治39(1906)年、宮内省(現、宮内庁)に入った。
第一高等学校時代、漱石より正岡子規を紹介され、初め『ホトトギス』に加わっていたが、後に俳誌『渋柿』を創刊した。大正3(1914)年、俳句について大正天皇から御下問があった時、「渋柿の如きものにては候へど」の句を奉答した。松尾芭蕉の俳諧精神を尊び、人間修行としての俳句道を説き、連句を重んじた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【追記】
松根東洋城墓所:金剛山大隆寺(宇和島市宇和津町、宇和島藩主の菩提寺)
【一畳庵について】
漱石門下松根東洋城の結庵の跡。翁は昭和25年夏より27年春までの間に再度来山し、延べ15ヶ月滞在した。
社務所座敷の内縁の一畳庵に起居しつつ、地方の渋柿俳句人達を指導、自ら一畳庵主と称してゆうゆう自適の生活をし、その間壱百余句をのこして去る。(『惣河内神社境内案内』より)
【一畳庵にある松根東洋城の句碑】
山屏風 春の火燵に こもるかな(鳥居をそって右手)
ほかに、社務所庭の池辺りにもあるが、文字が消えて見えづらくなっている。
春秋冬 冬を百日 桜かな
【伊達博物館にある句碑(両面に刻まれている。写真④は上の句)】
我が祖先ハ 奥能最上や 天の川
(わがおやは おくのもがみや あまのがわ)
嶌ゞや 湾能外まで 春の海
(しまじまや わんのそとまで はるのうみ)
【宇和島東高校にある句碑】
いつくしめば 叱るときける 寒さかな
【宇和島水産加工センター横の真珠貝供養塔】
貝寄せや あこやはいづこ うつせ貝
①一畳庵Ⅰ 東温市河之内4876(惣河内神社内) |
②一畳庵Ⅱ 東温市河之内4876(惣河内神社内) |
③一畳庵にある東洋城の句碑 東温市河之内4876(惣河内神社内) |
④伊達博物館中庭にある句碑 宇和島市御殿町9-14 |
⑤松根邸跡 宇和島市御殿町1-1(市立宇和島病院敷地内) |
⑥宇和島東高校にある句碑 宇和島市文京町1-1 |
⑦宇和島水産加工センター横の真珠貝供養塔 宇和島市築地町2丁目 |