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愛媛県史 県 政(昭和63年11月30日発行)

3 不況対策

 スタグフレーション下の産業界

全物資のコストと需給をかく乱した昭和四八年の石油ショックは、たちまち県下の産業界を襲った。鉱工業生産は、翌四九年四月には前年比の五〇%と大幅に落ちこんだ。景気は総需要抑制で不況色を強め、戦後最高といわれる「予期せざる在庫」を抱えて、春には二〇%前後の操短に陥り、八月以降は三~一二%の減産、年末には人員整理、新規採用停止と続いた。建設業の打撃は大きく、前年比で半減、タオル・紙パルプも三月ころから一・五~二か月程度の最大級の在庫指数を示し、造船業も新規発注はなく、海運の船腹需要は軟化した。一般に設備投資は冷えこみ、共同化、省力化、公害対策など緊要度の高いものに限られた。特に不況の色濃い秋口から減産、滞貨、取引悪化対策などの後向き資金の需要が活発となり、金融引き締め下に異常な資金需給を生じ、不況とインフレの同居するスタグフレーションの様相を呈した。この状況は昭和五〇年に持ち越し、紙パルプ・繊維・機械は最悪の危機を脱したが、住友化学磯浦工場に一万トン(約三〇億円)と積まれたアルミインゴットの山は不況の工都新居浜を象徴し、四〇万トンエチレンプラント計画も沙汰やみとなった。大企業もまた構造改善の荒波に浮沈をかける時代が到来した。
 県下の企業倒産状況(東京商工リサーチ調査)によると、昭和四八年度は戦後最高の一六三件、約一九三億四、〇〇〇万円に達して、四六年の一五九件、九七億円をしのぎ、三月の倒産債務五三億円は四八年の年額を上回り、月別最高を示した。四九年四月以降も二七億円の大口倒産を含め八月の二〇件を頂点に、毎月二〇件に近い倒産を数えた。この激しい倒産旋風は体質の弱い企業内要因が大半であったが、後半には販売不振、採算悪化など企業努力を空洞化する企業外的要因が増え、不況型倒産の色を濃くしてきた。中小企業に対し四九年、次いで五〇年、県は応急の金融対策を次々と打って事前防止につとめ、倒産防止連絡会議、不況業種対策会議を開いて対策を検討した。

 中小企業対策の強化

 中小企業対策としては融資政策を根幹に組織化、診断及び技術指導、小規模企業対策などが講じられてきたが、昭和四九年の緊急事態以後は景気浮揚政策に呼応し、公共事業の推進、県単事業の大幅増に力点を置き、むしろ積極策が取られた。白石知事は「実質的節約もやるが消極策はこの際とらない。起債財源に依存してもやるべきことは積極的にやる。産業構造を改新充実し、完全雇用を図ることも広義の福祉=
生きがいである」と述べて、観念的な企業密着論をしりぞけ積極策に出て、数次にわたる不況対策事業を予算化した。昭和四九年九月予算では県単の道路改良など二・三億円、道路舗装五・四億円、都市バイパスなど用地先行買収に三一・四億円などが計上され緊縮型予算の特例ともなった。すでに格差是正を求める構造不況対策として四六年から構造改善事業が行われていたが、五三年までに総額三一九億円にのぼる企業合同事業や知識集約化が進められた。その主な事業は中小型船舶一二一億円、自動車分解整備五九億円、貨物自動車運送五六億円、家庭用薄葉紙四三億円などである。これに総需要抑制による循環的不況を加えた複合不況への対策が急務となった。
 四九年三月、県の当初予算ではコミュニティファンド一○億のうち五億円を原資とした倒産防止緊急対策資金四億円及び県信用保証制度拡充対策約一・七億円の計上が緊急対策として注目された。県の中小企業融資制度は、いずれも県の金融機関への預託資金を原資に二~三倍の協調融資を期待する建て前であるが、融資にかかわり半ば公的保証機関である県信用保証協会の運営強化が、金詰りに苦しむ中小企業金融の円滑化に資するとの認識に立ち、協会の基盤強化が図られた。すなわち、九月県議会で県信用保証協会への県出損金七、〇〇〇万円を計上して出損金総額を一一億円とし、保証枠を五五〇億円(四八年度四二〇億円)に拡大した。さらに中小企業季節資金融資の県預託金一〇億円の運用を四九年度から金融機関任せにせず、同協会経由とし金融機関の選別融資をチェックするなど組識運営の充実強化を図った。
 昭和四九・五〇年度の主な中小企業制度融資実績を制度別に見ると(カッコ内は五〇年実績)、中小企業振興資金融資一二(一〇)億円、県資金九億円を原資とした中小企業緊急経営安定資金融資一七(一二・六)億円、小企業資金融資三(二)億円、小企業経営対策資金融資(二・六)億円、夏季季節金融対策資金融資一七二五)億円、県資金一〇億円を原資とした同年末融資四一(五一)億円、同和地区小規模事業特別融資三・四(三・七)億円、その他二制度合わせ合計九六(一〇〇)億円にのぼり、「緊急」や「季節」資金の増額が顕著であった。五〇年には不況下にかかわらず、知事が予算の選択的配分による重点施策と言い切った東予船渠計画が登場した。構造改善のモデルケースともなる造船業の団地づくりに、初年度約一〇億円の中小企業振興事業団との共同融資に踏み切って注目された。越智郡波方町の中小造船九社の造船・修理の共同施設である。
 雇用情勢は不況下操短、人員整理などの表面化で悪化し、五〇年には大幅に増加して二四万人の求職者があふれ、一方、求人は一三万人と有効求人倍率は〇・五五と低迷したが、五一年には〇・五九とやや好転した。五〇年一万四、〇〇〇人を超える出稼ぎ労務の求職者に対し求人は六、〇〇〇人で、倍率は〇・四一と悲観的であったが、地元就労の指導、就労経路の正常化、援護が促進され、五一年には求職者は約七、五〇〇人に落ち着き、求人七、三〇〇人に対し倍率〇・九八とほぼ平穏といえる状態に復した。
 不況下変転する企業からこぼれた中高年齢の離職者に対する短期速成の職業訓練、あるいは能力開発のため、県の五職業訓練所では七科目の訓練などを実施した。五〇年、冨士紡三島・川之江両工場の閉鎖に伴う約一、〇〇〇人の離職は大きな社会問題となったが、県では離職者雇用対策協議会を設けてほぼ九割の再雇用にこぎつけた。