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えひめ、昭和の記憶 ふるさとのくらしと産業15-四国中央市①-(平成30年度「ふるさと愛媛学」普及推進事業)

第2節 旧新宮村の交通と人々のくらし

 旧新宮(しんぐう)村は、古くより伊予と土佐を南北に結ぶ経路であった。古代、川之江(かわのえ)(四国中央市)の大岡(おおおか)駅から丹治川(たじかわ)駅(高知県大豊(おおとよ)町)を経て土佐国府(高知県南国(なんこく)市)に至る太政官道(南海道)の経路となり、村内に山背(やましろ)駅が置かれた。近世には参勤交代道として土佐街道が利用され、現在の高知自動車道新宮インターチェンジ(IC)付近に藩主の休憩所や宿泊所として馬立(うまたて)本陣が置かれた(図表3-2-1参照)。
 明治以降、村内の交通事情は、なかなか好転しなかった。村内の道路は、藩政時代と変わらない幅員の狭い道路であったが、ようやく昭和12年(1937年)、堀切(ほりきり)峠を越えて金田(かなだ)(四国中央市金田)と新宮を結ぶ道路が開通した(図表3-2-1参照)。
 昭和22年(1947年)には、川之江-新宮間で上記の道路を利用して、省営バス(昭和24年〔1949年〕に国鉄バスに移行、現ジェイアール四国バス、平成3年(1991年)に撤退)の運行が開始された。その後、昭和35年(1960年)には四国交通バス(平成26年〔2014年〕に撤退)、昭和40年(1965年)には瀬戸内バスの運行が開始されている。
 堀切峠を越える県道は、冬場は積雪のため不通になることがしばしばあり、冬場の交通難の解消と時間短縮のために、トンネルの建設が必要と考えられた。その実現に向けて各方面への働きかけが行われ、ついに昭和55年(1980年)、堀切トンネルが開通した(図表3-2-1参照)。一方、高知県大豊町との間には、堀切トンネルに先立って、昭和42年(1967年)に笹ヶ峰(ささがみね)隧道(ずいどう)(トンネル)が開通した(図表3-2-1参照)。なお旧新宮村内を銅山川に沿って東西に横断する道路は、旧新宮村部分が平成5年(1993年)に県道から国道319号線へ昇格するとともに、平成4年(1992年)には高知自動車道の川之江-大豊間が開通し、旧新宮村は四国唯一の、全国的にも珍しい高速道路のインターチェンジがある村となり、交通事情は大きく好転している。
 本節では、昭和40年(1965年)前後のバス交通と人々のくらし、堀切トンネル、笹ヶ峰隧道(トンネル)の開通と人々のくらしについて、Aさん(昭和12年生まれ)、Bさん(昭和22年生まれ)から話を聞いた。

図表3-2-1 旧新宮村の峠、トンネルなど

図表3-2-1 旧新宮村の峠、トンネルなど

平成10年国土地理院発行の5万分の1地形図「伊予三島」による