データベース『えひめの記憶』
宇和島市
高月虹器 (1753~1825)
宝暦3年~文政8年(1753~1825)俳人。吉田の高月家(法華津屋・三引)九代目の主人。名は古右衛門。芙月斎。滄浪亭・丈頭斎等とも号す。書、画、生花にも造詣が深く、生花はとくにすぐれて吉田千家を起した。文化9年華甲(還暦60歳)記念として『虹器年賀集』を出版した。伊予のみならず江戸、大阪、京都、近江、出雲などの知人から寄せられた詩歌俳諧に、みすがらの文章、画(生花の画)を載せて、豪華な賀集となっている。版木も自分で彫り刷ったものだという(出版は翌年)。高月家は古くからの吉田藩の御用商人で、その富にまかせて高い文化教養を身につけた文人が多く出た。虹器の曽祖父俳号狸兄も淡々流の俳人として知られる。その一族叶高月家長徳も和歌漢詩にすぐれ、本間游清らと親交があった。(『愛媛県史 人物』より)
【吉田ふれあい国安の郷にある句碑】
又日々に 新に清き 木槿(むくげ)かな