データベース『えひめの記憶』
西条市
渡邊スエ(1846~1903)
【貞婦 渡邊スエ女表彰碑 碑文】
貞操の婦人に重んずべきは古今に通じて謬らず、今や斯の徳を発揮して人の亀艦たるべき者、現に其の人ある傳へざるべけんや。スエ女は寺町仁市の次女、弘化三年六月愛媛県楠村に生る。長じて同郡三芳村の農渡邊小市の妻となりしが、慶応二年小市リウマチスに罹りて病年と共に重く、明治七年よりは臥したる儘関節の痛みに昼夜號泣するのみ、スエ女寝食を忘れて病夫を看病する傍、貧苦の中に三人の子供を養育すること拾有餘年、一日の如く見聞する者皆同情の涙を濺げり、斯くて明治二十一年の秋小市病癒えずして終に永眠す。爾来スエ女は節を守りて苦しき生計を営みしが、三十六年六月に至りて病歿せり。スエ女一生の間、官府及び各種団体より表彰を受くること十数回、愛媛県は嘗って其の事蹟を綴りて人の鑑と題し、小学修身書に載せたり。郷人スエ女の徳を欽仰し、石に勤して之を後世に伝えんとし文を予に求む。よりここに梗概を叙すること斯の如し。
昭和三年秋十月 文部大臣 勝田主計