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松山市

押川春浪(1876~1914)

 少年冒険小説作家。松山城下の小唐人町(現、松山市)出身。本名は方在(まさあり)。父はキリスト教牧師で東北学院(現、東北学院大学)の創立者・押川方義(まさよし)で、父の伝道に伴い、新潟・仙台等に転じた。明治学院(現、明治学院大学)・東京専門学校(現、早稲田大学)に学んだが、在学中より少年冒険小説を書き始める。『海底軍艦』は、巖谷小波によって紹介・出版され、名声を高めた。
 卒業後は、博文館に入社し、『写真画報』、『冒険世界』の主筆として腕をふるい、また、『少年世界』、『中学世界』に新作を連載し、「地底の王冠」、「南極の怪事」、「新日本鳥」などの多くの作品を書き、富国強兵の時流に乗って、青少年の熱烈な支持を受けた。一方、スポーツ振興活動にも乗り出し、特に野球の振興に熱心に取り組んだ。なお、プロ野球創始者として知られる押川清は実弟である。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)