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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

4 生活行政の展開

 消費者行政の幕開け

消費者行政とは消費生活にかかわる不公正・不適正な企業活動から消費者を守り、生活の向上を図るための行政である。近年、消費生活の向上は質量ともに著しいが、反面、消費者の生命や健康への危害、商品・サービスの選択阻害など問題がないとはいえない。従来、消費者サイドの行政の弱かった我が国では、昭和四三年憲法ともいえる消費者保護基本法が制定され、消費者保護行政の基盤が整えられた。本県でも四五年、県総務部に生活課が設置され、県生活センターが発足して生活行政が産ぶ声を上げたが、本格的には四六年、白石県政以後の陣容整備を待って推進された。
 昭和四七年、松山市三番町に生活福祉県政の新拠点ともいえる生活保健ビルが完成し、その一角に一、〇〇〇平方メートルを占めて当時西日本一の規模を誇る県生活センターが新設された。生活用品の展示・啓発、生活相談、商品テストなどのほか「考える消費者展」も開催され、五〇年の相談件数は四二二、苦情が一四五件にのぼった。行政の方向は安全・消費者教育・苦情処理・市町村との連絡などを図ることであったが、消費者行政の重点はやはりコミュニティに合わせ、温かい家庭、住みよい環境にからめた総合的な推進にあった。
 石油ショックへの緊急対策が平静化した昭和五〇年、消費者行政は体制整備期に入った。県では県生活環境部生活課に物価流通業務を加えて改組し、消費生活課を新設、また、県事務所には県民生活課を置いて消費者行政の総合推進を図り、県事務所ごとに生活センターの地方版である「くらしの窓口」を設けたが、このような窓口行政が市町村も合わせ県下六五にのぼった。同年、県は不当景品及び不当表示、安全表示、品質表示などの指導を行い、瓶詰・家具など一〇%以上の不適正品が発見された。また、消費者モニター一二○人を委嘱して意見や消費動向の把握に努める外、五二年にリーダー養成用の消費者スクールを、五三年には消費者大学(定員三〇人)を開催して消費者コンサルタントの養成にも努めた。
 県民の消費生活の安定と向上を確保する画期的な補完制度として、「県消費者保護条例」が昭和五〇年に制定され、全国九番目の先進ぶりを誇った。内容は、商品の危害防止、基準の設定や検査、苦情処理、訴訟の援助、物価対策県民会議の設置、物価監視、条例違反企業名の公表などである、価格需給の監視物資は農林省一五品目、通産省二二品目の指定物資に加えて、条例に基づき化学調味料、バターなど二一品目を追加指定した。県価格監視員(五〇人・うち地区二五人)が監視の任に当たり、さらに家庭主婦二一〇人を消費生活レポーターに委嘱して、生活物資小売価格の目付け役とした。また、食品の安全性確保のため保健所の食品衛生監視機動班を五一年から松山に加え西条・八幡浜・宇和島に拡大し、婦人食品衛生推進員四七人の外ボランティア七〇〇人にも呼びかけ、業者の自粛管理の徹底を期した。
 県では価格政策上、手が打ちやすい公共料金の据え置きと、生鮮食料品の安定供給を目標とした諸施策も講じられた。五〇年、大型スーパー三〇店による「フードウイーク」(食品お買得週間)及び六市青果商(二、〇〇〇店)での「青果の日」を設けて一〇~二〇%の値下げが実施された。昭和四九~五三年まで県内向け野菜供給地育成のため、県は一〇集団に助成して出荷促進を図り、特に牛乳には、学校給食補助(二〇〇CC当たり五円八〇銭)を含め流通事業の改善補助が行われた。五二年には食品五品目に「地域JAS」と称する認証マークを付け、五三年には商品の価格と製造年月日の表示基準が県条例に基づき実施され、食パン、合成洗剤、ベーコン、みかんなど三七品目について県下一七〇店に適用された。また同年、標準食肉販売店一八六店の育成も図られ、専任消費者モニター九〇人が委嘱された。

 省資源・余暇時代

昭和五三年に起こった第二次石油ショックによる本県への影響は微少であったが、長期的エネルギー対策の必要が痛感され、県では五四年、省エネ問題対策委員会を設置し、代替エネルギーの開発・省資源・省子不の手法検討などを課題とした。さらに発展してゴミ廃棄物・過剰エネルギーを利用するローカルエネルギー手法も検討された。五四年には石油五%節約を目標に、六〇団体を網羅した県省エネルギー運動県民会議が開かれ、省資源・省子不型の生活パターンの確立が望まれるようになった。
 勤労の対極にある余暇は、我が国では長らくマイナスイメージとされていた。昭和三〇年代には勤労者の大半が余暇の過し方は「ゴロ寝でテレビ」という典型的生態にあった。先進国にならい昭和四五年ころから導入された週休二日制が、四七年ころには中堅以上の企業でほぼ半ばを占め、従来消極的であった余暇の過ごし方が、若い人を中心に変化してきた。五三年のNHK調査では、気晴らし四四%、休息二四%、自己開発一八%と急速に余暇の積極志向が見られるようになった。
 県では四九年、生活環境部生活課に余暇対策係を設け、五〇年から余暇スクールを開いてリーダーの養成、余暇対策推進懇談会の設置、オリエンテーリングを織り込んだ体力づくり運動、モデル市町村指定などを行った。後にコミュニティ行政と適合した身近な広場や施設での余暇の活用、さらには大型の南レク都市、県総合運動公園も含め本格的な施設利用の新しい展開も見られた。