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松山市

安倍能成(1883~1966)

 学習院院長。哲学者。松山城下の小唐人町(現、松山市)出身。東京帝国大学(現、東京大学)で哲学を学んだ後、慶応義塾大学・法政大学・第一高等学校(現、東京大学教養学部)などの講師や教授を歴任。哲学、哲学史研究のため、ヨーロッパへ留学し、帰国後、京城大学教授(現、ソウル大学)・同法文学部長・第一高等学校長を歴任した。太平洋戦争終戦後は、幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)改造内閣で文部大臣に就任して戦後の教育制度改革に尽力し、大臣退任後は帝室博物館総長・国立博物館館長を一時勤め、新制学習院院長となって亡くなるまで在任した。また、平和運動にも参画し、岩波書店の総合雑誌『世界』創刊期の代表責任者となり、一方で昭和23(1948)年結成の「平和問題談話会」の議長となった。
 戦前・戦後を通じて一貫した自由主義者であり、戦前の軍国主義に対する批判のみならず、戦後の社会主義への過大評価に対しても批判的な態度を取った。また、カント哲学の第一人者で、『カントの実践哲学』、『西洋古代中世哲学史』をはじめ、読売文学部賞を受けた『岩波茂雄傳』、そのほか『戦後の自叙傳』など、」多くの著書がある。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)

【追記】
 安倍能成墓所:東慶寺(鎌倉市山ノ内)
        ※ 西田幾多郎(哲学者)、岩波茂雄(岩波書店創業者)の墓所でもある

①肖像写真(生涯学習センター所蔵)

①肖像写真(生涯学習センター所蔵)


②東慶寺の山門

②東慶寺の山門

神奈川県鎌倉市山ノ内1367