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わがふるさとと愛媛学Ⅵ ~平成10年度 愛媛学セミナー集録~

◇五十崎町の和紙づくり

 それではなぜ、ここ五十崎で手すき和紙が盛んになったのでしょうか。もちろん私も平安時代には生きておりませんので、最初にこちらで紙すきが始まった事情は分かりませんが、和紙をつくるのに重要な二つのものから想像してみたいと思います。
 まず一つは原料です。当時ですからコウゾですが、恐らく今と違いまして、栽培をするということはなかったと思います。したがいまして、地元にたくさんコウゾが自生をしていたのだろうというふうに私は思います。その次に必要なのは水です。原料をたく、洗う、さらす、すくという全ての工程で、多くのきれいな水が必要となります。昔のことですから、ものを運ぶということはとても大変なことで、コウゾを運んで来ることも大変ですけれども、それ以上に大変なのは、水を運ぶということで、これはまず不可能に近いことだったのです。ですから、全国を見てみましても、和紙産業というのは、必ず大きな川のほとりにできています。そういったようなことで、当地でも和紙づくりが盛んになり、ここまで大きく産業として成り立ったのは、原料もさることながら、やはり大きなのは小田川というものがあったからだろうと思っております。
 しかし、残念ながら現在いろんな事情がありまして、和紙産業というのは、衰退をしてきております。まずなんと言いましても、従来和紙でなかったらいけないというものが、他のものにとって替わられておりますし、ほとんどの紙が、今は機械ですかれるようになってしまいましたので、和紙自体の需要が減ってきたのです。つまり、私たちの生活のスタイルが、和風から洋風に変わってきまして、和紙を使うという分野が、非常に少なくなってきてしまったというのが、一番大きな原因だと思います。しかし、「なぜ和紙が少なくなったと思いますか。」という質問をすると、必ず「後継者がいないからではないですか。」という答えが返ってくるのですが、これは全く逆でして、残念ながら、まず需要がなくなってきたというのが大きな原因で、和紙産業は小さくなってきたのです。