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松山市

小林信近(1842~1918)

 県政界・経済界の先覚者。松山城下(現、松山市)出身。12歳のときに小林家の養子となり、万延元(1860)年、松山藩主・松平勝成に小姓として仕え、明治維新までの動乱期は、藩主に従って松山、江戸、京都と国事に奔走した。
 維新後、廃藩置県により職を失った藩士のため、旧藩主・久松家の嘱託で製紙・製靴・小倉織を扱う工業会社牛行舎を創立して事業に取り組み、それらの経験から松山での鉄道敷設を考えるようになった。しかし、鉄道建設は莫大な費用がかかるため、当時、地方都市での鉄道経営は不可能だとされていたが、軌間0.62mの軽便鉄道なら実現可能だと判断し、その熱意とねばり強さで政府の許可を取得した。明治20(1887)年、伊予鉄道会社を創立して初代社長となり、翌年、三津-松山間で、軽便鉄道を開通させた。
 また、鉄道以外にも伊予銀行の前身である第五十二国立銀行の設立や四国初の水力発電所、高浜港建設など、愛媛県の経済を支える多くの事業を展開した。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 小林信近墓所:常信寺(松山市祝谷東町)
  ※ 墓前の灯篭の柱に、「日向水力電気株式会社」「伊予鉄道電気株式会社設立」と刻まれている。

①梅津寺公園にある伊予鉄道1号機関車

①梅津寺公園にある伊予鉄道1号機関車

松山市梅津寺町(梅津寺駅横)

②伊予鉄道本社前の機関車(模型)

②伊予鉄道本社前の機関車(模型)

松山市湊町

③第五十二国立銀行跡

③第五十二国立銀行跡

松山市三番町3丁目(松山中央郵便局裏)