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松山市

中村草田男(1901~1983)

 俳人。清国(現、中国)福建省厦門(あもい)に生まれる。本名は清一郎。旧制松山中学校(現、県立松山東高等学校)時代は、学生間で愛読されていた回覧雑誌『楽天』の同人になり、後の映画監督の伊藤大輔や伊丹万作と友好を深める。その後、東京帝国大学文学部(現、東京大学)に進み、在学中の昭和4(1929)年、高浜虚子を訪ね師事し、俳句を学ぶ。また虚子の勧めで東大俳句会に入会すると共に、『ホトトギス』同人となり、後に石田波郷らとともに『人間探求派』と呼ばれた。戦後、月刊俳誌『萬緑(ばんりょく)』を創刊し、自他の生き方を求め、主客融合の象徴の自在境に到達し、思想詩としての俳句を結晶させた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 中村草田男墓所:道後鴬谷墓地内

【松前町浜の住居跡の句碑】
 貝寄風に 乘りて帰郷の 船迅し
 (かいよせに のりてききょうの ふねはやし)

【東雲公園内にある句碑】
 夕櫻 城の石崖 裾濃奈る
 (ゆうざくら しろのいしがけ すそごなる)

①松前町浜の住居跡

①松前町浜の住居跡

伊予郡松前町浜(漁業組合横の駐車場角)

②住居跡の句碑

②住居跡の句碑

伊予郡松前町浜(漁業組合横の駐車場角)

③東雲公園内にある句碑

③東雲公園内にある句碑

松山市東雲町7