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美川村二十年誌

三、青年会と夜学会

 日露戦争が勃発すると、わが国は官民一体となった非常体制に入り、全国の市町村では、時局に適合した事業を行なうようになってきた。その事業の一つとして、青年会を設立し銃後活動の中枢にしようとした。
 本村では、明治四三年四月一目、弘形村青年会が創立され、一二才から二〇才までの青年男女が会員となった。
 青年会は、会員の教育として夜学会・講話会を行なってきた。夜学会はもともと小学校教育を受けなかった者への教育を施すのを主目的としていた。有枝夜学会・上黒岩夜学会・大川夜学会・日野浦夜学会があり、各地区の小学校で行っていたが、日野浦夜学会は明治四二年まで光明寺で行っていた。
 夜学会はその後、小学校卒業者の補習を含めた勤労青少年教育の場となり、指導者としては村長が夜学会長となって小学校教員がこれに当っていた。学習内容は、修身・国語・算術で隔日夜間二時間行ない、経費は会員の会費を以ってまかなっていた。大正五年には、二五才までの青年を正会員と定め、二六才以上を特別会員として青年会を構成した。
 この夜学会が勤労青少年のための公的教育機関で、実業補習学校へと次第は発展していったのである。