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美川村二十年誌

二、弘形第二尋常高等小学校の沿革

 明治一一年四月、日野浦本組の光明寺の二室を借用して、日野浦尋常小学校を設立し、藤社・中黒岩・平井に分校を置いた。
 同一三年四月、光明寺の上に校舎坪数六一坪五合・運動場六三坪五合の校舎を新築し、独立した。
 同二〇年四月、日野浦尋常小学校を日野浦簡易小学校と校名を改称すると同時に、藤社・中黒岩・平井の各分校が簡易小学校として独立した。
 同二五年、日野浦尋常小学校と改称し、藤社・中黒岩・平井の各校を分教場とした。同三二年、八反八畝の山林を日野浦部落が学校林として購入しまた同三七年には、一一町四畝三歩の学校林を購入して、校舎新築と学校統合にそなえることにした。
 同四二年、日野浦成河に校舎新築落成し、藤社・中黒岩の分教場を廃止して統合し、平井分教場だけを残した。同年の卒業生は男二一名・女一二名であり、そのうち九名の者が高等科へ進学した。
 昭和二年一月講堂を新築、同年六月高等科を併設、弘形第二尋常高等小学校と改称した。
 同一六年四月、国民学校令実施により、弘形第二国民学校と改称した。
 同一七年五月一五日、現在地に、総工費五七、七五〇円で校舎を新築落成した。
 同二二年四月、学校教育法施行に伴い弘形第二小学校と改称され、同二五年、校地内に教員住宅、同二六年には校長住宅を新築した。
 昭和三〇年三月三〇日、町村合併により、美川村立美川南小学校と校名を改称した。

弘形第二尋常小学校学級編成沿革

弘形第二尋常小学校学級編成沿革