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西条市

山岡瑞圓(1883~1948)

 四国61番香園寺36代住職。幼少より高野山その他に遊学し、明治35年性郷師の跡を継ぎ住職となる。子安講を組織して信徒数10万をつくる。本堂、庫裡、通夜堂その他の新築を完成させ面目を一新し別格本山となる。種々教化事業を興し、少年司法保護所を作り非行少年の教化に務める。昭和16年、子安中学を創立し、現在の小松高校の前身となす。趣味広く、能・謡曲・囲碁・将棋・書画などの諸芸に通ずる。(『小松町誌』から)

【山岡瑞圓師頌徳碑(小松高校入り口)】

    慈光遍照
    故大僧正 山岡瑞圓師頌徳碑

 山岡瑞圓大僧正は栴檀山香園寺第36代の住職也。夙に真言宗中学抔に学ぶ。知明大敏気豪救世衆生済度の志篤く、蒲柳の身を挺して宗務に精進し、教祖釈迦如来の大慈悲心、宗祖弘法大師救世悲願の表象なる子安大師の功徳を宣布し、信者を海外に迄得て寺運を興隆し、宇多天皇建立の聖旨を畏み、大本山仁和寺の為に盡す事亦大也。本山其功を賞して香園寺を別格本山に、師を大僧正に昇す。
 師は更に弘法大師が京都に綜芸種智院を、近藤篤山先生が小松に養正館を設けて国民大衆の文化向上を図られたる精神を紹ぎ、昭和16年支那事変中、地を篤山先生の墓畔の好境にとし、中等教育機関子安中学校を創立して周桑郡民多年の熱望に応じ進んで実業専門学校及文科大学を設立し、以て救世の本願を成就せんとしつつありしに、国は戦に敗れて時は非に齢は高く且宿瘂漸く進みて自ら素志の貫き難きを知り、子安中学校の高等学校昇格を機に之を県に移管するに決し、其事務を学校理事者に托し、就床旬日昭和23年1月11日眠るが如く涅槃に入らる。官民哀惜惜かず、生徒父兄及郡民協力戮力、池原ぬい女史によりて創業され、一柳春二先生等によりて教育せられたる小松町立女学校を之に合併、設備を充実し小松高等学校を完成して師の慈恩に酬い、碑を建て其徳を頌し永く之を記念せんとして予に文を求めらる予や其人に非ざるも師の教育事業に参与し、又需められて子安中学校校長たりし因縁より師の行跡を略記にして之に応ずること斯の如し銘に曰く
 高野ひじり小松ひじりの心つぎて子等を愛しみ教へませしに、南無仏子安のひじり現し世に生ひゆく子等をとはにまもらせ教え。
 子等弥栄えつゝ語りつぎ云ひつぎ、とはにみ慈悲たゝへむ
                   河上 哲太 撰文題額
                   芥川準一郎 書
 昭和25年11月3日建之
         建立者  小松町
              小松高等学校父兄会
              小松高等学校卒業生  

①山岡瑞圓師頌徳碑

①山岡瑞圓師頌徳碑

西条市小松町新屋敷(小松橋付近)

②香園寺

②香園寺

西条市小松町南川甲19(この大聖堂は昭和51年に完成したもの)

③子安大師(瑞圓書)

③子安大師(瑞圓書)

西条市小松町南川甲19(香園寺境内)