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宇和島市

中井コッフ(1881~1962)

 明治14年~昭和37年(1881~1962)医師、歌人。明治14年6月23日、北宇和郡来村保田(現宇和島市)に生まれる。本名謙吉。明治40年、愛知医学専門学校卒業。病院勤務ののち、同42年、宇和島で小児科・医を開業。南予小児科医の鼻祖として、特に乳のみ児の診療に名声を博した。 18歳頃より短歌の道に入り、大正8年、橋田東声の「覇王樹」に参加した。のち同人となる。この年、脳卒中にかかり右半身不随となるが、病苦と闘いながら医道と歌道に励んだ。若い頃、京都絵画専門学校で学んだこともあり、画道・書道においても巧みであった。県下を代表する歌人で、5万8千首の作品を残している。歌集に『山水』 (昭和14年)、『山雨』(同年)、『乱蛩』(同23年)がある。昭和33年、県教育文化賞を受賞。宇和島城長門丸に歌碑がある。同37年3月18日死去、80歳。(『愛媛県史 人物』より)

【宇和島城の歌碑】
 夕山ニ 鳴きのこりたる 鳥の声 一つひゞきて 静なるか母
 


①宇和島城城山公園にある歌碑

①宇和島城城山公園にある歌碑

宇和島市丸之内1丁目