データベース『えひめの記憶』
松山市
高浜年尾(1900~1979)
俳人。東京府神田猿楽町(現、東京都)で、俳人・高浜虚子の長男として生まれた。「年尾」という名は正岡子規の命名である。小樽高等商業学校(現、小樽商科大学)卒業後、旭シルク株式会社に入社したが、昭和9(1934)年に退社して俳句の道に入り、兵庫県芦屋市に移った。俳句は、中学時代より虚子が運営していた「ホトトギス発行所」に出入りし、多くの俳人と交流していたことから自然に学び、13歳で俳誌『ホトトギス』に俳句を投稿していた。
退社後は、関西俳句界の中心的存在として活躍し、昭和13(1938)年、俳誌『俳諧』を創刊、俳句、俳文のほか、俳句を英語、ドイツ語、フランス語に訳したものを掲載するなど多彩な内容であった。
少年のころから父・虚子と共にたびたび松山を訪れていたが、虚子没後もほぼ毎年、墓参りと俳句の指導のため来松した。また、子規顕彰全国俳句大会には主選者として参加するとともに、長く「愛媛俳壇」選者を務めた。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)
【句碑】
写真①:萬翠荘登り道にある句碑
なつかしき 父の故郷 月もよし
写真③:志度寺にある句碑
盆に来て 海女をとむらふ 心あり
【志度寺について】
香川県さぬき市の志度寺には、藤原不比等に関わる「海女の玉取り」伝説に基づき、不比等の子 藤原房前が建てた五輪塔群があります。高浜年尾の句碑は、その横に建てられています。
①萬翠荘登り道にある句碑 松山市一番町3-3-7(松山地方裁判所北側) |
②藤原房前が建てた五輪塔群 香川県さぬき市志度1102(第86番札所志度寺) |
③志度寺にある句碑 香川県さぬき市志度1102(第86番札所志度寺) |
④海女の墓の横に建つ句碑 香川県さぬき市志度1102(第86番札所志度寺) |