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今治市

片上伸(1884~1928)

 文芸評論家。野間郡波止浜村(現、今治市)出身。号は天弦(てんげん)。明治末期から昭和初期にかけての日本文壇の評論家。旧制松山中学校(現、県立松山東高等学校)時代から文学に関心を持つようになり、新体詩を文芸雑誌に、「天弦」の号で投稿していた。東京専門学校(現、早稲田大学)に進んで坪内逍遥らの指導を受け、卒業後は島村抱月主宰の『早稲田文学』記者となった。後、母校の文学部教授に就任し、大正4(1915)年、早稲田大学留学生としてロシアへ渡ってロシア文学の研究に携わり、帰国後、日本の大学ではじめて早稲田大学がロシア文学科を創設したときに主任教授となった。
 初め自然主義の論客であったが、やがて芸術至上主義に、さらに文学の社会性を強調する唯物史観の文学論に移行し、晩年はプロレタリア文学理論の構築に取り組んだ。伸の文学論は、時代と共に柔軟に変化するが常に真摯な言論家であり、批評家の第一人者として評価されている。(『愛媛人物博物館~人物博物館展示の愛媛の偉人たち~』より)